日曜日の朝、友だちのところへランタナを持って行った。彼の庭はすっかり緑が濃くなっていた。庭の中央に大きな琵琶の木が幾つもの実をつけている。この木は私が差し上げた「琵琶の実を植えておいたところ、こんなに大きくなった」と言う。私はもうすっかり忘れていたのに、彼は覚えていた。「このアジサイもいただいたものだよ」と言う。我が家のアジサイよりも緑が濃くて美しい。
人は覚えていることと、忘れてしまっていることがある。自分に印象がなければ、なかなか覚えていることは無い。年寄りが昔のことをよく覚えているのは、それだけ印象に残ることであったり、物であったり、場所であったりするからだろう。忘れていることの方がはるかに多いのに、覚えていることはかなり細かなところまで思い出すから不思議だ。
我が家のルーフバルコニーも少し夏模様になった。カミさんが「昔はよくみんなで、ここで飲んだわね。どうしてやらなくなったんだろう」と言う。それは私たちが歳を取って来て、皆さんに来てもらう気力がなくなったというか、「あなたが意欲をなくしたから」だけど、確かに人が集まれば楽しいけれど、準備や後片付けの億劫さに勝てなくて、自然に無くなった。
懐かしいことは思い出しても、負担になることは思い出さない。カミさんのお父さんはこのルーフバルコニーから西に広がる濃尾平野を眺めて、「あの谷間が関ヶ原か。高いところに上がると天下を取った気分になるな」とこの場所を気に入っていた。夏の夜に、広大な平地に輝く夥しい灯りを眺めながら飲むビールの味も格別だっただろう。
ルーフバルコニーに鉢を並べて花を植えようと思ったのは、昔に観た映画の影響もある。ヨーロッパ映画だった。アパートの屋上で恋人たちがコーヒーを飲みながら話していた。その光景が羨ましかったのか、忘れられずに再現したくなったのか。冬は寒くて風も強く、外には出られないが、夏の朝と夜は気持ちいい。パンジーが終わったら、この後は何がいいのかな。