3月18日まで行われる「京の冬の旅」非公開文化財特別公開で、2つ目のお寺を訪ねたミモロ。それは清水寺の塔頭寺院「成就院」です。
いつ訪れても、観光客がいっぱいの「清水寺」。この日も、大勢の中国人観光客の姿が…。「清水寺」の北側にある塔頭の「成就院」は、ちょっと脇にずれただけなのに、ひっそりとした静けさに包まれていました。
「きっと外国の観光客の人たち、『京の冬の旅』っていうの、知らないんだと思う…」とミモロ。さすが、旅行のスケジュールにまで、組み込まれていないようです。
まずは、手水場でお清め…。非公開文化財特別公開と言っても、訪れるのは寺院。文化財を見学する前に、参拝を忘れてはいけません。
なだらかな坂を下った先に、目指す「成就院」があります。
「山に抱かれた静かなお寺だね~」とミモロは感じました。
ここは、寺院の中をはじめ、あの有名な「月の庭」の写真撮影も禁止。お見せできないのが残念です。寺によって、屋内は撮影禁止でも、庭はOKというところが多い中で、ここは全面禁止です。
ここ「成就院」は、室町時代、応仁の乱で焼失した清水寺の再建の折りに、創建されました。その後、幾度となく火災に見舞われ、現在の建物は、徳川家光が建立したものです。このお寺で、有名なのが「月の庭」と呼ばれる小堀遠州が作庭した、周囲の山を借景に取り込んだ名園。北に位置する庭の中心にある池に、月を映して眺めるもの。そこには、さぞや幻想的な世界が広がることでしょう。
なかなか変化に富んだ庭園で、ぜひ実際にご覧ください。
さて、このお寺でミモロが、関心を抱いたのは、住職であった月照上人です。
「え~あの月照上人って、このお寺の人だったんだ~」。NHKの大河ドラマ「篤姫」をご覧になった方は覚えていらっしゃるかも…。西郷隆盛と共に、鹿児島の錦江湾に入水し、命を落とした勤王の僧侶です。
この「成就院」で、月照上人と西郷隆盛は、親交を深め、尊王攘夷へと時代を進めてゆくのです。記録によると、月照上人は、眉目秀麗という、今でいう美坊主で、その姿から、自ずと人を惹きつけたといわれます。
すでに幕府方に、その行動を危険視されていた月照上人は、安政の大獄で、京都を追われ、鹿児島、薩摩藩に身を置きますが、西郷隆盛と共に、島流しされます。その途中、死を覚悟した二人は、錦江湾に身を投げます。月照上人、享年46歳。その弟である信海上人も捕えられ、獄死したと伝えられます。西郷隆盛は、一命を取り留め、その後、薩摩に戻され、幕府打倒へと、その力を注ぎます。
「きっとこのお寺で西郷隆盛と月照上人は、お月様を見たのかも…」とミモロ。
寺には、月照上人と信海上人をお祀りしている部屋があります。ミモロは、その前で、深々と頭を下げました。
「お寺の門のところに、辞世の句を刻んだ石碑がありますよ」と、お寺の説明をしてくださるガイドの方に聞いたミモロは、さっそくそこへ。
境内の一角にある大きな慰霊碑には、月照上人の辞世の句
「大君のためにはなにかをしからん 薩摩の追門に身は沈むとも」
また、信海上人は、
「西の海 あずまのそらとかはれども こころはおなじ君が代のため」と詠んでいます。
その傍らには、二人の死を悼んだ西郷隆盛の漢詩が刻まれています。
「幕末の京都って、すごい緊張感あったんだろうね~」。現在の穏やかな京都は、想像できないほどの緊張感に包まれていたのかもしれません。
さぁ、そろそろおうちに帰りましょ!「うん…」特別公開は、16時で受付終了。すでに帰り支度をしたガイド役の方々の姿が…。
境内の斜面に、おびただしい数の石仏が…。
「なんだろ?これ…」とミモロ。先ほど、お寺の説明をしてくださった方が、「これは、廃仏毀釈などで放置された石仏なんです」と。色とりどりの前掛けをされて、今は、安住の地を得た石仏たちです。
「さぁ、帰ろう…」と、トコトコとミモロは、清水寺のある山を下ります。
「また、特別公開のお寺、行こうね~」とやけに熱心なミモロ。「あと一か所訪ねて、スタンプもらうと、抹茶とお菓子や、コーヒーが無料で接待されるんだよ」と。なんだやはりお菓子狙いだったんだ~。
「え?そんなことないよ~」と、言いながら、足早に歩くミモロです。
*「成就院」は、清水寺の塔頭です。特別公開は、3月18日まで。公開時間は、10:00から16:00(受付終了) 拝観料は、一か所600円
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