昔から、殺人事件はあっただろう。各家庭にテレビがあり、個人はスマホを持ち、夥しい情報が流れ込んでくるから、ひっきりなしに事件が起きている気がしてしまう。大阪府吹田市で交番を襲い、警察官が殺傷した犯人と思われる男が逮捕された。奪われた拳銃を所持していたのに、男は犯行を否認している。
何が目的だったのか、分からない。神奈川県川崎市の殺人事件も犯人が自殺したため、なぜ事件が起きたのか分からない。私には、「殺したいほど憎い」気持ちが理解できない。いじめられたとか、裏切られたとか、愛してくれないとか、生きている限り、嫌なことから無縁でいることは出来ないだろう。
「殺したいほど憎い」相手でも、本当はいい奴かも知れないし、人一倍の努力家かも知れない。家族がいたり、恋人がいたり、両親がいたり、普通に暮らしているはずだ。人はなぜ、憎悪を抱くのだろう。百歩譲って、憎悪を抱いたとしても、命を奪う行為になぜ至るのだろう。みんな生きている。みんな生きていける。そう願いたい。
釈迦もキリストも「殺してはならない」と話した。イスラム教も基本は相互扶助である。どんなに酷い目にあっても、相手を憎んではならないと聖人は説いた。人類は大きく進歩したはずなのに、心はどうして成長しないのだろう。アメリカは他国にミサイルを持つなと言う。言うことを聞かない国には経済封鎖する。
他国にも人は普通に暮らしているが、経済封鎖で物資が途絶え生活に苦しんでいる。他国ばかりでない。アメリカの中にも生活に苦しんでいる人は大勢いる。何が理由なのか分からないが、銃乱射事件も後を絶たない。親が赤子を殺したり、子どもが老いた親を殺したり、どうしてこんな事件が多いのだろう。
昨夜は、長女がふたりの孫娘とやって来て、「父の日」を祝ってくれた。また今日は、仙台の次女から贈り物と、次女一家からの「お父さんいつもありがとう」カードが届き、5歳になった孫娘の文字で「のみすぎちゅうい」と書き添えられていた。