友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

自分で育てるから愛おしい

2017年03月19日 17時49分51秒 | Weblog

 ルーフバルコニーのバラの鉢にやっと肥料を施す。寒い日や風の強い日が続き、なかなか作業が出来なかったが、今日の午前中は比較的穏やかだったので、思い切ってルーフバルコニーへ出た。それでもやはり外は寒い。バラもかなり新芽が伸びてきた。やはり昨秋に鉢の土を入れ替えたことがよかったようだ。

 評論家の寺島実郎氏が、日本は先進国の中で食糧自給率が最低であるから、「都市郊外にリタイアした人たちがシステムとして農業の一翼を担う形で参画することが、日本の高齢化社会のパラダイムを変える」と提案している。評論家というのは現実を知らないようだ。我が町の1坪農園はほとんどが高齢者か女性だ。農業塾の生徒も同様で、高齢者と女性が多い。

 もうすでに、農業の一翼を高齢者と女性が担い、日常の野菜を自給自足している。野菜作りは自然任せだから難しいが、「だからこそ創意工夫が面白い」と先輩たちは言う。家は農家だったのかと聞けば、多くの人が「初めてのことで見て勉強している」と答える。互いに「こうしたらいい」とか「種から育てた方が安上がりだ」とか教え合っているようだ。

 今はまだ高齢者が多いけれど、そのうち「何をしていいのか分からない」と行く末を気にする若者たちが、「農業」に興味を抱くようになるかも知れない。効率を最も大切か価値と考えてきたけれど、そうではない社会に向かう、いや向かわざるを得ないのではないかと思う。私は野菜作りに自信がないのでもっぱら花を楽しんでいるが、ルーフバルコニーに置いた鉢の花は寒さのために開花が遅いが、室内に置いておくと急激に成長する。

 野菜もハウスで工場生産のように育てるところもあるが、1坪農園の人たちが言うように、形も不揃いで虫食いがあっても、「農薬を使っていないから安心で美味い」のだ。確かに獲れたての野菜を時々いただくが甘くて美味しい。今日も1坪農園で人々が作業している。自分で育てたものは花でも野菜でも愛おして価値がある。

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