3月に大学を卒業する孫娘がやってきた。我が家の隣りの住居に残してある品物を見定めにきたのだ。カミさんが「ひとり暮らしするようになったら」と整理して置いたものだ。夥しいタオルセットや食器がいくつかの段ボールに分けて入れてある。そんな中に中身が記されていない箱があった。「なに、これ?」と言いながら箱を開いて、「えっ、ウソ!」と声を上げた。
箱の中は孫娘が友だちからもらった手紙がぎっしり詰まっている。「どうしよう?」と言うので、「いらないものなら処分しておくよ」と言うと、「ちょっと見てみる」と言い、手紙を読み始めた。手紙といっても郵送されたものではなく、流行りの折り方でしっかり折りたたんである小さな紙だ。小学校の時に友だちとやり取りしたものだが、覚えのない名前のものもあるらしい。
読みながら、「なに、これ、怖い」と声を上げる。「どうしたの?」と聞くと、「絶対人には見せないでねと書いてある」とか、「私はあなたが好きだけど、あなたが私のことが好きでないなら、ハッキリ言ってねって。怖くない?」と言う。孫娘はみんなから慕われるタイプだけど、自分から白黒つけることは苦手だ。「どうしてみんなと仲良くしてはいけないのかしら」と子どもの頃から不思議がっていた。
大学生の今も親しい友だちがいるが、そのうちのひとりがみんなとの卒業旅行に参加しなかった。その参加しなかった人が故郷の友だちとスキーに出かけ、それをツイッターに載せたところ、「やっぱり、私たちより故郷の友だちの方がいいのよね」とラインに書き込みが始まり、どんどんエスカレートして、「ウソつきの友だちはいらない」とか「平気な顔で友だちのふりをしないで」と、激しい口調で非難する書き込みが続いたと言う。
「そういうの、耐えられない」と孫娘は言う。昔なら陰口だったものが、今ではスマホだから表口になっている。直接会っていないから、平気で汚く罵る。そんなものは見なければいいと思うが、「自分のことだと思うと、悲しくて絶望的になるのよ。だから私はそういうのには参加しない。嫌われるかも知れないけど、悪口言うよりずっといい」と言う。うん、大人になったと感心する。