友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

社会の中の自分

2019年06月07日 17時18分12秒 | Weblog

 昨夜の11時15分、室温28度湿度36%であったが、今朝7時の室温は27度湿度は41%、その後、雨が降ってきて、午後4時の室温は26度湿度51%を示した。テレビは「東海地方は梅雨入りした」と報じている。人生に同じ日が無いように、天気もまた常に変わる。部屋からルーフバルコニーのデイゴを眺めていて、昨日よりも「花が多く開いた」と思う。

 時代は移り変わっていくが、生きている人間はどこまで時代をとらえることが出来るのだろう。今日の中日新聞に私が関心を抱いている小説家、諏訪哲史さんが「平和憲法はどこへ行くの」と題してエッセイを寄せている。「僕の少年期は、反戦の意識が国中に空気の如く浸透していた時代」「人間的な心の主は、みな不戦を唱え、富国強兵や全体主義は日本の過去の恥でした」と綴っている。

 中日新聞の編集長を務めた佐藤毅氏は著書『日本国憲法の危機』の「まえがき」で、「新憲法の歴史を遡ると、何か私自身の『自分史』をたどっているような感じがします」「嵐のような激動の時代。私は自然発生的な熱い“護憲派”でした」「自衛隊の『海外出動』のための憲法改正が改めて強く要求される事態となった」「この選択(憲法改正)には日本の命運がかかっていることを、特に若い世代の人々に強く訴えたい」と書いている。

 私は中学校で日本国憲法を読み、日本は世界に先駆けて理想国家を目指していると思った。キリスト教会に通い、「神の前で平等な人間」を知り、近代が「自由・平等・博愛」を求めて始まったと理解した。大学生になって街頭デモに参加した。教員になってストライキに参加した。そうすることで社会は少しずつ変わっていくはずだった。その一方で、ニューファミリーと呼ばれる世代らしく、車を買い、家族そろって旅行に出かけた。

 社会から目を背けたことは無いつもりだが、社会はそう容易く変わることは無い。多分、社会は個々の市民の集まりなのだから、個々の人間が精一杯に自分らしく生きる、その積み重ねから新しいものへと変化していくのだと思う。

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