友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

松阪市の高齢男性の主張

2019年06月12日 17時32分54秒 | Weblog

 昼過ぎだった。見上げると、青い空に真っ白な入道雲が伸びていて、ああ夏だと思わせた。ところが夕方にはまた、灰色の雲が広がってきて、風も吹いてくる。天気の変わり方が激しいと予報されていたが、まったくそんな感じだ。午前中に法務局へ出かけて行き、NPO法人の謄本をもらってきた。たくさんの人がいた。私たちがウロウロしていたら、かなりの高齢の人が手順を教えてくれた。

 何台もの公衆電話くらいの発行機が並んでいるが、どうしたらよいのかさっぱり分からない。「係りの人が教えてくれます」と言われたけれど、それらしい人は私たちのような初心者にかかわっている。終わるまで待っていようと思っていると、「どうされました?」と声をかけられた。謄本を取りに来たことを伝えると、画面を見て、「はい、ここを押して」と指示される。あっという間に謄本が出てきた。

 役所の人はみな親切だ。保健所がNPOの謄本が必要という理屈は分からないが、規則なら守る他ない。テレビで三重県松坂市の商店街で、規則を遵守するあまり商店街で嫌われ者になっている高齢の男性が取り上げられていた。男性は「道路交通法には道路に物を置いてはならないとあるのに、看板やのぼりが置かれているのは違反行為だ」と主張し、警察に撤去を申し出たが、警察が動かないので自分で移動させていた。

 商店街ではよく店先に看板や商品を並べている。それをけしからんと言うのも分からないことではない。しかし、松阪市の商店街では交通の妨げになっている様子ではなかった。私も昔、隣町の議員に頼まれて、「道路に、はみ出して商品を並べるのはいかがなものか」という一般質問の文章を書いたことがあるが、「ほどほどならいいのではないの」と言ってみたが、その議員も聞く耳を持たなかった。

 規則を遵守することは大切なことだけれど、仇のように追い詰めることも無い気がする。みんなが嫌がることはすべきではないが、無理強いするのは恐怖に近い。人は決して完璧には生きられない。許す余裕が欲しいと思う。この高齢の男性はどんな生活をしてきたのだろうと、そのことが気になった。

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