常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

ブナ林の歴史

2021年07月04日 | 日記
今年も雪のあるうちから、山歩きをした回数は多い。そのなかで一番多く目にしたものはブナ林である。季節の移ろいによってブナの表情もかわるが、樹皮の表面のまだら模様は懐かしい。小国では、ブナ林を白い森と呼んでいる。人間とのかかわりは古い。そもそも、ブナ林が地球に現れたのは、3000万年も前のことである。地質時代でいえば新生代の第三紀といわれる時代だ。この時代の地球は温暖で、ほとんどが熱帯林であった。わずかに北極の周辺の寒冷な地域に、針葉樹林やブナ林が分布していた。第三紀周北極植物群と呼ばれる樹林である。

第四紀になると地球の寒冷化が始まる。熱帯林の生存範囲が狭くなり、周北極植物群の南下が始まる。一番北方にとどまったのは針葉樹林で、亜寒帯林として独立、次にブナ林とミズナラ、カエデ類が温帯の北の地域で優占するようになる。地球の陸地の関係で、ブナ林が南下したのはヨーロッパ、アメリカ東部、そして日本列島の三地域に限られることになった。第四紀は大陸氷河の時代である。ヨーロッパとアメリカのブナ林やナラ、カエデの混交林は、寒さに強いブナだけを残す単純林となって、現在に見られる林相となっていった。日本列島のブナ林は氷河の発生が少なかっために、第四紀の林相をほぼそのまま残している。ミズナラのほか、トチノキ、モクレンなどの多くの樹種が共存している。日本の森が生きた化石と呼ばれる由縁である。しかも、ブナは木材としてはせいぜいお椀や食器の材料にされるぐらいで、列島の多雪地帯で長く残ってきた。

日本のブナに危機が訪れるのは、敗戦によってサハリンの良質な針葉樹が入手しづらくなってからである。製紙の原料が少なくなってきたため、その代替えとしてブナが用いられるようになった。ブナの伐採が広範に行われ、ブナ林は次々と姿を消していった。ブナ林が見直されるようになったのは、白神山地のブナ林が世界遺産に登録されてからだ。ブナ林に入って郷愁を覚えるのは、こんなにも長い歴史を持つが故であろう。都市化が進み、人間の生活の中心が都会になるに従い、日本の森の守り手がいなくなりつつある。自然への回帰が、これからの日本にはますます必要こととなっていく。
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