友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

何だかよく分からないのは歳のせい?

2019年10月26日 17時39分28秒 | Weblog

 映画『蜜蜂と遠雷』を観て、何だかよく分からなかったのに凄く感動した。昨夜も、テレビで映画『億男』を観て、お金をテーマにした映画であることと、学生時代にモロッコを旅行したふたりの友情が本物だったことは分かったが、何だかよく分からなかった。何だかよく分からないのは、私が年老いたせいなのかと思い、今朝、書店に行って『蜜蜂と遠雷』(上下)と『億男』を買って来た。

 瀬戸内寂聴さんの『秘花』は、室町時代に活躍した世阿弥を描いたもので、所々に古文も挿入されていて読みにくいのに、場面は鮮明に理解できるし、心の動きもよく分かる。世阿弥が世に出たのは身体が小さく肌がキレイで利発な男の子だったから、高僧や将軍に可愛がられた、つまり男色の相手だったと分かった。

 猿楽を都で流行らせたいと願う父、観阿弥の願いを受けて必死に努力する。そればかりか一座のために能の台本や教義を書き記し、仲間に伝える。それが「花伝書」となって残った。田楽や猿楽のような民衆の芸能が、神社とか寺院で演じるうちに、幽玄とか優雅とか評価される技を身につけ、庇護を受けて形を整えていったことも分かった。役者は僧侶や貴族・武士たちの男色相手だったのだ。

 栄華を極めた世阿弥は72歳の時、佐渡島に送られる。『秘花』はここから物語が始まるが、前半の少年時代は高貴な方の寵愛を受けて勢力を拡大していく話だが、後半は島での生活が中心となる。75歳の私には、人生が終わった者の悲哀が伝わってくる。それでも、息子を亡くした40代の女性との生活を得て、盛んに筆を持つようになる。

 『億男』のように、「お金って何なのだ」と苦悩するのは、彼がまだこの先、生きていくからだ。先に何もない人は、今がよければそれでいいのだ。わずかに食べられ、何でもないような話をし、肌を重ねられる相手がいれば、こんなに最高な幸せはない。

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