常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

秋山

2019年10月06日 | 万葉集

天智天皇の御代、藤原鎌足をはじめ、廷臣や女官が居並ぶなかで、天皇の仰せがあった。あでやかに花の咲く春と、秋山の黄葉のいろどりとで、皆はどちらに趣があるか詩をもって述べてみよ。廷臣たちは、漢詩を作り、さまざまな見方から、春の山と秋の山の趣きを競いあった。だが、これといった決定打が出ずに、万座がざわめいているなかで、額田王が次のような長歌を詠んで軍配をしめした。

冬ごもり 春さり来れば 鳴かずありし 鳥も来鳴きぬ 咲かずありし 花も咲けれど

山を茂み 入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉をば

取りてぞ偲ぶ 青きをば 置きてぞ嘆く そこし恨めし 秋山我れは

額田王は春山派、秋山派のそれぞれの、主張をほとんど平等に取り上げ、最後の一句で、私は秋山がいいと突然の宣言をした。万座の恨みっこなしに、結論を出したやり方は、喝采を浴びたに違いない。さらに深読みをすれば、天皇の気持ちが秋山に傾いていることを忖度して、このような軍配を上げたのではないか。

額田王は御言持ち歌人であった。天皇の気持ちを、巧みな詩語で言い表す役割が御言持ち歌人に課せられていた。宴の雰囲気をやわらげ、なおかつ天皇の声を代弁した。

 


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