『侍 準決勝へ』の見出しが躍る。WBCで日本チームはイスラエルチームに勝ち、いよいよアメリカでの準決勝戦に臨む。昨日の試合は打撃戦だけでなく、相手チームのミスも大きかったが、「運も実力のうち」ということだろう。それにしても、どうして「侍」なのかとヘンなことが気になった。スポーツは「戦い」なので、戦いなら「侍」と結びついたのだろう。「百姓ジャパン」では強そうなイメージが湧かないから仕方ないか‥。
「侍」が好きな人は今もいる。そんなひとりである昭和11年生まれの先輩から電話があり、喫茶店で待ち合わせた。歴史好きのこの人は政治好きでもあり、いろんな話を聞かせてくれる。話していたら歴史上の人物の名前を忘れたのか、いきなりポケットからスマホを取り出し、「ちょっと待ってね」と太い指で操作し始めた。「えっ、そんなことが出来るんですか。私の孫も何でもスマホで調べて教えてくれるけど、私は出来ないので、凄いですね」と感心した。
私が「息子さんから?」と聞くと、「いや、自分でボケ防止のために買った」と言う。若い時は銀行員で、政治家とも付き合い、その人脈で仕事をしてきた。戦後社会を支えてきたのはこういうモーレツ社員だった。私が3月14日のブログで『残業よりも労働時間の短縮』と書いた同日に、中学からの友だちもブログで残業問題に触れていた。彼は大企業の下請け会社で営業を担当していて、月100時間の残業は当たり前だった。
そして「誤解を恐れずに言えば、残業100時間で過労死や自殺死をする人は、残業そのものよりも他に原因があったのではなかろうか。仕事に対する適性がないのに残業を強要されるとか、上司のパワハラで残業を強いられるとか、そんな事情を抱えていたのではなかろうか。私の場合、少なくても営業担当を任された33年間は、たとえ月に100時間の残業をしたとしても、苦しさよりも充実感の方が勝っていた」と。
私も自分で始めた地域新聞だったので、寝る間を惜しんで働いた。あの頃はそれが「報われた」時代だった。今とはずいぶん時代が違う。車を買ったり、家を買ったり、それが当然の時代で、家族旅行にも出かけた。満たされていなかったから夢だったが、今の若い人たちはどんなことが夢なのだろう。