友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

合格して本当によかった

2017年03月27日 19時13分00秒 | Weblog

 大学を卒業した孫娘は母親と同じ看護の道を選んだ。国家試験の結果が発表され、孫娘から「合格したよ」と連絡があった。大丈夫だろうとは思っていてが、実際に「合格」の声を聞くまでは不安だった。長女の時はそれほど心配しなかったが、孫娘はここ番という時に「エツ?」ということが度々あった。あんなに努力しているのにどうしてなのと思うほど不運な子だったから、結果を聞くまでは心配だった。

 既に希望していた病院に内定しているのに、国家試験に合格しなければ採用とはならない。下宿先まで決めてきたから、何としてでも合格していますようにと祈るばかりだった。彼女がいくら給与をもらうのか知らないが、看護師になれたからこれからはひとりでも生きていける。先輩である長女は「看護師は勤務の日も時間も普通の人と違う。遊ぶ時間はないから貯まるよ」と娘に言い聞かせていた。

 これからの社会は確実に厳しくなる。私たち年金生活者の受け取る金額は物価の下落に合わせて下がる。社会保障費は上がるが、具体的にどこに回るのだろう。世界は「自国第一主義」へと向かっているから、この考え方では景気はますます後退するだろう。困っている人がいても「自己責任」と切り捨て、格差はいっそう拡大していく。富裕層はより富を増やすが、中間層は低所得層へ転落していく。それでもその下が拡大しているので怒りは爆発しないだろう。

 カミさんは友だちと、少しでも支出を減らしたいと保険料の支払いを検討している。私は転職を何度かし、年金を支払えなかった時期もあり、年金支給はわずかしかない。それでも生活出来ているのは、定年まで勤め上げたカミさんの支給金額が多いからだ。だから我が家の財政には一切タッチしていない。カミさんは怒るけれど、金に縛られて生活するのは耐えられない。「なるようにしかならない」を逃げ口上にしている。

 孫娘から下宿先となるマンションを見に来て欲しいと電話が入った。新生活に必要な物を買い揃えたいようだが、一度に用意することはない。無くては困るものから少しずつ揃えていけばいい。そう言ってもババはきっとあれもこれもと思うだろう。どうかよろしくお願いします。

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