9月に入って季節の移ろいが唐突に感じる。晩夏は花はないが、シュウメイギクやコスモスがあっという間に秋の色を演出する。その草陰から、コウロギの鳴き声がしきりに聞こえてきた。明治の文豪、国木田独歩の『武蔵野』が懐かしい。独歩が歩きながら見たのは、武蔵野の雑木林の秋だ。
「楢の類だから黄葉する。黄葉するから落葉する。時雨がささやく。凩が叫ぶ。一陣の風小高い丘を襲えば、幾千万の木の葉高く大空に舞うて、小鳥の群かの如く遠く飛び去る。木の葉落ち尽くせば、数十里の方域に亘る林が一時に裸体になって、蒼ずんだ冬の空が高く此の上に垂れ、武蔵野一面が一種の鎮静に入る。空気が一段と澄みわたる。遠い物音が鮮かに聞こえる。鳥の羽音、囀る声。風のそよぐ、鳴る、うそぶく、叫ぶ声。叢の蔭、林の奥にすだく虫の音、空車、荷車の林をめぐり、坂を下り、野路を横ぎる響」
秋という季節を通して歩くことで得られた武蔵野風景である。風の音ひとつにしても、その強弱によってこれほど多彩に表現される。自分の歩く狭い町内の道には、シュウメイギクや赤い木の実、コスモス、萩の花、ハナトラノオなどの秋の風景に過ぎないが、それでも秋を身近に感じられる幸せがある。
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