今日は大寒。雪雲が流れて、時おり雲が切れて陽がさす時間があるものの、冷たい風と、遠くが見通せないような雪が降っている。それにしても、宮城県との境に背骨のように走奥羽山脈に仕切られた東と西の国では、これほども気候が違うものかあらためて思い知らされた。昨日、秋保温泉の少し東にある愛子の蕃山(356m)に登った。雪の多いこの地方には、雪のため登る山が少なくなる。高齢者の多い山の会のため、陽のあたる宮城県の山をこの時期に、恋しい青空と海を眺めようと山行リストに上げている。オミクロンというややこしい名のコロナウィルスが猖獗するなか、ここに登ろうとする人が12名も集まった。内男性5名。新年になって2回目のイベントだ。
登山口は瑞巌寺の末寺である大梅寺の参道から、イノシシ除けの柵を越えて山道に入る。無いはずの雪が、ここにも昨夜来、降っていたようで少し積もり、その下には凍結した氷が隠れている。坂道で、滑らないように注意しながら登る。林の上に広がる空は、澄みきった青さだ。山の向うの西の空は、雪雲が厚く広がり、いつまで降り続くのか、まったく見当がつかない。晴れを待つより、車を駆ってこの地に来ると、待ち望んだ青空に出会うことができる。
雪の量はたかが知れている。カンジキも履かず、アイゼンもなしで、滑ることにだけ注意を払って歩く。山賊の伝説もある山であるが、こんな明るい木立も少ない場所で、山賊がどうやって身を隠したのか。伝説が嘘のように思える解放感だ。これからの1年、今年の山の会にはどんなドラマが待っているのか、そんなことに思いを馳せ、木の枝を移りながら飛び回る小鳥の姿を愛でながらのんびりと、ゆっくりと宮城の山を楽しむ。山頂で一人の男性から。声をかけられた。「どちらからですか」「山形から」というと自分も。山形と言い、温泉はないですかね。天童の温泉の街から来た男性は、いつものように温泉で汗を流したいらしい。「こちらにはいい温泉がないね」「天童へ帰って入ったら」などと話が弾んだ。雪国の人は青空も恋しいが、すぐに入れる温泉も欲している。
今年の登山は何を目指すべきか。1年経つと変わる、山の先輩から言われた言葉だ。年齢に体力の低下は避けられない。身体に負担をかけない歩き方。行く山の選択も必要になる。いままで行ってこなかった体幹トレーニング。高齢者向けのトレーニングに絞って、毎日の日課にする。行うことは、今年はますます増えそうな気がする。
蕃山は2時間ほどで頂上に着いた。体力の落ちてきた人とゆっくり歩く山も増やしていくべきだろう。幅の広い年代が楽しい交流が起こなえる場としての山の会。山歩きはひとつの趣味に過ぎないが、人生の諸相を持っていることも事実だ。老いてからの歩き方を見つけることは、これからの生き方を見つけることでもある。