ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

[百人一首」で知る平安時代の京都。研究家、河田久章先生が代表を務める「京都百人一首・かるた研究会」

2023-06-25 | 京都

百人一首のかるたを前に「坊主めくりしかしたことない…」というミモロ。

「実は、百人一首は、平安時代の京都を知る上で、とても素晴らしいものなんですよ」と教えていただきました。

この日、お友達に誘われて伺ったのは、京都西陣会館の西側。

駐車場の向こうに見える建物に向かいます。「へぇ~こんなところに入れる建物があるんだ~」と、堀川通に面した「西陣会館」には、何度も訪れているミモロですが、同じ敷地内にある建物は、上階は西陣団地になっていて、2階には、団体客向けのレストランがあります。その1階と地下には、伝統工芸の工房や資料館などがあるのです。

「ここ?」

そう、この日目指す「京都百人一首・かるた研究会」の事務所はここですよ~

「この階段下がるの?」古い建物だけに、地下に通じるエレベーターはなく、急の階段のみ…ゆっくり気を付けて…


地下1階にある「京都百人一首・かるた研究会」の事務所とたくさんの資料が並ぶスペースです。


そこでミモロがお会いしたのは、この研究会の代表をなさっている河田久章先生です。
「初めましてミモロです~。あの~百人一首って、坊主めくりしかしたことないんですけど…どういう魅力があるんですか?」とミモロ。

「それは、もったいない~百人一首ほど、平安時代の京都の様子や人々の心の動きなど、本当にいろいろなことを読み解くことができるんです」と河田久章先生。

百人一首の研究家として、書籍なども執筆。


百人一首を通して、平安時代の京都の町を紐解く講演会や講座、ウォーキング勉強会なども主宰なさっています。

河田先生と百人一首の出会いは、子供の頃。戦前からご家族でよく百人一首のかるたをなさっていたのでそう。
和歌に表された世界は、河田先生の心を捉え、そこから平安時代の京都に強く引き付けられることに。
東京などでお仕事をなさった後、京都に暮らしはじめ25年。本格的に百人一首の研究にその勢力を注ぎます。

[いろんなかるたがある~」

事務所スペースの壁面には、いままで集めた資料や書籍などが、所狭しと並び、古典からアニメ本まで、百人一首に関係するものが…。

「すごいみんな読んだんだ~」


8世紀末から12世紀末まで、400年間にわたる日本史の中でも長~い平安時代。
その歴史は、華やかな宮廷文化を生み出したと同時に、さまざまな権力闘争が繰り広げられた時代です。

「百人一首は、その時代を見てゆくのに、素晴らしい魅力を備えているんですよ」と河田先生。

「結構、平安時代の京都のことって、あまり知られていないんです」という河田先生。
そこで、百人一首の歌に関係する場所などを訪れるウォーキングツアーなども行っています。

この日は、10時から先生の講義が行われました。

ミモロも特別に参加させていただくことに…。

「百人一首は、勅撰和歌集から選ばれたもので、その選者は藤原定家です。登場するのは、平安時代の歌人ですが、白鳳時代の天智天皇と持統天皇、柿本人麻呂など7名は、「万葉集」などの歌を平安時代の歌にして登場させています。
男性は79名、女性は21名で、男性の天皇、皇族、貴族など身分が高い人が中心で、特に優れた歌仙に選ばれた人が53名が登場しています…」
ミモロは、興味津々…「前に、百人一首について習ったことあったことも忘れてた~」と、学習が見につかないミモロでした。

講義の後は、参加者によるかるたの時間が…


机の上に並べられた札を真剣に見つめます。

江戸時代から人々に普及したかるた…今やさまざまな競技大会が開かれ、ゲームの格闘技とまで言われる激しいものに…。
それも、百人一首の楽しみ方のひとつ…。

かるたは、小さなミモロにとっては不利。手が伸びませんから…

そこで興味を抱いたのは、やはり歌自体…。九条道家の命により、文暦2年(1235)完成した「新勅撰和歌集」が「百人一首」の原型と言われます。でも、現在まで受け継がれる百人一首とは、登場する歌人に違いが…。現在の元になったと言われるのが、後に、定家が、親戚にあたる宇都宮蓮生に依頼された嵯峨の山荘に飾る色紙。

「百人一首は、嵯峨で生まれたと思っている人もいますが、宮中の和歌の専門部署で作られています」と。

今、多くの人が知る「百人一首」の99番目は後鳥羽院、そして100番目は順徳院ですが、完成当時、鎌倉幕府に反旗を翻し「承久の乱」を興し、島流しになった二人の院の歌は、幕府への配慮から外され、別の歌人のものが…。

後の定家の色紙には、二人が登場。でも、優れた歌人として知られる定家と後鳥羽院は、歌のことで対立し、定家は排斥。しかし、その後起こった承久の乱で、後鳥羽院が島流しになり、再び表舞台に返り咲くことに。自分の運命を翻弄した後鳥羽院ながら、その歌の才能を認めていた定家は、歌人としてリスペクトしたのかも…。

「あ、後鳥羽院って、法然上人と親鸞上人を島流しにした人だよね~」とミモロ。ミモロが何度も訪れている鹿ケ谷の「安楽寺」の鈴虫・松虫の女房たちの話も頭に浮かびます。百人一首に登場する歌人それぞれの人生を思うだけでも、興味深いものがあります。

さまざまな時代背景を映し出す「百人一首」。
大人になってから、じっくり読み込むと、その面白さが伝わってくるのだそう。

15年前に創立した「京都百人一首・かるた研究会」には、そんな方々が多く参加なさっています。


「また、百人一首のお勉強しようかな?」と、河田先生のお話を伺って思うミモロでした。
 

ぜひ「百人一首」に興味を持たれた方は、「京都百人一首・かるた研究会」へ。
お問い合わせ先:090-9879-1010(河田)まで

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重森三玲作庭の庭を楽しむ。「東福寺」の「霊雲院」の美しい白砂のお庭。

2023-06-24 | 寺社仏閣

「清々しい雰囲気のお庭だね~」とミモロが見つめるのは、「東福寺」の塔頭「霊雲院」のお庭です。


室町時代に、高僧の誉れが高かった岐陽方秀(ぎよう ほうしゅう)が、明徳元年(1390)に開いた塔頭で、江戸時代に「霊雲院」となりました。


「東福寺」の南東に位置するお寺で、お庭が拝観ができます。


拝観受付時間は、11:00~14:00


ミモロもさっそく中へ…。

書院の前方には、白砂の「九山八海」の庭が広がります。これは、作庭家・重森三玲が修復したもの。創建当時から名庭と言われたお庭ですが、長い歳月で荒廃。それを昭和45年に重森三玲が修復したのです。

「あれ?庭の真ん中に、灯籠みたいのが立ってる…」

庭の中央にあるのは、「遺愛石」と呼ばれる石で、須弥山を表しているのだそう。
そもそもこの石は、肥後の藩主細川家の庭にあったもので、霊雲院の第七世住持となった肥後出身の僧、湘雪守(しょうせつしゅげん)が、京都に向かう折に、それを親交があった藩主の細川忠利が、五百石を祝いに贈ろうとしたのだそう。でも、禅僧である彼は、それを固辞し、代わりに庭の石を所望。それがこの石なのです。

京都に運ばれた石は、寺宝として庭に置かれ、その上には、松が茂っていて、参拝者の注目を集めたとか。江戸時代の旅のガイドブックである「都林泉名勝図会」にも、珍しい石として紹介されています。

そんなお話を庭を見ながら伺うミモロです。


また、書院の西側にも重森三玲の庭が広がります。

さて、書院にあるこじんまりとしたお部屋…。これは、幕末、尊王攘夷の志士であった清水寺の月照上人が、ここに幕府の追求を逃れるために潜伏。西郷隆盛と密談したお部屋で、平成25年に再現されました。


月照上人は、追手から逃れるために、東福寺の他の塔頭にも潜伏。
「本当に、大変だったんだね~」と思うミモロです。

「東福寺」の他の塔頭の庭も手掛ける重森三玲。ここには、直筆の書が残ります。

「無、無、無」と描かれた書。「ムムム?」と声を出して読むミモロでした。

入口そばのガラスケースには、バラライカのような楽器が…。

これらの楽器は、日露戦争で捕虜となったロシア兵が作り、残していったもの。
なんでも当時、東福寺のいろいろな塔頭に、なんと1500人ものロシア兵が捕虜として収容され、ここ「霊雲院」にも50人が八か月に渡り滞在していたのだそう。
「え~そんなにたくさんのロシアの人が、ここに暮らしていたんだ~」
彼らは、時間を見つけては、楽器作りにいそしみ、それで故郷の音楽を奏で、心を癒していたのでしょう。

ロシア兵たちが見たのは、今のように整ったお庭ではなかったはず…。


美しいお庭を拝見し、心豊かになった気がするミモロなのでした。


*「霊雲院」の詳しい情報はホームページで

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編み物初心者のミモロががんばったドイツの民芸手芸「クンストレース」。その巧みな技は感動的!

2023-06-23 | 体験

「これが、カギ編みじゃなくて、棒編みで編むって信じられない!」ということで、それを体験したミモロ。

ちょっと見は、カギ編みで編んだパイナップル編みのよう…でも、これ、棒編みで編むドイツの民芸手芸「クンストレース」です。

4月のある日、大胆にも編み物をほとんどやったことがないミモロは、京都東山三条の「古川町商店街」で開催された西陣のレースメーカー「LILY LACE]の「クンストレース体験イベント」に参加しました。

ベテランの方の付きっ切りで、馴れない手つきで、必死に頑張るミモロ。


イベントの開催時間2時間半を過ぎても、まだ終わりません。すでに編み物の経験者の参加者は、作業を終えて、会場からひとりふたりと次々に帰ってゆきます。作業の終わらないミモロは、居残り…「なんとか終えないと…お家では、とてもできないもの…」と。そう、編み方の作業図を読むのも大変なミモロ、途中で終えるわけにはいきません。

1時間以上超過して、やっと編み図に書いてある編み方をすべて終了。


編み棒を外しながら、縁をかがります。「これでいいですか?」


「では、最後に、縁に少し飾りを付けましょうね」と。

カギ編みで、縁の形を整えながら、装飾を編みます。

それが終わったら、編む作業は終了です。
「できた~」と、編んだコースターを持ちながら、呆然自失の表情のミモロ。

4時間近くの集中作業…ボ~とするのもわかります。「もうフラフラ~」

こでが、ミモロが編んだクンストレースのコースター


「わ~い!できた~よ~」としばらくして、作品を頭にかぶりおどける余裕も取り戻しました。


「では、仕上げをしましょうね~」と、今回ご指導くださった「クンストレース」の先生の福子アラクネーさん。


フニャフニャと波打つようなコースターを、きちんとした形に仕上げる作業が行われます。

「どうですか?」と、初作品を見て頂くミモロ。「大丈夫…ちゃんと編めてますね~」と言われ、ホッとします。

フニャフニャの作品を、ピンで固定して、その形を整えます。


そして当て布をしてアイロンがけを…


「わ~平らになった~」


これがミモロのコースターの完成した姿。

アイロン前は、小さなコースターだと思っていましたが、完成すると直径20センチ以上の花瓶敷に…
2つに折れば、ミモロの肩かけにもなりそうです。

「ミモロちゃん、よく頑張りましたね~」とご指導くださった福子アラクネーさんと付きっ切りで見てくださったベテランの仙波さん。

本当にお世話になりました。参加者は、メリヤス編みができれば…ということでしたが、やはり編み物に馴れた手をもっていることが必要そう。

福子アラクネーさんは、ベッドカバーサイズの作品なども多数作られています。
「すごいね~」とただただ感動するミモロ。

クンストレースって、本当にすごい編み物。普通の編み物のような編み図ではなく、段ごとに編み目が記号で示されています。それが解読できれば、簡単なのだとか。その編み方を継承しているのが、福子アラクネーさんなのです。

「この頃、編み物をする人が少なくなっているんですよ~」と福子アラクネーさん。
「確かに、ママの時代って、バレンタインやクリスマスに好きな人に手編みのマフラー編むのが流行ったんだって~。ママは、編み物苦手だからできなかったんだって…」と、余計なことまでバラすミモロ。

手編みのセーターを着ている人も少ないのでは?
かつて、手編みのセーターは、ほどいて、他のものに編みかえたりして、何度も毛糸を大切に使ったもの。
「それって、SDG’sかも…」はじめはセーターで、最後は、毛糸のパンツに編みかえられた毛糸も…。

もっと編み物をする人が増えるといいですね~

「クンストレース」を習いたい人は、京都リビング新聞社カルチャー倶楽部で、講座が行われています。ぜひ、そちらへ


「いろいろお世話になりました~ありがとうございました」作業時間を大幅に超過しながらもお付き合いくださった「LILY LACE]の西村社長に手を振ってお別れを…

「う~疲れた~でも、クンストレースの凄さわかって楽しかった~」というミモロでした。

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ドイツの民芸手芸「クンストレース」体験。棒編みで作る複雑な模様。どうしてできるの?と不思議

2023-06-22 | 体験

「う~不思議~どうして模様編みができるんだろ?」とミモロが編んでいるのは、「クンストレース」によるコースター

カギ編みで作るパイナップル編みのような模様を、なんと棒編みで作るのです。

これは、ドイツの民芸手芸「クンストレース」。修道院などで作られ、ヨーロッパの女性たちの間で流行った編み物です。
ミモロがそれを知ったのは、4月に京都東山の古川町商店街で開催された「LILY LACE]という西陣のレースメーカーのイベントで。

「ミモロちゃんもよかったら、クンストレースやってみませんか?」と西村社長に誘われて、自分の編み物の技術を考えず「はい、ぜひ~」と参加することになったのでした。


それで、その後、今回ご紹介する体験講座へやって来たのです。
講師は、日本におけるクンストレースの技術を継承する福子アラクネーさん。

さまざまなカルチャースクールで、長年ご指導に当たられています。作品の写真集なども出版。日本におけるクンストレースの普及に尽力なさっています。

そもそも複雑な模様を編む「クンストレース」

「なんでこれが編み棒でできるの?カギ編みならわかるけど…」というミモロは、その謎が知りたくて参加しました。
編み物には、設計図のような網目を示す指示書があります。それを見ても、ちんぷんかんぷんなミモロ。

「不思議な地図みたい…」

さぁ、クンストレース講座が始まります。
「ミモロちゃん、どの色がいいですか?」と、この日使う毛糸を選びます。

今回は、クンストレースの初心者講座なので、使うのは、太目の毛糸ですが、本来使うのは、非常に細いレース糸などです。

テーブルの上に用意された道具。編み棒の他に、カギ編みの編み棒などが


講師の福子アラクネーさんの説明を伺い、いよいよ実際に編み始めます。


今回の講座に参加なさった方々は、すでに編み物のベテランばかり。ミモロのようなほとんど編み物をしたことがないという人はいません。大丈夫???ミモロ・・・・

「う~ん、見てもよくわからない…」

今回作る小さなコースターの編み方を示す紙を見ても、「う~暗号みたい…どういうことか全くわからない…」
編み方の紙の上には、K1,KB1など、アルファベットと数字が並んで、それを読み込みながら編むのです。

「ともかく編み始めるところを作りましょうね」と…

中心から、外側に編み広げてゆくので、中心部は、カギ編みでスタート


それを丸くした部分に編み棒を入れて、いよいよ編み始めます。
 

「さぁ、ここから掛け目をやって…」と、ミモロには、マンツーマン指導が…


「え~と、掛け目、表編み、掛け目、表編み…」と、一目一目編みます。


「はい、その調子です…」と、ミモロを手伝ってくださるベテランの方。

「あ、まちがっちゃったかも…」とミモロ。「どれどれ…」
一目でも編み間違えると、その後に大きな影響をもたらすため、編みなおしを…
「はい、ここね~」とミモロが編み間違えた部分を修正してくださいました。


「さぁ、ここからまた、ミモロちゃんがんばって~」と。

「はい…」必死に頑張るミモロですが、何しろ、編み物をほとんどやったことがないので、真剣に網目を見つめる目もチカチカしてきます。

今回の講座で作るのは、小さなコースターなので、他の編み物の経験豊かな参加は、もう次々に作業を終えています。
「ウ~むずかしい…」でも、途中で投げ出すわけにはいきません。がんばれ!ミモロ…


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新選組とゆかりの深い島原「角屋(すみや)」。江戸の風情漂う建物見学「角屋もたなしの文化美術館」

2023-06-21 | 博物館・美術館

「壬生寺」を訪れていたミモロ。「この辺りって、新選組とゆかりが深いんだよね~」と。


そう、幕末、京都の治安を守るため幕府が作った新選組が滞在する、壬生屯所があったところ。

「その時代の京都って、いろいろ物騒だったんだしょ?」とミモロ。尊王攘夷・倒幕運動を行う長州や土佐、薩摩藩の志士たちと、それを抑えようとする江戸幕府の諸藩の人たちが、それぞれの思いから活動していた時代です。

多くの人たちが集まる京都は、とても華やかな町で、宴会なども盛んに行われていたのです。
そんな宴会の場所のひとつが、壬生にほど近い場所にある島原です。

「ここ、なんかタイムトリップしたみたい~」

その時代の風情が今も残る、京都でも貴重なエリア。

花街である島原…「なんでまるで九州の地名みたいなの?」とミモロ。
実は、以前、六条三筋町というところにあった幕府公認の花街が、寛永18年(1641)に、現在の場所に移転を命令されます。大騒ぎとなった移転が、寛永15年に起こった島原の乱を思わせる騒ぎということで、京都の人々は「島原」と、その移転場所を呼ぶようになったのだそう。

「ウ~本当の島原の乱とは、全然違うと思うけど…」とミモロ。ともかく大変だったということでしょう。

さて、花街というと遊郭などのイメージと混同されますが、島原は、とても文芸活動が盛んで、多くの文人たちが集い活動を行った場所なのです。

そんな島原にある「角屋」へ、ミモロは訪れました。


格子が外側を囲む近世初期の京都の町家の姿を今に留める建物。


中に進むと、赤い壁…これは、高級壁で、ここが他とは違う高級な場所であることを示しているのだとか。


蔦をモチーフにしたデザインの暖簾の奥が、入ることが許されるゲストが過ごせる世界の始まりです。


入口には、刀を預ける場所が…

[ここには、坂本龍馬も、西郷隆盛も、近藤勇や土方歳三なんか、幕末に活躍する人たちが出入りしてたんだしょ」とミモロ。そう、まさに地方から京都に来たら、ぜひ行ってみたい憧れの場所だったのです。

そもそも「角屋」は、現在の料亭にあたる宴の場所。
そのため、大きな台所もそなえています。

「ここで、いろんなお料理作ったんだね~」ずらりと並ぶ釜の多さから、宴の規模の大きさが伺えます。

饗宴の施設ですから、大きな座敷がいろいろあり、そのひとつが、金色の襖絵もまぶしい豪華な座敷。

「りっぱな襖絵だね~」


そして、座敷からは、見事な庭も眺められます。

宴は、夜だけでなく、昼間も行われ、この場所には、女性客も多く訪れ、お茶会や料理を楽しむ宴なども行われたのです。

「ここ氷室で食べ物保管したんだって~大型冷蔵庫だね~どんなお料理出てたんだろ?」と食べ物に興味をもつミモロ。
 

かつて頼山陽は、故郷から母親を京都に伴い、宴会でもたなし、親孝行の場所にもなったのだとか。

つまり、「島原」をよく時代劇に登場する遊郭「吉原」と一字違いで混同している人も多いかもしれませんが、全くの別物。まさに京都の文化サロンであり、大規模な料亭なのです。

島原には、太夫という接待する女性がいます。太夫は、舞や音曲、お茶、お花、和歌、俳句などあらゆる教養を身に着けた芸妓界の最高位の女性。また、よく混同する花魁は、芸を披露しない娼妓部門のトップ。一見、似たような華やかな姿ですが、帯の結び方が違うのだそう。
「時代劇見たら、その違いわかるかな?」とミモロ。う~どうかな???

明治時代以降は、京都の各藩の藩邸もなくなり、天皇も東京に遷られるなど、人口が急減した京都。
大規模の宴会も少なくなり、京都の賑わいは、観光名所の多い、鴨川沿いへ。島原は町全体が寂れてゆきます。

現在「角屋」は、平成10年から「角屋もてなしの文化美術館」として「角屋保存会」が建物や美術品などの保存と公開を行っています。

建物は、昭和27年に国の重要文化財に、そして庭は平成22年に京都市指定名勝に指定されました。

ぜひ京都の趣が残る島原エリアへ。
「角屋」の見学もみどころいっぱいです。


*「角屋もてなしの文化美術館」の詳しい情報はホームページで

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