友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

老人の孤独

2019年06月22日 19時03分07秒 | Weblog

 力のない声で電話がかかってきた。「あんたに相談したいことがある」と言う。「分かった。すぐ行く」と答えたが、車はカミさんが乗って出かけている。カミさんに電話を入れても返事がない。あまり待たせると、短気の彼をイライラさせてしまうことになる。友だちに電話して車を借りて出かけた。

 彼は私よりも10歳ほど年上だ。降雪のあった日に自転車で転倒し、膝と足首を骨折して以来、不運が続いている。血圧が80-50の時もあれば130-80の時にもなり、安定しないようだ。そのためかは分からないが、酸欠状態になって3度気を失った。「私の病気は精神からくる」と言う。

 「家に居ても話す相手がいなくて、イライラが募る一方で、もうあかんと思ったから電話した」と言う。「遠慮することは無いよ。いつでも電話してくれれば駆けつけるから」と笑って答えたものの、車がない時はどうしようと心配になる。「あんたと話すと、頭のもやもやが吹っ飛んで元気になれる」と言われては、駆けつけない訳にはいかない。

 歳を取ると、子どもたちは親元を離れ、親のことよりも自分たちの幸せが優先になる。それは仕方のないことだと彼も分かってはいるが、寂しいのだろう。若い時は景気の良い時代だったから、さんざん外で遊んだようだ。彼のカミさんや子どもたちには、家庭のことを放っておいて、遊んでばかりいる人という思いが強いのだろう。

 自業自得であることは彼も分かっている。分かっているからこそ寂しいのだ。正義感が強くて一本気で、世話好きでそのくせ小心な面もあって、他人とはケンカが出来ても家族には何も言えない。その分、ストレスが溜まる。以前なら、友だちと酒でも飲み、カラオケで歌でも歌えば多少は解消できたが、今は身体が不自由で出歩くこともできない。

 「人生の最後を汚すようなことのないようにしなくてはね。必要な時は遠慮なく連絡してくれればいいよ。本当は子どもさんたちと、これからのことを話せるといいのだろうけど、まあ、焦らずに、その時が来るのを待つことだね」と話す。彼は「何か、すっきりした」と笑顔を見せる。老人の孤独を痛感した。

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