放課後子ども教室に遅れて入ると、既に子どもたちは宿題に取り組んでいた。教室の責任者の男性と60代の男性と40代の女性が、子どもたちの宿題を見て回っていた。そこへ、教室を運営するNPOの責任者と大学生らしい若い男性がやって来た。若い男性はNPOのスタッフのようだ。子どもたちの面倒をみる側が合計で6人になったので、私は傍観者になっていた。
子どもたちが騒ぐのでNPOの責任者が、「うるさいぞ。黙って宿題をやれ」と叱った。すると子どものひとりが「えらそうにガミガミいうなあー」と皮肉った。責任者は「先生は社長だ。社長は何を言ってもいいんだ」とその子に言った。確かに彼はNPOの社長だが、社長なら何を命令してもいいという発想は間違っているのにと思った。
そういえば先回、教室の責任者に「いずれは教壇に立つんでしょう」と訊ねた時、「先のことは何も考えていません」と答えが帰ってきたのでびっくりした。学童保育を請け負っているNPOの若い男性と話した時、「子どもが好きだからこの仕事をしているけど、給料が上がらないので結婚もできない」と嘆いてはいたが、「正規の教員になりたい」と言っていた。この差はいったい何だろうかと思った。
NPOは市との契約の業務だから、契約金が毎年あがることは考えにくい。そこでNPOは仕事を増やして全体の金額を膨らます方へ向かっているようだが、仕事を増やせば人も増やさなくてはならない。私たちのような無償ボランティアが増えないと経営は困難になる気がするが、同じ仕事をしながら有償の人と無償の人がいるのでは、また別の難しさが生まれてしまう。
私たちのような年寄りは、「人生は魂を磨く修行の場 すべてが魂の修行と考えれば 悩まなくてもいい」などと嘯くことは出来るが、生活のある若い人はそうはいかない。だから「先のことは何も考えない」人になるのだろうか。