はや八月が終わる。恥川の土手の桜の葉が黄色になっていた。今年は季節が早く巡っているのだろうか。秋が来るのも早いような気がする。蝉の声もいつの間にか聞こえなくなっている。草むらからは虫の音が聞こえ始めた。天気予報も東北を境に北で秋の気配、南では残暑。その中間に秋雨前線。しばらく秋雨が降るぐずついた気候になるらしい。清少納言の『枕草子』に
秋は夕暮。夕日のさして山のはいとちかうなりたるに、からすのねどころへ行くとて、みつよつ、ふたつみつなどととびいそぐさへあはれなり。まいて雁などのつらねたるが、いとちひさくみゆるはいとをかし。日入りはてて、風の音むしのねなど、はたいふべきにあらず。
と夕暮れの様子を書いたが、千年を経て、季節の移ろいは変わらないことがいまさらのように感じられる。ただ、街には光の洪水があふれ、本当の夜は深い山奥にいかなければ感じられない。日が落ちて、深い夜の闇に包まれる前の夕暮れ、薄明りはやはり清少納言の頃とは異なっている。堀口大学の詩「夕ぐれの時はよい時」も、そんな日本の古い歴史の時代に思いを寄せて読むべき詩である。
夕ぐれの時はよい時。
かぎりななくやさしいひと時。
それは季節にかかはらぬ、
冬ならば暖炉のかたはら、
夏ならば大樹の木かげ、
それはいつも神秘に満ち、
それはいつも人の心を誘う
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