友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

今日はビールを飲もう

2008年07月11日 20時37分40秒 | Weblog
 今朝は先月に井戸堀したところに、手押しポンプ(通称ガチャポンというそうだ)と電動ポンプを据え付けた。新しく会員となってくださった人やポンプの営業を永くやってきた人なども交え、総勢8人で取り組んだ。これだけ「やる気」の方が多いと、「船頭多くして、ふね山に登る」のごとき傾向もあったけれど、まあそこは大人であるから最後はうまくまとまった。

 結構冷たい水が流れ出てくる。電動ポンプも手押しポンプも順調だ。「これだけの作業をして、いくらもらっているのですか」とポンプの営業マンが言う。私たちは基本がボランティアだから原材料費ばかりに目が向いていたが、「もう少しもらわんとやっていけんでしょう」と注意を受けた。何にいくら要るのか、改めて何をするならいくらという価格表を作らなくてはならないと思った。

 ここは濃尾平野だ。かつては木曽川が荒れ狂っていたであろう。また木曽川の支流もたくさん生まれたであろう。今日では河川は固定されたが、この平野が出来る以前の水の流れが地下にはある。水道水に頼ってきたけれど、地震で断水になった時、飲料水は比較的早く配られるけれど、生活用水は後回しにされる。そこで、井戸があればこうした水を確保することが出来るはずだ。立ち上げようとするNPOの大きな目的はここにある。

 夏祭りへの参加もそうだけれど、まず井戸を掘ることや夜店でものを売ることを楽しもう、そして利益を上げたなら、さらにボランティア活動の質を高め輪を広げていこう。おそらくそれが人間の本来的な活動ではないのかと思う。やること事態は肉体労働だから、疲れてくれば冗談の一つや二つ飛ばして笑わないと仕事は進まない。

 「男の一人暮らしは、まるで生きているのか、死んでしまったのか、わからないが、女の一人暮らしは全く違うね。活き活きしている。アポとろうにもいつもどこか出かけていて捕まらない。ホントに女は強いぜ」と言えば、「戦争がなくなって、男のやることがなくなってしまったんで、男はしょぼくれてしまった」と続く。「いや、戦争なんてものはわずか200年の歴史しかないですよ。それ以前は、戦争といってもたいして殺し合いはしていませんから。近代兵器が生まれてからですよ、こうなってしまったのは」と物知りが言えば、「核兵器が生まれた今は地球の破壊しかありません。井戸掘っても終わりかもしれませんよ」と皮肉が飛び、「いや、だからこそ、我々みたいな活動が広まることが大事なんですよ。仕事をして、一杯飲んで、こんな平和はないじゃないですか」。

 家に帰ってしばらくして腕を見ると、真っ赤に日焼けしている。鏡を見ると顔も焼けている。よし、今日はビールを飲もう!平和のために!
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マドンナの『Miles Away』

2008年07月10日 21時45分19秒 | Weblog
 ショッピングモールを歩いていたら、聞いたことのある曲が流れていた。月曜日の夜9時からのドラマ『CHANGE』のテーマ曲だ。歌っているのはマドンナ。なかなかいい声だ。リズムも軽快で、それでいてなんとなくもの悲しい。英語の苦手な私には、耳で聞くだけでは何を言っているのかよくわからなかったが、英語を得意とする友だちがブログに彼流の和訳を載せてくれたから、そうかそういうことを歌っているのかと知った。

 木村拓哉のドラマになぜマドンナの曲なのか、芸能通でもない私にはわからないが、心に入り込んでくるメロディーであることは確かだ。最後の出演者の名前が出てくるところでこの曲が流れてくるのだが、この曲とドラマのつながりはわからなくても、なぜか絶妙のタイミングの感じがする。政治家である木村拓哉の苦悩とマドンナの歌声がうまく絡み合っている。

 『CHANGE』は始まった頃の4回までしか見ていないが、社会問題をシニカルにあるいはシリアスに掘り下げようというようなものではない。あくまで木村拓哉という俳優を使ったエンターテイメントである。ドラマのデキには関心がないが、私は自民党政治をよくとらえていると思うし、人々が木村拓哉のような政治家、もっといえば総理大臣を求めているのだろうなという点で、関心を持っている。どのような結末にするのかで、脚本家が何を考えているのかがわかるだろう。

 主題歌であるマドンナの『Miles Away』の和訳を読ませてもらうと、それは遠距離恋愛(?)の歌のようだが、もっと言えば二人の心がfar away(はるか遠い)ということなのだろうか。「遠く離れていても二人の心は変わらない」とは、やはりテレビドラマ『猟奇的な彼女』の中のセリフだが、現実の世界では身近な人に恋するのが普通だ。遠距離であっても、絶えず会っていればまだよいけれど、目の前にいない人はどうしても薄くなっていく。

 人の心は変わりやすい。だからこそ、会う機会が多くなければ関係は維持できない。じゃあ、夫婦は毎日会っているのだからいつまでも恋心が続くのかといえば、恋心が続く努力がなければ空気のような存在になってしまう。人を愛すると言うことは、そのための努力が要るということだ。努力もせずに、愛しているとか愛して欲しいとか、それは絵空事というものに他ならない。

 マドンナはどんな気持ちでこの歌を歌っているのだろうか。友だちが「じっくり、詩の内容を味わってみると、私の今までの恋愛パターン、すなわち、初恋の人のときも、大学時代に知り合った人のときも、ひょっとすると、12年間付き合ってきた人とも、悲しいけれど、この詩の中にあるような恋愛関係の域を出なかったのかも知れないと思えてきた」と告白している。恋とはそういうものだろう。努力が要るということだと思う。
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もう少しだけ

2008年07月09日 22時51分54秒 | Weblog
 我が家の上には2所帯が住んでいる。我が家のルーフガーデンは我が家で眺める光景と、この2軒から見える光景では随分違うようだ。上から庭を眺めていて、花が盛りになるのがよくわかるとおっしゃる。いつからか、この2軒の家からの眺めを気にして、鉢を配置するようになった。まず、我が家の応接ができる北の部屋から庭を眺めて花たちの位置を決め、それから上から眺めて満足のいくようにもう一度配置を考え直す。

 種から育てたサルビアも少しずつ大きくなってきた。いただいた朝顔も順調に育ってきている。ランタナはどんどん増えた。友だちにもらっていただいたが、また今年、16本が芽を出した。サルビアに混じって生えてきたので、初めは雑草かと思って抜き取っていたが、少し大きくなってきたものを見てランタナだとわかった。ヒヨドリがランタナの実を食べに来る。その糞から生まれたものや揺すられて落ちたものなど、出生の秘密は様々だと想像している。

 ルーフガーデンの最高の使い道は、ビアガーデンだ。戸外で飲むビールはうまい。家族みんなが揃った時は、ルーフガーデンに食卓を出し、電灯をつけて晩ご飯を食べた。夏の楽しみである。このところ、我が家の上の方が体調を悪くされているので、なんとなくルーフガーデンでの食事は遠慮がちになってしまった。以前は、上の家族とそのまた上の家族の3所帯で、実を言えば、その子どもたちも家族連れで来ていたから、6所帯で、よくビアパーティーを開いた。みんなお酒好きだったから、飲んで食べてよく話した。

 今日は昼から、この上の方を病院に見舞ってきた。8月はこの上の方の81回目の誕生日だ。「今年もビアパーティーでお祝いしましょう」と元気付けのつもりだったが、「無理かもしれん」と言う。「医者がね、あと5ヶ月だと言うんだね。放射線治療をやってもプラス3だからね。心臓が悪くて手術もしてもらったのに、放射線治療でノドをやられて、ノドをやられんための薬を飲むが、ゲエゲエだから。飲んだ心臓の薬もみんなゲエゲエだからね。」「人はさ、生まれたときから決まっているんだ。本人が知らんだけだね。この歳になると、教えてもらってよかったね。」

 今日は調子が良くないと言う割には、よく話した。話すことで、自分の考えをまとめているのかもしれない。そうか先が見えた方がいいのかと思った。私も60歳を過ぎ、ただの人になって、これでもう終わりだなと思うようになった。それでも来年の4月の65歳の誕生日で終りですよと言われると、覚悟はできているつもりでもちょっと寂しいと思う。人はなかなか欲深い。もう少し幸せでいたい。もう少しだけ。
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七夕・大安・福田総理

2008年07月08日 23時27分02秒 | Weblog
 福田康夫総理大臣をテレビで見ていると、総理大臣になってから若返ったような気がする。もうあと何日かで、72歳になる人とは思えない若さがある。小泉純一郎総理の時の官房長官の時代よりも、総理になった今の方が若々しく見えるのはどうしてだろうと思った。まずは何よりも、髪の毛が黒々としていることだろう。小泉さんよりも年上なのに、今では小泉さんと変わらないように感じるのは私だけなのだろうか。

 髪が黒いということは若く見える第1条件のように思う。官房長官時代の福田さんは、サラリーマンのスポークスマンというのが似合っていた。時々言うダジャレがお粗末で、かえって話題になったくらいだ。確か、50代で父親の福田赳夫総理の跡を継いで政治家になったから、若い頃から政治の世界に漬かっている2世3世とはちょっと違うところがある。官房長官になれたのは、父親の秘書だった小泉純一郎の恩返しであったはずだ。

 小泉総理の後を受けた安倍晋三総理が間違いをしなければ、福田康夫さんが総理になることはまずなかったであろう。私は小泉さんが総理になる前、自民党の危機を救えるのは野田聖子しかいない、つまりは目先を変えるには彼女が一番だろうと思っていた。自民党の中にもそんなことを考える輩が必ずいるはずだった。ところが小泉さんの郵政民営化で、これに反対したのでもう野田聖子が総理大臣になる道はなくなった。そう考えると、福田総理の誕生はテレビドラマ『CHANGE』の木村拓哉総理大臣の誕生に似ている。現実の福田総理は、テレビの木村拓哉総理のような情熱もなければ「国民の目線」もない。

 私は福田総理と直接話したこともないから、これはただの推測に過ぎないが、福田総理は誰がなんと言おうと総理の職務を粛々とやり遂げようとしているのではないだろうか。結論を下すとか、新たなプランを提案するとか、人事を刷新するとか、そんなことではなく、平サラリーマンが自分に与えられた仕事をきちんとやり遂げる、そんな感覚なのではないだろうかと思う。

 それでは自民党には明日はないのかといえば、もうとっくに明日はなかったのに、小泉さんが「自民党をぶっ壊してでもやる」と言った言葉に乗せられて、小泉さんを支持した人々のおかげで延命したに過ぎない。だからもう、誰が総理になっても自民党に明日はない。岡田克也さんが朝日新聞で「国政を担う準備ができた」とインタビューに答えていたが、その中身を読むと、ただ政権交代が必要だということと、政権交代ができればよくなるということしかない。これで、民主党に託そうと思う人はよほどのお人好しではないかと思ってしまう。

 昨日は七夕で、今日は大安である。七夕は1年に1回であるが、恋が成就する日であし、今日は運勢のよい日でもある。私は占いの類のものは全く信じないが、自分に都合の良いことは受け入れてもよいと勝手に思っている。そこで、私は幸せだけれど、福田総理はどう思っているのかなと、勝手なことを推測している。多分、福田総理は幸せとか不幸とか何も考えていないだろうな。そんなものだろう。
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洞爺湖サミット

2008年07月07日 23時25分26秒 | Weblog
 北海道洞爺湖サミットが始まった。サミットは山頂の意味で、主要先進国首脳会議を指す。1975年から開かれてきたが、要するに世界を牛耳る連中の会議ということのようだ。地球温暖化が顕著となる中で、CO2削減が今回のサミットの課題といわれている。けれども首脳たちはそれぞれに思惑があって、真剣な話し合いというよりも、サミットの権威付けだけに追われている印象だ。

 それはそうなのだ。地球で今後、人類が暮らしていけるかどうかということよりも、それぞれの資本がどのようにして生き残れるか、その資本が位置する国家がどのように自国の利益を守って行けるか、そのための位置取りというか、有利な条件をどのように勝ち取るかが、各国首脳の使命であるのだから、話し合いはカモフラージュでしかない。

 先回のサミット宣言は、「(CO2削減を)真剣に検討する」というものであったそうだ。それでこの洞爺湖サミットではもう少し前進したイメージをというので、「(CO2削減を)半減すると信じる」とする宣言文が検討されているという。誠にいい加減そのものだ。言葉は正確でなくてはならないが、また同時に発する側や受け取る側で、どのようにでも解釈できるあいまいさも持っている。だからこそ発する側と受け取る側がどのように考えているかが問題なのだ。

 アメリカはCO2削減を原子力発電の重要性へ切り返そうとしている。日本のテレビコマーシャルでも、CO2削減に絡めて、原子力発電がクリーンエネルギーのであるかのようなものさえある。地球の温暖化阻止が、いつの間にか原子力発電という新たなビジネスとして展開されようとしているのだ。温暖化を生み出してきた主要な原因は、私たち人間が作り上げてきた社会にある。この社会にメスを入れずに、新たな技術で対応しようとすれば、問題はさらに先送りとなるばかりだ。

 今晩、中国からやってきて、しばらくわが町で暮らしていた二胡演奏者のコンサート『親子で贈る七夕のゆうべ』に行ってきた。二胡奏者の張濱さんは言う。「地球は一つ、太陽も一つ、月も一つ。私は日本と中国の架け橋になりたいです」。一人ひとりはみんな兄弟や親子や恋人のように、お互いを認め、愛し合うことができるのに、国家となるとなぜに自国の利益だけを最優先してしまうのだろう。

 私の友だちがブログで、プレスリーの歌『 l can't stop loving you (君を愛さずにはいられない)』を紹介していたが、そういう気持ちにならないのだろうか。
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誰もがわかるということ

2008年07月06日 22時51分52秒 | Weblog
 NPOの設立に向けて、県の担当のもとに書類を届けた。先回の話では、「1時間ほど書類審査をした後、また1時間ほどお話をさせていただきます」ということだったけれど、実際そのとおりだった。私としては完璧な書類を持ち込んだつもりだったから、多少の手直しはあるとしても、そんなに大きな変更はないと思っていた。

 書類審査は二人の女性職員が担当だったので、こういう人は細かなことを言うだろうなと思ったが、いきなり「一字一句、そのとおりに写してください」と言われた時は仰天だった。あのさ、意味がわかればいいのではないの!と言いそうなった。確かに彼女たちは、私たちが持ち込んだ書類を文字通り一字一字、丹念に読み検討してくれた。その努力はすごいと思った。けれど、そもそもこうした書類は意味がわかればいいのではないか、そう思っていた私が間違っていたとすぐに理解できた。

 長女にも言われたことだが、たくさんの人が見る書類は統一規格でなくては、何がどうなのか、わからない。なるほど、そうなると意味がわかればいいというレベルではない。誰が見てもどこがどうなっているのか、一目瞭然であるためには、全ての団体が同じ文体であった方がわかりやすいというわけである。それに書類審査に当たる職員も同じ人ではないから、結局は同じことで、誰が見ても同じスタイルの方がわかりやすいというわけである。

 担当してくれた若い女性職員は「別に間違っているというわけではないのですが」と前置きして、理解しにくい年寄りに対して控えめながら、こうしてくださいと説明してくれた。彼女たちの説明を聞いているうちに、私は、そして私たちのメンバーは納得できた。説明されたとおりに手直しすることが一番よい方法だとわかったのだ。

 いやはや大変だったという話を食事の時に話すと、長女は看護師として全国大会で発表してきた経験から、「紙の色まで決まっているところもあるのだから」と慰めてくれる。誰が見てもわかるということは、そういうことなのだと諭す。言葉では言わなかったけれど、「パパのように、一人ひとりの個性を尊重することは大事なことだけれど、そんなことが通用しない世界があることも知るべきなのよ」と。

 誠に身勝手な世界で私は生きてきてしまった。
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女の子は怖いよ

2008年07月05日 21時31分26秒 | Weblog
 「キャンプは楽しかった?」と孫娘に聞くと、「楽しかったけど、楽しくないこともあった」と言う。そりゃーそうだ。いつも楽しいことなんてありえない。ありえないけれど、学校生活から離れた野外活動であるし、私には不思議なことだったけれど、その前の日曜日には雨の中で予行演習まで行なって出かけているのだから、期待するものは多くあったはずだ。

 「じゃー、何がよくなかったの?」と聞いてみた。「ヒトはさ、ガマンしなくてはいけない時があるじゃん。それがさ、ガマンできん子がいるのよ。それでモメるの!特に女はね!」と言う。「男はそういうことはないの?」と聞くと、「男はいいじゃん。ケンカして、それで終り。でも、女はいつまでもウジャウジャ続くの。馬鹿みたいに陰湿なのよ!」「へえーそんなものなの?」「ウン、女は怖いよ!」と言う。

 「ねえ、どうやってそのグループ分けを決めるの?」と私はまた聞いた。「自分たちで決めるんだけれど、4人で1グループだから好きな子ばかりが集まれば、どこにもいけない子もいるわけよ。そういう子を引き受けるグループも必要なわけ。そんなわけで、ウチラのグループはもともと仲のよくなかった二人が組なくてはならなくなったわけよ。私たちが火を起こしているのに、もう一人の子はチンタラしていて、ちっともマキを運んでこないわけ。こっちは煙いし熱いし、マキが来ないから火が弱いし、仲が悪い子がイライラして怒鳴るのね。するとその子はアンタにいわれるスジ合いはないと開き直るの。もう最悪だった」と話す。

 「それで、どうなったの。口も利かないケンカが続いたの?」と聞くと、「ウウーン。私ともう一人の子は仲がいいじゃん。だから二人は寝る時には結構仲良くなっていたよ」と言う。「じゃーまー、うまくいったということかな?」と聞くと。「そんなものじゃーないの!」とアッケラカンとして答える。「でもさ、もし、あなたがみんなのイジメの対象にされたら、どうするの?」と嫌味な質問をしてみた。「まず、そんなことにならんけど、なってもムシ!気にしない!」と答える。

 『西の魔女が死んだ』(新潮文庫)は、「私はもう学校へ行かない。あそこは私に苦痛を与える場所でしかない」と言う少女が主人公の作品だ。どこでも、女の子はトイレに行くのも、放課に話すのも、いつもグループで行動する。少女のクラスでは、グループを超えみんながまとまろうとして、一人がイジメの標的にされたと言う。ターゲットは少女だったのだ。少女は、森の中で一人暮らしをする祖母と生活することで、自分を変えていく。祖母は彼女を叱ったり馬鹿にしたりしない。「あなたはとてもよいものを持っている」といつも褒める。祖母が一度だけ少女に手を上げた。それは少女が人を疑い憎んだ時だ。

 『西の魔女が死んだ』は映画にもなった。映像はとても美しいと評価も高い。我が家の孫娘もぜひ観てもらいたいと思う。
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拾得物届

2008年07月04日 22時08分20秒 | Weblog
 地下鉄で帰ってきた時のことだ。私の隣の若者は眠り込んでいた。その駅で降りる乗客が降りきった時、彼はガバツと起きるや次の瞬間にはホームに降りていた。間一髪でドアが閉まる。すると若者は自分のお尻に手をやってしまったという顔をした。私は思わず、私の隣の席、彼が座っていたシートを見た。財布が落ちている。私はそれをつかんで、ドアに駆け寄り、大きくそれを彼の前で振って見せた。確かに私が持っていますよと合図したつもりだ。

 さて、それから拾い主はどんな行動を起こすべきだろう。私のカミさんは「普通の人はそんなことをしない」と言う。そうか、私はやはり普通の人間ではないのかと知った。それでも、確かにお節介過ぎたかもしれないが、間違ったことではないはずだと私は思っているのだが。

 私は拾った財布を持って、すぐに一番後ろの車掌のいるところへ行った。車掌はいたようだが暗くてよくわからなかった。見えたのは、ガラス窓のところへ投げ出された男の足だけだ。それでも声をかけようとしたけれど、電車はもう次の駅に着きそうだった。この車掌と話しているよりも、自分が引き返して届けた方が早いだろう。それに落とし主は、財布を車内に忘れたと駅員に届けているだろうから、まだ駅内にいるだろう。そう思って、次の駅で降りて引き返した。

 ホームに赤い線の入った帽子をかぶったまだ若い駅員がいた。「駅長室はどこですか?」と尋ねると、「どうかされたのですか?」と怪訝な顔で聞き返してきた。「この2つ前の電車で財布を拾ったので」と言うと、「アア、その人は次の電車で向かってしまいましたよ」と言う。そして「とにかく連絡してみましょう」と言うので、私はその駅員に同行した。電車は終点まで2駅しかない。私が次の駅か、その次の最終駅かで、駅に届けるだろう。そう思って、財布を落とした若者は、この2つの駅を聞いて回ったのだ。

 「拾った人がこちらに届けてくれたと伝えてください」と、駅員は最終駅の駅員と話した。「あの、私はどうすればよいでしょうか?」と私は聞いた。拾得物届とかに署名するのかと思ったのだ。駅の今週の目標と掲げられた黒板にも、拾得物の扱いが書かれていた。若い駅員はチラッと私の方を見たが、何が言いたいんだこのじじいさんは、と言うような顔だったので、「私は帰ってもよろしいですか?」と尋ねた。「ああ、いいですよ」とまた愛想のない言い方だった。

 私は言われるままに駅長室を出たけれど、どうして拾い主の住所氏名を確認しないのだろうかと不思議に思った。落とし主が自分の財布を見て、入っていたものが無いという場合はどうするのだろう。いや、そういうトラブルが発生した時に備えて、届を書かせないのだろうか、いろいろ思ったけれど、とにかく落とし主の若者が戻るまでホームで待とうと決めた。電車を3本待った。待った甲斐があって、電車から若者が降りてきた。「駅長室に届けておいたからね」と、私は彼に声をかけた。彼は大喜びをするわけではなく、若者らしく「ありがとうス」と軽く頭を下げた。

 私も財布をなくしたり、運転免許証を落としたり、携帯電話を忘れてきたり、心臓が止まりそうな失態を起こしたことがある。だから、絶対に届けてあげようと思った。でも、私の行為は普通ではなかったようだ。
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すれ違い

2008年07月03日 22時22分34秒 | Weblog
 友だちがカミさんと二人で食事をしていた時のことです。友だちの家は子どもたちがそれぞれ独立してしまったので、今は夫婦二人だけの生活です。定年退職してからは、夫婦で晩酌をするのが恒例になっているそうです。

 そんなある夜、二人はテレビを見ながらビールを飲んでいました。この日はお酒のつまみに、焼肉のサラダと刺身とそれにお寿司が一人前ありました。ビールを2本飲んだところで、カミさんが「ご飯食べる?」と聞いたそうです。彼は「食べる」と答えました。するとカミさんは「えっ、食べるの?お寿司食べたじゃないの!」と言ったそうです。彼はビックリして「食べちゃダメなの?」と聞き返したと言います。

 馬鹿馬鹿しいような些細なことですが、人の思いというのは違うものだなと思う。私は車を運転する時は、できる限り主要道を走る。交通量が多いし、信号もあるから、なかなか進まないかもしれない。以前、私と一緒に働いていた女性は、信号で止まることを嫌がって裏道を走るコースを好んだ。私の友だちも目の前の信号が赤だとその手前で左折して止まることを嫌う。ウチのカミさんも全く同じ運転の仕方だ。

 「裏道は何が飛び出してくるかわからないから、王道を行った方がいいんじゃないか」と何度言っても、「こちらの方が早いから」と聞き入れない。主要道を行くと確かに信号が多くて時間がかかるような気がするのは事実だが、本当に大きな時間差があるのかというと疑問だ。わずか、10分以内で行くようなところならば、その差はあっても1分以内だろう。30分かかるところでも、信号を避けて走ったところで、5分の差も生まれないかもしれない。

 孫娘を水泳大会の会場へ送っていた時、私は国道を走って行ったけれど、出発点では私たちの前にいたコーチの車は抜け道を走って行った。朝早いこともあり国道は空いていたから、結局ゴールに着いたのは私たちの方が5分ほど早かった。時間にそんなに差がなければ、主要道を走った方が安全だと思うけれど、その判断も性格によるのかもしれない。

 許せないなと思うのは、身障者用の駐車場へ健常者の人が平気な顔で停める時だ。誰もが会場の近くに停めたいと思うし、ましてや駐車場が満車だったりすると、空いているんだからいいだろうと思いたいものだ。そういう横着な人には「注意した方がいいんじゃないか」と言うと、カミさんは「見た目では判断できないわよ。どんな理由があるかもしれないんだから」と答える。これは正しい意見だと思う。
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野外活動

2008年07月02日 22時01分39秒 | Weblog
 中学2年の孫娘が、昨日から野外教育活動に出かけている。おかげで静かだ。何時にプールに送り、何時に迎えに行って、何時に塾へ送り、また何時に迎えに行くという制約がないから、なんだかのんびりしてしまっている。今日は外に出ることもないので、髭も剃っていない。学校から帰ると、必ず顔を出すから、ボーとした顔をしていれないが、彼女がいないとなると、ちょっと昼寝しようと横になってしまう。

 元来気ままに暮らす性質なのだろうけれど、また今日も朝早くから残っていたサルビアを少し大きめのポットへ移す作業をした。やりだすと止まらない。腰が痛くなればちょっとばかり背筋を伸ばすが、すぐにまた屈み込んで作業を始めてしまう。まだ残っていた古い土にバーク堆肥と牛糞をまぜ、全ての土を再生させた。ポットへの植え込みも終えた。やはり間引きをしないままに育てたサルビアは小さい。これから肥料をやれば大きくなっていくだろう。

 孫娘たちは丁度、梅雨の中休みの時にキャンプに行くことができて、さぞかし毎晩騒いでいることだろう。私たちの中学時代にはこのような野外活動はなかった。無かったけれど、たまたま私はプロテスタント系のキリスト教会に通っていたので、東京から名古屋までのその教会の中学生が集まる夏季合宿に、2年と3年に参加した。キャンプ場にはバンガローがあり、食堂も別棟にあったから、自炊をした記憶はない。

 リーダーと呼ばれる高校生もいたような気がするが、ハッキリしない。多分いたのだろう。夜、バンガローで眠る前、東京から来た子どもたちが遅くまで女の子のことや進路のことなど話していたように思う。私は田舎から来た、彼らからすればまだ子どもだから、話の中に入れてもらえなかった。それでも、覚えていることが2つある。一つは、「君は訛りがないね」と言われたこと、もう一つは先輩の男の子たちが話題にしていた女の子が誰だかすぐに分かったことだ。

 3年の時のキャンプは台風のために帰る日が1日伸びた。翌朝、天気はよかったけれど道路が寸断されていて、何キロか下まで歩いて帰ることになった。私は3年生だから、みんなの面倒を見る立場だった。道は狭いところもあるし、流されてしまったために岩から岩へ渡らなくてはならないところもあった。岩の上で、一人ひとりに手を差し伸べて引き上げる。その時、先輩たちが話題にしていた女の子が私の目の前にいた。手を差し出して引き上げる時、その子の上着の中の乳房が見えた。

 手の感触は全く覚えていないのに、その胸の形は覚えているように思う。高校生の時、新聞部でハイキングに出かけて、同じように雨に降られたことがある。ただ一人参加してくれた女生徒をやはり手を差し出して引き上げた。この時の彼女の手がとても柔らかだったことはハッキリと覚えている。恋心を抱きそうな印象だったが、友だちから「オレさ、あの子が好きだ」と聞いていたから、柔らかさだけの思い出だった。

 孫娘たちはどんな風にキャンプを過ごしているのだろうか。恋に似たものは生まれたりするのだろうか。
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