NHKの大河ドラマ「八重の桜」を、毎週楽しみに見ているミモロ。
先週から、京都守護職に任じられた会津藩主、松平容保が、いよいよ京都に入り、本陣を構える場面に入りました。
ミモロの住む岡崎エリアの北側に位置する「くろ谷金戒光明寺(くろだに こんかいこうみょうじ)」こそが、松平容保が本陣を構えた場所。ミモロの家からも歩いていける距離にあります。
「わーおうちの近くが、大河ドラマの舞台なんだー」と、昨年の「平清盛」に続き、京都が舞台になりました。
会津藩主、松平容保役の俳優、綾野剛さん。「ドラマのキャスティングの中で、最もピッタリしていて、藩主らしい歩きかたやしぐさなど、カッコイイ!」と、ミモロはすっかり容保のファンに。そこで、容保さんの縁りのお寺に行くことに。
折しも今は、「京の冬の旅 非公開文化財特別公開」の時期。
ここでの見どころは、巳年の守り本尊の「普賢菩薩画像」や日本三文殊のひとつ「中山文殊像」、重要文化財の「吉備観音像」ほかと、大方丈の「虎の間」「松の間」そして昨年完成した「紫雲の庭」など。でも、本殿の「御影堂」は、昭和19年に再建されたもの。そして方丈の「虎の間」「松の間」の襖絵も古いものではありません。
今回、ミモロが楽しみにしたのは、会津藩縁りの品々の展示です。(撮影は、できませんでした…あしからず)
藩士が着用した兜や鎧、新島八重がここを訪れた時の写真などが見られます。
「うーん、あんまり展示物多くないねー」と、ちょっとがっかりしたミモロ。
「でも、ここに松平容保さんがいらしたんだよねー」
ミモロの脳裏には、綾野剛さんの松平容保の姿が浮かんでいるよう。
方丈の前庭に対し、しばし思いを幕末へと馳せます。
京都守護職に任ぜられた会津藩主、松平容保ら藩士一行は、京都の三条大橋に到着後、京都の人々の熱烈な歓迎を受けながら、鴨川の東側の黒谷に本陣を置きます。
さて、本陣に選ばれた「くろ谷金戒光明寺」は、浄土宗の大本山のひとつで、黒谷と言っても谷ではなく、小高い山の上にあります。
実は、徳川家康が、幕府を守るために、京都の動きを常に監視する二条城に京都所司代を設置した折に、いざという時に備え、東山の浄土宗総本山「知恩院」とここ「くろ谷金戒光明寺」を、石垣などを持つ城構えにしました。この2か所は、共に京都の町を一望できる立地にあります。いわば城塞なのです。
さらに、「くろ谷金戒光明寺」は、鴨川を渡り、御所までは2キロほど。徒歩15分圏内という好立地。地図では、黒谷、御所、二条城は、ほぼ直線上に位置しているのです。
しかも、千人を越す会津の家臣を伴った上洛。その宿舎として、約4万坪の広大な敷地と52の宿坊がある黒谷は、まさに本陣を構えるには、これほどの場所はなかったのです。
確かに、このお寺に来るには、坂道を上ります。
そして、本殿に立つと、
京都の町が眼下に。昔は、淀川の流れ大坂城まで眺められたとか。
今も、京都タワーは、見えます。
また、「新選組」の近藤勇や芹沢鴨が、容保に拝謁したのもここ黒谷で、「新選組」発祥の地とも。
特別拝観の後、ミモロは、墓所のある山へとさらに上ります。
ミモロどこ行くの?
「あのねー、ここにお詣りするのー」と
山の頂付近にある何万とも思われる墓石が並ぶ墓所の一角に、鳥羽伏見の戦い、そして蛤御門の戦いでの戦死者を祀る「会津墓地」があります。
石垣で区切られた一角です。
現在も毎年、会津藩主松平家の末裔列席のもと、「会津藩殉難者追悼法要」が行われます。
幕末の歴史は、歴史がすべて勝者の記録であるように、徳川方は、悪者に描かれがち。でも、今回の大河ドラマは、会津サイドの視点で、多くの幕末ドラマとは、違った見方ができそうです。
「これからもっとここ、黒谷がドラマに登場するのねー楽しみー」と、すっかり大河ドラマにはまっているミモロです。
ちなみに、今回の非公開文化財特別公開で、昨年4月、法然上人の800年大遠忌の記念に作庭された「紫雲の庭」も公開。庭内には、「ご縁の道」という散策路も。
道の傍らに立つ石の塔の足元に、見つけた小さな石像にミモロは、興味を抱きます。
「あれーこれカエルの石像…なんでここにいるんだろ?」
お寺を案内する方に伺っても「え、そんなものありましたか?」と。
人生を映したという「ご縁の道」。「もしかして、これヨミガエルって意味?」と、ひとり勝手に解釈したミモロです。
*「くろ谷金戒光明寺」の詳しい情報はホームページで。
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