都七福神まいりの布袋様に詣でるために訪れた、宇治の「黄檗山 萬福寺」。


臨済宗、曹洞宗、黄檗宗という日本の禅宗のひとつ黄檗宗の大本山です。中国から江戸時代に渡来した隠元禅師により開創された寺院はすべて明朝様式。伽藍、建物、法具など、至る所に中国風の趣が漂っています。
萬福寺の主要な建造物23棟などは、国の重要文化財で、それらを回廊などが結びます。

伽藍最大の建造物、本堂の「大雄宝殿(だいおうほうでん)」は、日本唯一のチーク材による歴史的建造物。
堂々とした風格漂う建物です。

ご本尊は、釈迦牟尼仏。その両側には、十八羅漢像がズラリと並び、ご本尊をお守りしています。

禅の修業を行う場所のお寺では、本堂をはじめ、全体に凛として空気が…。

ここでの儀式作法は、明朝時代の仏教儀礼に基づいたもの。毎日のお経も、黄檗唐韻という中国語の発音で読まれまるのだそう。
ミモロは、本堂でお線香をあげ、参拝を。

建物の窓や長寿を司る桃の彫りものなど、ミモロがステキと思うものもいろいろ見つけました。


お寺の回廊を歩くと、珍しいものが次々にミモロの前に現れます。

「これ鐘だよねー」

「あ、叩くものがあるー」

「わー大きなお魚…」

ミモロが、一口で飲み込まれそうな大きさです。
これは、時を告げるために使われる法具で、木魚の原形の「開版(かいばん)」というもの。
「原形ということは、これがお魚の形しているから、他の形をしても、今、木魚っていわれるのかな?」なかなか鋭いミモロです。
説法を行う「法堂(はっとう)」の勾欄(こうらん)は、卍や卍くずしの文様。

そもそも卍は、洋の東西を問わず古くから吉祥文様として用いられています。
卍くずしは、卍をくずした形を連続させた文様。法隆寺の建造物にも見ることができます。
さて、回廊をぐるりとめぐり、スタート地点の三門のそばに、「開山堂」が。

ここは、隠元禅師をお祀りするお堂。隠元禅師は、後水尾法皇や四代将軍徳川家綱から崇敬された高僧で、承応3年(1654)に日本に来られた時は、63歳。20名の弟子と共に、3年ほどの滞在のつもりでいらしたそう。
隠元禅師が、日本にもたらしたものは、数多く、印刷技術、煎茶、普茶料理、インゲンマメ、スイカ、蓮根、木魚、孟宗竹など、今の私たちの生活に馴染みのものばかりです。
萬福寺の中でも、「普茶料理」という中国風精進料理が味わえます(要予約)。

「開山堂」のそばには、隠元禅師がもたらしたという隠元やぶが…。

「美味しいタケノコや大好物のスイカが食べられるのも、食後に煎茶が飲めるのも、隠元さまの御蔭だねー。ホント、はるばる来てくださって、ありがたい…」と、食いしん坊のミモロは感謝しきり。
食べ物だけでなく、隠元禅師の功績は、建築、美術、学問の分野でも、日本に大きな影響を与えました。
当初、短期間の滞在の予定が、日本側の懇願により、長きにわたり、ついに日本に骨を埋めることに。
「隠元禅師って、すごい方なんだねー。今度来るときは、功績をより体感するために、事前に普茶料理予約して来よう…」
やはり食べ物に心惹かれるミモロでした。

*「黄檗山 萬福寺」の詳しい情報は、ホームページで。

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