友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

孫娘の友だち2人来る

2008年07月21日 20時00分40秒 | Weblog
 昨日の朝は孫娘が、今朝はカミさんが午前6時30分に出かけるので駅まで送っていった。同年の友だちと清里まで行くという。戻ってくると、孫娘が水泳の早朝練習のために出かけて行った。朝早い時間だから丁度よいと思い、昨日の市民講座を知らせるチラシを片付けて回っていると、朝のジョギングの人に出会う。午前7時前なのに、外気温はもうかなり高くなってきているのがわかる。

 家に帰り、花に水を遣る。それから一人で朝食だ。孫娘はプールから戻ると、もう友だちが呼びに来ていた。これから名古屋市立美術館へ「『版の誘惑展』を見に出かける」と言う。「お昼は?」と聞くと、「みんなで食べる」と答える。それはそれでよいだろう。すると昼食も一人で食べるのか。私は一人で食事を作って食べることはできる。学生時代から食事を作ることに抵抗はない。冷蔵庫を見れば、じゃーこうしようと食べるものを考えられる。

 それでも一人で食べるのは寂しいものだ。テレビをつけていれば、それなりに賑やかではあるが、会話をしながら食べるわけではないから、ただひたすら食べることになる。こんな日に限って、誰からも電話がない。午後1時過ぎて孫娘たちが帰ってきた。「この部屋で食事をしていいか?」と聞くから、本当はイヤだけれどそうは言えないから、「じゃーちょっと花の肥料を買ってくるから」と家を出た。

 2時間近く経っているから、孫娘の友だちはもう帰っているかなと思いながら玄関のドアを開けると、家の中は締め切ってある。冷房が入っているのだ。北の私の部屋を見ると、食べたものの後始末が出来ていない。南の居間に行くと、3人が子豚のようにひっくり返り、ともにケイタイを上に突き出して寝転がっている。どう見ても学校生活からはみ出している女の子の服装でありスタイルだ。「食べたものは片付ける。すぐにやりなさい」と言ったのだが、私がイライラしているのは伝わってくれただろうか。

 娘たちの時もヤキモキしたが、孫娘の友だちのような子はいなかった。キャーキャーワイワイとうるさかったけれど、その中で一番うるさく騒いでいるのが自分の娘ではどうしようもなかった。どの子も成績はトップクラスとはいかなくても、礼儀はわきまえていた。孫娘は、中1の時よりもそして1学期の時よりも、成績が下がってきている。先ほど彼女の部屋をちょっと見たけれど、落ち着いて勉強できる雰囲気ではない。母親もいない、父親もいない。自分ひとりでコツコツと勉強するには、相当に強い意志が働かなくてはダメだろう。今、彼女は安易な方へ流されようとしているのがわかる。

 人は流されてみて気がつくが、その時はもう取り返しが出来ないから、それならそこから自分の道を見つけようとすればいい。人はいつも悔いばかりが残る。悔いを恨むくらいなら、開き直って新しく楽しいことをすればいい。孫娘の人生を私が歩くことは出来ない。私は私の人生しか歩けない。みんな同じで、みんな違う。それでいい。
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メタボと生活習慣病

2008年07月20日 21時25分01秒 | Weblog
 「暑い!」。こんなに暑いとやはり「暑い!」と言いたくなる。孫娘は水泳大会があるので、午前6時30分家を出ると言う。「コンビニで買い物するから一緒に来て!」と言われて、拒否するようなジジイではないから、「ヨシャ!」と出かけていった。弁当も水筒も持っているのに、スポーツドリンクや甘い菓子パンなどかなり買い込んで、意気揚々と出かけていった。こんなに朝早い時間なのに、もう外気温が上がっているのを感じた。

 家に帰り、花に水を遣る。水遣りをしているだけなのに、もう汗が流れてくる。イヤか予感だ。こんなに暑くては、午後から開く大和塾の市民講座に人が集まってくれるだろうか。準備のために午後1時前に家を出るが、空気が熱い。ますます心配になった。それでも開場前から人が集まってきてくれていた。午後1時30分、講師の大野恒夫先生が到着する。ところがパソコンがリム-バブルを取り込まない。慌てた。先生は家の方に連絡して、ノートパソコンを持ってこさせた。しかし、それでも映像は出てこない。

 司会役の私は、映像が出るまで話を引き伸ばそうと努めたけれど、パソコンはうまく動かない。精密な機械というものは誠にこうなると手に負えない。先生がいつも使っていないパソコンでやるのは無理があったと思えたが、先生の家のノートパソコンでもいうことを聞かないのだから使いにくい。先生はあきらめて、話し出したけれど、職員の中には一人くらいパソコンにたけたものがいるのではないかと思い、受付に行って声をかけた。すると、一人の職員がやってきてくれ、パソコンは見事に動くようになった。

 パソコンが動くようになると、これまで口で話してこられたことを映像で一気に見せようとされたので、なんだか速度が異常に早くなり、かえって何が言いたかったのか締めが決まらないような終わり方になってしまった。事前の準備がやはりいかに大切かと確信した。それでも大野先生は優しい医者だ。「メタボと生活習慣病」が今日のテーマであり、講演はその解説であったが、会場からの質問を受け付けたところ、たちまち無料医療相談所となってしまったが、質問の一つひとつに丁寧に答えてくださった。

 講演会を終えて、塾生の皆さんとお茶を飲み、8月と9月の予定を決めた。雑談となった時、「国から健康管理でペナルティーまで科せられるようになるとはネ」と誰かが感想を言った。戦前を知っている後期高齢者の人が、「戦争前は国が国民の健康管理に力を入れていた。厚生省が出来たのはそのためだった」と話す。「後期高齢者はなるべく早く死んでもらいたいというのが政府の考えなんだろう」との発言もあった。確かに医療の現場でも、「無駄な医療行為は行なわない」ようになってきていると聞く。ロボットのようにたくさんのチューブをつけられ、生きてはいるが尊厳のない存在では意味が無いけれど、老いた役立たずは早く死んでもいいとは思わない。

 人は死を迎えるまで、人としての尊厳が、誰でも保たれることが一番大切だと思うからだ。
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市民自治と議員の役割

2008年07月19日 22時53分28秒 | Weblog
 選挙期間中、毎日同じ時間に、駅前の同じ場所に立っていただけで当選した仲間がいる。誰が投票してくれたのか全くわからないと言う。選挙カーも使わず、と言うのも誰も手伝ってくれなかったから、運転手がいなかったからに過ぎないが、要するに結果からすると、ほとんど選挙運動らしいことを何一つせずに当選したと言うのである。私の市でも自転車で隈なく走り、ところどころで街頭演説を行った青年が市議に当選した。

 駅の、決まった場所に立ち尽くしただけで当選した仲間は、演説もせず、政策を訴えたパンフも作っていない。ただただ、決まった時間に立っていたに過ぎない。面白がって投票してくれた人がいたから、なんとなく当選できたけれど、議員として何もしなければ、次は当選できないだろう。私の市の若者も議員になったものの、議員として何をしているのかが見えてこないから、次の当選はないだろうと私は思っている。

 有権者は実に気ままだ。これは面白い候補というだけで投票してくれる。けれども、じゃあ次も同じように投票してくれるかと言えば、同じようにもっと面白いことをする候補がいればそちらに関心が行ってしまう。要するにその程度で投票したのだから、当然にも目移りしていく。若い候補者が必ず当選するのは、同じ若い人たちの支持があるからだ。だから次にもっと若い候補者が立てば、そちらに目移りしてしまうのだ。

 そうさせないために何が必要なのだろう。あなたが投票してくれた私はこんな風に議員活動をしています。少なくとも議員になった私はこんな風に考え、こんな議員活動をしています、というメッセージが絶対に必要だと思うし、それが税金をいただいている議員の使命だと思っている。投票してくれた有権者の方を見ずに、議員という権力にあぐらをかいて、行政と同じレベルでものを見たり発言したりするような議員を賢い市民は許しておかない。

 今日は私たち、「無党派・市民派自治体議員と市民のネットワーク」の7月例会だった。実に真面目で真摯な仲間ばかりだと私は思っている。その仲間と久しぶりに例会の後で飲んだ。例会では個人的なことの細部まで触れないが、こうした飲み会では結構人間性が現れて面白いなと思うし、さらに仲間の真面目さを知るところにもなる。私は「皆さんは議員だから、議員として何を審議し、自分がどう考え行動したかを知らせることは絶対に必要だ。その上で、議員である私はこういう人間ですとわかるようなペーパーを出すべきだ」と要請した。

 どういう人物かがわからなければ、次回に投票してくれることはないだろう。ただの市民となった私は、こうした議員のペーパーを見る時、この人はどういう人かがわかるものがほしいと思った。政策や議会でのやり取りも大切なことではあるが、それよりもこの議員は何を考え、どういう性格の人なのかに興味がある。要はそのことから信頼に足る人物かどうかを見極めたいと思うからだ。そうした市民の気持ちにピッタリ来る議員ならば、さらに支持層は増えるだろう。

 私たち「無党派・市民派自治体議員と市民のネットワーク」では、8月24日(日)の午後、名古屋都市センターで、千葉県我孫子市の前市長・福嶋浩彦氏を講師に招き、公開講座『市民自治‥我々はどう考えどう行動するのか』を行なう。入場は無料。ぜひ、ご参加を。
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許認可という権限

2008年07月18日 21時35分39秒 | Weblog
 やっとNPO設立の書類が受理された。相談に行ってから今日まで、合わせて5回足を運んだ。書類の手直しだけでも3回あったのだが、担当した職員の方に聞くと「だいたいみなさん同じですよ」と言う。許可をいただくということは手間ひまがかかるものらしい。審査が終わって、許可が下りれば今度は法務局で法人の手続きをするのだが、知人の話では「意地悪な連中ばかりで、鼻先であしらう」そうだ。他人の話だけで勝手なことを言うようだが、許認可権を持つものはどこも同じだなと思う。

 許認可権を持つ側は、間違いを恐れるからどうしても慎重になる。これは心理としては当たり前のことなのに、長く続くと「許してやる」意識が生まれてくるようだ。そもそもNPOのように、行政ではやりにくい部分を担う組織なのだから、むしろ積極的に育てる文字通りの相談があってもよいと思う。いや、NPOばかりでなく、どんなつまらないようなことであっても、行政は住民に代わって行なう組織なのだから、奉仕の気持ちを失って欲しくない。

 親は子に奉仕する立場ではないが、子に対して監督する立場にあるから、許認可権に近いものを有している。だから、どうしても子どもに対し間違いを恐れて慎重になる。ところが慎重さも度を超すと単なる嫌がらせとしか受け止められなくなってしまう。宇部市の中学2年生の男の子がバスジャックをしたのは、男女交際のことで親から叱られたことへの逆恨みのようだ。私も中学1年の時に好きな女の子が出来た。私が日記にその女の子のことを好きだと書いたら、その後で父親から「一人で付き合うのではなくグループで」と書いたメモがおいてあった。私たちの時代はまだ、そんな時代だった。

 私が高校の教員になったのは昭和42年だが、生活指導部から「あなたのクラスの生徒が公園でキスしていて、補導されているので注意してください」と連絡を受けたことがある。名前を聞いてビックリした。クラスで最も成績優秀な女の子だったからだが、逆に彼女がキスをするなら問題はないという気になって、本人には何も言わなかった。この他の学年でも「朝早く、学校に来てキスしている」と密告してくれたこともあったが、これも本人たちに注意する気になれなかった。何がいけないのか私自身が理解できなかった。

 今になって、当時、私のクラスだった女の子が、「SEXに興味あったから、ホテルへ行ったことがある」と話してくれ、これにはビックリ仰天した。それも「SEXは友だち付き合いの延長でしかなかった。遊びは20歳で止めました。人数?両手もないですよ」と言うからなおさらだ。親は子どもにどこまで干渉し、どこから自由にさせるのか、教師も役所の職員も同じ悩みなのだろうか。いつも引き合いに出して申し訳ないけれど、12年間も友だち以上恋人未満を続けてきた私の友だちは、自分が恋しているとわかっていながら、なぜキスはしなかったのだろう。

 教え子の女の子もこの友だちもどこかで線を引いているが、それは何だろう。いや二人に共通するものだろうか?
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思い込みや思い違い

2008年07月17日 22時16分17秒 | Weblog
 最近、思い込みや思い違いがよくある。自分が大切に思っている人が言ったことなのだから、たいていのことは覚えているように思っていた。それが「なんて言ったっけ?」と聞かれても答えられなかったり、確かにその話題は以前聞いたことがあるのに、中身までよく覚えていないことがある。いよいよ私もボケかと思うけれど、それは思い込みや思い違いが原因ということだってある。

 関心がどこにあるかでもそうしたすれ違いは生まれてくる。私は、男は元来、助平なものと思っていた。助平というのは性的な関心が強いものという意味だ。ところがアメリカの性白書では、性的な欲望は女にもあるとあった。中学の同級生の女性にそれを尋ねると、「当たり前じゃない。女にも性的な欲望がなければ、男はみんな強姦罪になっちゃうわよ」と言う。そうか、女も男も性的な欲望が備わっているのかと納得した。

 80歳や90歳になっても、介護を受けるような男の人でも、「どうせお風呂に入るなら、若い女がいい」などと冗談で言うけれど、それは本音でもある。ほとんど身体が麻痺しているような女性でも、気に入った男の人に手を握っていれば満足した表情になる。性的な関心と欲望は、人間が死ぬまで存在すると思う。

 夏である。都会に出てみれば一目瞭然であるけれど、最近の若い女性たちはナマ足を惜しげもなく見せつけてくる。女子高校生がミニスカートであるように、若い女性たちは競ってナマ足の美を競演してくれる。若い女性たちの挑発姿に関心を示したところ、「あなたは助平ジジイと一緒じゃない」とカミさんが怒り出す。彼女の潔癖症は充分承知しているつもりだけれど、そんな風に拒否反応を起こすとは思っていなかった。「あのさ、人間はそもそもそういう動物なんだから、まずそれを認めた方がいいのじゃないか」などと言おうものなら、「そんな欲望しかないヒトとは!」と言い出しかねない。

 私は自分自身を振り返ってみても、男と女である限り、たとえ還暦を過ぎ70歳や80歳になったとしても、性的な関心は変わらないように思う。それをまるで犬畜生のように言うのは、人は動物とは違う高貴なあるいは崇高な存在と思い込んでいるからだ。もちろん人間は学習によって、動物たちから進歩したけれど、潔癖症の人たちが思い込もうとするほど潔癖な存在ではないと思う。まず、それを認めることから始めた方が、人の本質を捕らえられるのではないだろうか。

 男たちはどこまでも女たちの肌を恋しく思うものだ。それをいやらしいと否定してしまったなら、男たちは生きていくことも出来ないだろう。潔癖症の女たちは男たちをどんな風に考えているのだろう。
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「アルジャーノンに花束を」を観て

2008年07月16日 23時30分46秒 | Weblog
 誰がこんなドラマを考えたのだろう。脚色も演出もよく出来ていて、なかなかいい芝居だったけれど、私は誰がこの作品を作ったのかに興味を持った。友人から聞くところでは、既にこのドラマはテレビで放映されたそうだが、残念ながら私は見ていないので、テレビ作品についてはわからない。私が魅入られたのはドラマの主題といっていいと思う。

 今日の名演は、劇団昴による『アルジャーノンに花束を』だった。アルジャーノンは実験用のネズミの名前だ。主人公チャーリー・ゴードンは生まれつきの障害で、8歳くらいの知能しかない32歳の若者だ。脳科学の研究家が、脳を発達させる酵素を発見し(?)、ネズミのアルジャーノンの次に人体実験をしたのが主人公という設定だ。チャーリーは手術のおかげで次第に天才へと生まれ変わっていく。

 チャーリーは頭がよくなったおかげで、自分を考える。みんなが自分をどのように見ていたのかを考える。父と母が白痴の自分の育て方で対立し分かれてしまったこと、妹の苦しみ、引き取って働かせてくれたパン屋で一緒に働いている仲間たちがどのように自分を見ているのか、知能が高くなるにつれ、今まで気がつかなかったものが見えてくる。白痴を無くすことが出来ると研究をしている教授たちも名声や保身の虜であることがわかってくる。

 ネズミのアルジャーノンと一時姿をくらますが、アルジャーノンの異変から自分自身の未来を予測し、実験が不成功であったことを公表する。天才から再び白痴に戻り、昔の仲間たちに暖かく迎えられる。チャーリーは普通の人になっていく過程で、自分を引き立て手術に導いてくれた女教師に恋心を抱くが、もう一人のチャーリーはこれを許さない。女教師もチャーリーを愛するようになるのに、再び白痴のチャーリーに戻っていくと、彼から離れていく。彼女は普通のチャーリーに恋され、そして恋したのだから当然の結末なのかもしれない。全く違う人格に恋することは不可能だろう。人が恋するのは目の前にいる恋する相手の全てであって、それ以外の何者でもないはずだ。

 チャーリーは再び白痴に戻るが幸せそうだ。と言うことは、人の幸せを作者はこのように結論付けたかったのだろうか。私はそうではない気がしている。人は確かに知能が高くなることで幸せをつかむことが出来るのかと言えば、ノーであろう。じゃー逆は真なりかと言えば、それもノーだ。無理やり知能を高めることはない。人は神が与えた自然に従うべきだと私は思っている。現実の人間、手を加える必要もない。あるがままを受け入れるのが一番だと思う。

 チャーリーは人生は迷路だと言い、ここから抜け出そうとした。人が生きるということは迷路の中を右往左往することに似ているかもしれない。それでいいじゃないか、それが人間なのだから。私はそう思う。愛し合ったり、憎みあったり、悲しんだり、喜んだり、そのうちに終わりが必ず来る。結論はそのときでいい。出せなければそれもまたいい。
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類は友を呼ぶ

2008年07月15日 20時11分41秒 | Weblog
 中学校が短縮授業に入ったのか、孫娘も早く帰ってくる。学活もクラブもないからと言うが、もともと水泳がやりたいために、早く帰ることの出来るものを選んでいる。彼女が属するのは生徒会と家庭クラブだが、家庭クラブの方はどこにもいけない子の溜まり場になっているようだ。

 今日も孫娘は早々と帰ってきた様子だが、向かいの家である我が家の方には珍しく顔を出さない。きっと、友だちと一緒なのだろう。しばらくすると、孫娘と他の女の子の声がして、いきなり「何かない?」と言って入ってきた。「あなたが朝飲んでいたジュースがあるし、桃もバナナもあるよ」と答えると、「ウーン」と言って冷蔵庫の中を物色していた。それから黙って隣の家に帰ろうとするから、「友だちもいるのなら、その子の分もちゃんと持っていきなさいよ」と叱る。手にしたものを見るとやはり二人分ある。

 自分だけ食べて、友だちにあげない子にはなって欲しくない。何でも分け合って食べる子であって欲しいのだ。特に彼女は一人っ子だから、人と分け合うことが身について欲しい。孫娘のところに遊びに来ている子は、父子家庭で、関ジャニのファンで、関ジャニがテレビに出るという理由で学校を休んでしまうほどの子だから、親なら大丈夫かと心配するのかもしれない。

 私が中学生の頃、先生たちが「類は友を呼ぶ」「朱に交われば赤くなる」とよく言っていた。よい友だちを選ぶことで人生は変わる。だから友だちを選ぶ時は注意しなさいということなのだろうが、そんな損得や功利を考えて、実際に友だちを選ぶだろうか。私の父も母もそうしたことで口を挟むことは全くなかった。むしろ母親は鷹揚な人で、頼ってくる人は一切かまわず受け入れていた。孫娘の母親である長女が小学生の時、友だちの子が家で食事が出来ないというので、よく我が家で食事をしていった。我が家の傾向は窓口が広いことだと思う。

 私自身のことで言えば、昨日のブログで悪童たちとエロ本やエロ写真に見入っていたと書いたけれど、中学3年生になって友だちが変わった。今も付き合いのある友だちにめぐり合い、宗教心と正義感の方が前に出た。確かに「類は友を呼ぶ」「朱に交われば赤くなる」ことは間違いない。親にしてみれば、子どもの友だちの存在は大きいから気になるところだが、友だちに影響を受ける前に親が子の友となって、何が大切なのかがわかる人に導くことだ。

 「子どものことを思い、レールを敷いてあげられる親がいるけれど、私には出来ない。私は未完でそんな力がないもの」とある母親は言う。私はそれでいいと思う。子どもにどんな可能性が潜んでいるのかわからないのに、親が自分の考えで子どもの将来を決めようなどというのは、親のエゴでしかない。子どもに人を見る力がつけば、自然によい友だちが出来てくる。人を見る力は、親の生き方や考え方から自然と子どもが学ぶものだと思う。
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ホントにラッキー

2008年07月14日 20時40分09秒 | Weblog
 カミさんは朝5時に起きて、旅行カバンに荷物を詰める。私は6時過ぎに起きて、孫娘と自分の朝ごはんを用意する。そして6時45分にカミさんを駅に送る。彼女は今日から1泊のゴルフ旅行だ。東京と名古屋からそれぞれが信州で落ち合い、ゴルフをしようというのである。中学時代の友だちの男女が再びゴルフを通して仲良く行動できるのはいい。

 私も同様に先月、中学時代の友だちの男女で花菖蒲園に行ったけれど、歳を取ると昔の友だちが懐かしいようだ。中学時代からの友だちの中には、「そんな昔のことばかり話して何になるか」と否定する者もいる。彼がそう言うのは、過去にこだわらずにもっと前向きでありたいという思いからだが、中学時代の友だちが集まるからといって、昔話ばかりをしているわけではない。おそらく、中学時代あるいは高校時代の自分を知っている友だちの言葉の中で、自分を見つけ出そうとしているのだと思う。

 話すことで自分の頭の中を整理しているのかもしれないし、相手の話す言葉の中で自分を確認しているのかもしれない。中学・高校という多感な時代を一緒に生きていたこと自体が自分史の宝の山なのだ。カミさんたちもきっと、他人から見れば馬鹿馬鹿しいような他愛もない言葉のやり取りの中で、あの頃の自分とそしてこれからの自分を見出しているのかもしれない。

 カミさんがいないから、今晩は中学2年の孫娘と二人だけだ。そうなると井上真央出演の映画『花より男子ファイナル』を聞くことになるだろう。先ほど、映画館まで連れて行けと言う。「もう映画は観たのじゃないの?」と聞くと、友だちと映画を見に行った時にお金の持ち合わせがなかったからパンフが買えなかった。だからなくならないうちに買いに行きたいというのだ。映画館のパンフはもう残りわずかだったそうで、「ホントにラッキー」と大喜びだ。

 中学時代の私は孫娘のように、あんなに純粋だったのだろうか。映画スターに憧れることはなかった。悪童仲間でエロ本やエロ写真に夢中だった。好きな女の子がいたのに、どうしてそんなことをしていたのか、自分中で葛藤していたはずだ。スタンダールの『赤と黒』、ドストエフスキーの『罪と罰』を読んで、1個の人間の中に矛盾した相反するものが存在する、それが人間なのだと思った。相反するものをどこまで止揚できるかでその人の品格が創られるのだろう。私自身を捕らえなおせば、まだまだ中学時代の続きでしかない。

 社会を変えるどころか、自分自身も変えられないでいる。愛欲の世界だけが最も純粋な世界なのかもしれないときわめて微小な世界を評価している。
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勝手な思い込み

2008年07月13日 19時44分24秒 | Weblog
 NPOの設立のため、2度目の書類審査を受けた。やはり先回と同様に書類を提出してから1時間20分待たされた。二人の職員が一字一句調査してくれたからだ。「お待たせしました」と言われ、室内に入る。開口一番の指摘は、「“又”がまたになっている。“及び”がおよびになっている」というものだった。私は文中の全ての「又」を「また」に、「及び」を「および」に統一しておいた。その方が古めかしい官庁用語でなくていいと思ったのだ。

 官庁でも、できるだけ平易で読みやすい文章作りを進めているはずだから、NPO関係ならいっそうその方がよいだろうと考えた。カミさんに言わせると「そういうところがあなたの勝手な解釈なのよ」となる。自分では良かれと思っていても、世間では迷惑ということがある。そこが理解できていないという指摘である。

 話は違うが私の住む市の職員の中に、高級ベンツと二人乗りオープンカーのBMWに乗っている若者がいる。「市の職員の給与が高いと思われてしまうよね」とカミさんに話すと、「そんなことは誰も思わないわよ」と言う。「職員の中には土地持ちの人もたくさんいるし、仮に不動産収入がなくても、職員の人の給与で高級外車は買えないの?」と逆に聞き返してくる。「いあや、ローンを組めば買えないことはないと思うけど」と答える。「給与をどう遣うかは自由よ。貯金する人もいれば、高級外車を買う人もいる。それはそれぞれの考え方でしょう」とカミさんは言う。

 「そうなんだ。だからこそ、公務員は『自分たちは普通の労働者とは違う。市民に雇われ、市民に代わって仕事をしている』という意識を持って欲しいと思う。清貧であろうという意識をさ」と私は主張するのだが、「そんなことを言ったら、公務員になる人はいなくなるわよ。本当に勝手な思い込みネ」と釘を刺される。確かに、給与をどのように遣うかは各自の自由だ。拘束時間外をどのように使うかも各自の自由だ。

 公務員だからと無理なことや理不尽なことを押し付けるわけにはいかない。私は公務員の意識の問題として、こうあって欲しいと思ったわけだが、思うことは勝手であってもそれを口にすれば責任が生まれる。本当に自分が言うことが理に合っているのか、一呼吸おいて考えてみる必要がある。

 県庁の職員は「私はアバウトな人間なので、細かなことを言いませんが、法律の条文だけはそのとおりに書いていただかないといけませんので、そこだけは直しておいてください」と言う。カミさんは「あなたの勝手な思いだ」と言うが、彼は私がなぜひらがなにしたのかわかってくれたではないか。いや、それともそんなことで言い合っても仕方ないと判断したのかな。まあ、どっちでもいいか。もう1回、足を運べば受理していただけそうだ。
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保育園の夏祭り

2008年07月12日 23時58分10秒 | Weblog
 今日は保育園の夏祭り行事に参加した。朝から気温は高く、少々へばり気味の様子だった。ポン菓子を行なったけれど、夏場はそれほどの人気はない。人気はなくても人々の期待は大きいから、私たちとしては張り切って、ポン菓子の生産に取り組んだけれど、何せ暑いから、火を使うポン菓子としてはへばり気味になってしまう。

 そして今晩は、夏祭りの夜店で何を売るか、その打ち合わせを行なった。打ち合わせが終われば当然のことだけど、みんなで夏祭りに向けて頑張ろうということで飲んだ。そこで、私はかなり酔いが回り、したがって今日はここまでが精一杯なのである。
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