明治天皇
2020年01月09日 | 人
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慶応3年1月9日、明治天皇が孝明天皇崩御を受けて践祚した。この年天皇は14歳で、立太子礼を経ずに践祚している。即位礼は翌年8月27に行っている。践祚とは、皇位の象徴である三種の神器を受け継ぐことで、即位とは皇位についたことを天下に告知することである。明治元年3月14日、紫宸殿で百官、廷臣を引き連れて、「五箇条の御誓文」を発表した。
すでに歴史の教科書のも載った有名な文書で、かってはこれを暗記した記憶もある。新時代への新しい決意が述べられている。
一、広ク会議ヲ起興シ万機公論に決スベシ。
一、上下心ヲ一ニシテ、盛ニ経綸ヲ行フベシ。
一、官武一途庶民ニ至ル迄、各其志ヲ遂ゲ、人心ヲシテ倦ザラン事ヲ要ス。
一、旧来ノ陋習ヲ破リ、天地ノ公道ニ基クベシ。
一、知識ヲ世界ニ求メ、大イに皇基ヲ振起スベシ。
我国未曾有ノ変革ヲ為ントシ、朕躬ヲ以テ衆ニ先ジ、天地神明ニ誓ヒ、大ニ斯国是ヲ定メ、万民保全ノ道ヲ立んトス。衆亦此旨趣ニ基キ、協心努力セヨ。
昨年の10月22日、令和天皇の即位礼が行われたのは記憶に新しい。象徴天皇となった戦後の即位礼は、平成に続いて2度目である。五箇条の御誓文は、即位礼で述べられたものではないが、新しい時代へと入っていく並々ならぬ決意が述べられている。昨年、ラクビーの日本代表が活躍したキーワードは「ワンチーム」であったが、この文書からは、国全体をワンチームにしようとする熱意が感じられる。
だがその日に出された「国威宣揚の宸翰」なる文書の存在を忘れてはならない。この文書では、天皇を「父母」に、民衆をその「赤子」になぞらえて、民衆の天皇に対する犠牲をかえりみない献身を説いたものである。
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