友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

突然の電話

2017年03月10日 18時32分29秒 | Weblog

 電話がかかってきて長々と相談された。「隣りの家の工事で自分のところのブロック塀が壊されたのに、未だに何も言って来ない。警察に言ったら、弁護士に頼んだらどうかと言われた。それで弁護士のところへ連れて行って欲しい」ということだった。私はもう議員ではないし、直接に弁護士と話してもらいたいと思ったが、「心臓も手足も悪くて、歩くのも苦しい」と言われては、「ひとりで行ってください」とは言いづらい。

 「工事をしたのはどこの会社?」と訊ねても「分からない」と言い、「工事の人は直しますからと言ってくれた。信じて待っていた」と自分の落ち度を認めない。「工事を始める時に持ってきたタオルはあるが、住所も電話番号もない」と言うので、そのタオルを見せてもらった。会社名は分かったが、「ブロック塀を壊したのがいつなのか?」と訊ねると、これもはっきりしない。

 こんな曖昧なことで弁護士が相談にのってくれるのか不安だが、私が結論を出すわけではないし、弁護士のところへ連れて行かなければ本人は納得しないだろう。「慰謝料だって取れる」と馬鹿なことを言う人までいて、本人も半分その気になっている。ところが弁護士から、「工事中ならともかく、すでに2年も経ていると、建設会社の工事が原因と決めつける確かな証拠としては弱い。ブロック塀を修理して欲しいと手紙を出してみたらどうか」と言われる。

 本人は納得できない様子だったが、「請求は3年過ぎると時効になってしまう」と言われ、「入退院を繰り返していたから」とまた弁明する。どういう事情であれ、何もしてこなかったのだから、ここは相手の誠意にすがるしかない。弁護士に聞いてもらえたことで一応安心したのか、「せっかく名古屋まで来たから、美味しいものを食べに行こう」と言う。「まだ、3時を過ぎたばかりだよ」と時計を見せると、「お茶ならいいでしょう。大名古屋ビルへ行きたい」と言う。

 どこまでわがままな人だと思ったけれど、話し相手がいない高齢者は誰も同じだ。「駅前は駐車に困る」と言ってはみたが収まりそうにない。誠に申し訳ないが、若い女性とお茶するならいいが、付き合う方が辛い。そう思いながらも空いていたミッドランドの駐車場に車を入れ、お茶することにした。

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