
青空にピンクの辛夷が映える。今年の春は季節を先取りしている。昨年から、この現象が始まっているように思える。3月に、桜が咲いているのを見るのは初めての経験だ。花が咲くと、蝶や小鳥が楽しそうに飛び回る。季節は先取りされても、春の喜びは、生きとし生けるものに等しく分かち合う。小鳥のさえずりを聞くにつけ、こんな詩に心ひかれる。
ま垣の草をゆひ結び
なさけ知る人にしるべせむ
春のうれひのきはまりて
春の鳥こそ音にも啼け
佐藤春夫の「車塵集」より。春鳥が啼くのは、妻問いのためである。こんな詩に触れながら、昨今の幼児虐待の世相を今さらのように信じられない。旧約聖書にこんなくだりがある。二人の遊女がソロモン王の前に出て、互いに、相手が我が子を盗んだと訴え出た。ソロモンの王は、「生ける子を二つに分かち、その半ばを此れに、半ばを彼に与えよ」と言い切った。つまり、子を半分に断ち切って、二人に分け与えるとしたのである。この王の裁きに、一人は自分は子を我がものにすることを諦めて、二つに断ち切ることを止めた。一方、もう一人は半分を受け取ると申し出た。王は、前者が本当の母と認めて、子を与えた。母の子への心を物語る故事である。