友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

思考停止にならない

2017年03月05日 17時07分39秒 | Weblog

 男女共同参画事業フェスタが今年も開かれた。大和塾の時にお世話になりながら、解散したから知らないというのは私としては無責任な気がして出かけた。やっていることは例年と変わらないが、参加者はちょっと少ない。担当の職員が「もう少し人集めに工夫が必要ですね」と話しかけてくれたけれど、一般市民にとっては男女共同参画に関心が無いように思う。

 男女平等が男女共同参画と言い換えられて、中身までも変わってしまった。会社・仕事での賃金や制度の男女差を無くすことだったのに、いつの間にか家庭で男女が一緒に家事や育児をすることに矮小化されてしまった。政治家に女性が少ないからと、女性であれば誰でもいいような風潮さえある。女性が政治家になりにくい社会の仕組みが改められることなく、女性政治家が求められたから、「男性的」な女性政治家しか生まれなかった。

 静岡文化芸術大学の溝口紀子教授が『柔道史から男女共同参画のみちを考える』と題して講演した。先進国の中で日本は男女差がますます広がっているのは、派遣労働やパート労働の受け皿に女性がなっているためだと指摘する。アメリカも雇用が閉ざされ、女性の賃金が下がる傾向にあるという。世界で最も男女差が少ないアイスランドのようになるには170年かかるとも指摘する。

 近代スポーツは上流社会から生まれた。まず男性たちが夢中になり、続いて上流社会の女性たちにも広がったけれど、明らかに男性上位の時代が続いたが、男女同権思想の普及でスポーツの世界も次第に変化していった。柔道が欧州に伝わったのは、女性にも選挙権を与えよという女性活動家がデモを押さえようとした男性警察官を投げ飛ばし、「小が大を制する」哲学として広がったというエピソードも紹介された。

 日本の柔道界では「しごき」が当たり前だった。13人の女性代表選手が声を上げたことで、女性だけでなく男性の「しごき」も無くなり、一気に世界大会でメダルが取れるようになった。溝口さんは言う。「思考停止にならないこと。おかしいと思ったら反論すること」。全くその通りだ。もっと若い人たちに聞いて欲しかった。

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