常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

ウメ満開

2023年03月11日 | 
散歩道のウメが満開。4月並の陽気が、ウメの開花を早めた。樹の下には、もうこぼれた花びらが落ちている。この分では、ほかの花も開花が早まるに違いない。外に出て、こんな花に出会うと気持ちがいい。散歩道を左折すると、300mほど先の庭にある梅の木だが、花のつけた枝が見えてくる。朝の風にのって、花の香りがかすかに感じられる。

咲き満ちて紅梅こぼる粗朶の上 渡辺千枝子

朝の光を浴びながら、スロージョギング。室内のエアロバイクから、徐々に戸外での、ウォーキング&ランへと移行できそうだ。オオイヌノフグリのあの可憐な花も咲き始めるだろう。山仲間のTさんが、ご主人と一緒に歩かれていた。早すぎる春を楽しむ、人それぞれのスタイル。中原中也の詩、「春」。

春は土と草とに新しい汗をかかせる。
その汗を乾かさうと、雲雀は空にあがる。
瓦屋根今朝不平がない。
長い校舎から合唱は空にあがる。

あゝ、しづかだしづかだ。
めぐり来た、これが今年の私の春だ。
むかし私の胸うった希望は今日を、
厳めしい紺青となって空から私に降りかかる。
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いろは坂

2023年03月10日 | 登山
釜房湖に近い宮城の里山、ししなご山と釜房山の2座に登ってきた。山中は花や緑はまだまだだが、道に落ちたドングリが芽を出し、気のはやいマンサクが咲いているのが見えた。15℃を超える気温である、水で喉を潤し、拭き出る汗をタオルで拭う場面の出番となった。ダム湖、釜房湖に面して、釜房山が聳える。湖畔に車を置いて、ジグザグの道を登っていくと、朽ちかけた仮名を書いた看板が立っている。

いろはにほへどちりぬるを わかよたれそつねならぬ
うゐのおくやまけふこへて あさきゆめみしゑひもせす

誰もが口にするいろは歌。前半で詠まれるのは、人の死である。「色は匂えど散りぬるを、我が世誰ぞ常ならむ」死に至るのは、高い山へ登ることにも例えられる。諸行無常 是生滅法。人の生は、どんな人も常ならないものだ。

ジグザグの道を通り、額に汗してついた境地。それが有為の奥山を越えることである。そこで開けて、見える光景は、夢でもなく、酔いでもない。人が初めて得る永遠の境地なのだ。この里山に、いろは坂と名付け、ひらがなの一文字を看板に立てたのは誰の知恵なのだろうか。48文字のうち見かけられのは、30文字程度だ。いろは歌の無常観を噛みしめる人生観も、看板が朽ちるとともに消滅していくのであろうか。

この日の参加者13名。ジグザグの行程を登ると、長い人の列が、壮観である。山中で春を訪ねる、初老のご夫婦もいた。栄存神社にお賽銭をあげ、手を合わせるお二人はなにを、神に祈るのか。死後の安楽か、それとも現生の無事か。興味をそそられる。
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福寿草

2023年03月08日 | 
春の楽しみは、日一日と暖かくなる陽ざしが一番。その恩恵をうけて、咲き始める春の花々に会えることだ。フクジュソウ、ウメの花、フキノトウ。きのう見つけた散歩道の花たちだ。思い思いに、陽射しをうけようと、精一杯開いて日の方に花を向けるフクジュソウは、餌を待つ、ひな鳥の姿勢に似ている。散歩道にあるお宅の庭に、手入れされた福寿草がかわいく咲いていた。片づけをしているこの家のご主人に「写真を撮らせてください」と声をかけて、収めた一枚。春の日を、この花とともに喜びたい。

福寿草家族のごとくかたまれり 福田蓼汀
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啓蟄

2023年03月06日 | 日記
きのう、24節季の啓蟄。朝のウォーキングで、満月前日の月をみることができた。ここ数日、お昼ごろ中天にかかっていた半月が、大きくなって朝の陽に輝いて見えた。啓蟄は、穴の中から虫がはい出してくる季節だ。ウォーキングで姿勢を確認する。骨盤を前傾させて、肩甲骨をひく感じで姿勢を正すと、歩きが軽くなって、気持ちがよくなる。晴れが続き、一段と春を感じさせる気候だ。先日の山歩きで、少しだけ筋肉痛が残っている。近所の庭にフクジュソウを見に行くが、まだ芽を伸ばす様子もない。気温は朝だけ零下になるが、日に日に、春らしい陽気である。水仙が茎を伸ばし始めた。

春もはや十色にあまる小草かな 青蘿

啓蟄は、穴から虫がはい出て来る季節だ。唐の詩人、杜甫もこの季節は早起きすると詩に詠んでいる。「春来常に早起し、幽事頗る相関す」と詠み、心の平穏を表現する。戸外に出て、坂道を下りたり上ったりしていると、牧童が酒甕をを抱えて帰ってきた、と何気ない朝の描写。そこに隠退した人の幸せがある。

知人から初どりのフキノトウを5つほどいただいた。玄関にチャイムがなり、今度は取れたての椎茸。年をとると、日々の暮らしを思いやってくれる人から頂き物が多くなる。黒田三佳の『森に暮らす』から。「フキノトウが出てたよ」は雪国の早春の挨拶。雪をとかした水を沸かし、このお湯で茹でると本当の春の味、と書いている。
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二ツ森

2023年03月04日 | 登山
尾花沢の二ツ森(695m)には、いまだ深い雪の中だ。牧場の上の山だが、駱駝のような二つ瘤の山だ。深い雪とはいえ、もうすぐ啓蟄、雪のなかで春が確実に始まっている。前日までふっていた雪もあがり、登山口の牛舎前の駐車場に着く頃には、日がさしてきた。青空の向こうに、懐かしい山容が雪化粧をして聳えている。夏道の登山口は、牧場のなかの道をぬけてすぐ麓にあるが、雪の季節は牧場の上の雪を踏んで行かなければならない。カンジキを付けた14名の一行が歩くと、たちまち雪の上に道ができる。誰も踏んだことことない雪の上に、道をつくる。実に雪の季節にしかできない、意義深い行動である。人は太古の昔から、こんな風に道を作り、一日の糧を求めて狩りをしてきたのだろう。

牧場を30分ほど歩いて、登山口につく。雪はすでに、融けかかったようにギシギシと音を立てている。沢沿いにある夏道を避け、雪崩の怖れのない尾根を登る。鞍部まで30分。夏道であれば、軽々と行けるが、雪の中は傾斜がきつく感じられる。鞍部に近づいて風が強くなる。牛舎付近ではおだやか気候が、急に風が強くなって、冷気も強い。鞍部から頂上までの20分、激しい風の呷られる。帽子を飛ばされる人。アイゼンに履き替えて、カンジキをリュックにくくりつけようとして、片方のカンジキが風に飛ばされる。体感では風速20mもあるように感じられる。身を屈し、風に耐えながら頂上に立つ。初めて参加した新人さんの言葉。「この風は一生忘れられない」

風のなか、灌木の枝につかまりながら下山。登山口に着く。あれほどの吹き荒れた風が嘘のように消えている。広がって三々五々、カップラーメンにお湯を注いで昼食。往復約2時間30分。徳良湖の花笠温泉で、身体の疲れを癒す。下山後の温泉も、コロナでずっと止めていたので、その効能を久しぶりに実感した。冬の期間、コアウォーキングとスロージョギングで準備した脚は、そこそこ雪の中でも使えている。下山の雪は、一歩ごとにぬかっていく。こんなことにも、春は感じられる。新緑と花の季節が待たれる。

枯山の背骨腰骨春めきぬ 林 翔

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