友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

利休が夢見たものは

2010年02月17日 22時56分35秒 | Weblog
 利休は「茶の湯」で何を夢見ていたのだろう。茶室に入るは狭いにじり口から入らなくてはならないから、入り口で刀を置いていかなくてはならなかった。茶室の中では全ての人が平等である。自分の身を守るものは1本の扇子しかない。そういう世界を作り出した利休は、それで何をしようとしていたのだろう。利休は足利将軍家に使える同朋衆の子孫といわれているが定かではない。同朋衆とは芸人のことのようで、戦争に明け暮れていた武家に仕えて慰める芸能集団と考えてよいのだろう。だから決して身分は高くないし、上流社会からは蔑まれるような存在の人々であった。それでありながら、利休は堺の商人であり、茶の道を究めた人といわれている。

 歴史の真実は分からないけれど、利休が歴史の表に出てくるのは織田信長の時代である。信長は時代を読み取る力があったから、鉄砲を仕入れるためにバテレンの布教を許した。そればかりか、それ以前であれば戦場での働きに対しては奪った領土を与えてきたけれど、これからはそうできないと読んで、それに代わるものとして、茶の湯の普及に努めたのではないかと思う。信長が恩賞として与える必要の茶器について、それがそんじょそこらにあるものではない貴重な由緒正しきものでなくてはならなかった。だからこそ、信長も秀吉も利休を大事に思い、利用しようとしてきたのだと思う。

 利休はそれを知りながらその上をいくことを考えていたのではないだろうか。私は茶の湯も知らなければ、利休についてもよく知らない。けれど、たとえばお茶碗には五山があり、小さな器の世界に雄大な山々を連想させる遊び心が日本人にはあった。抽象化してものごとを捉えようとするのは哲学の世界であり、日本人は外国から入ってきた文化をいち早く日本の文化に転換させる能力が備わっていたようだ。仏教についても、茶についても、日本人はそれを自分のものとし、さらにいっそうそこに新たな意味を付与して、「道」として確立していく才能を備えていたと思う。

 そんな話が今日の大和塾の2月例会では話題になった。中国の詩人の話や日本の戦国武将らの生き様と価値観あるいはたしなみについて、よくまあご存知と思うほど次々と話題が生まれた。私たちの前の世代の人々が漢文や漢詩に精通した教育を受けているのに、残念ながら私たちの世代からそういう知識はグンと落ちている。私は団塊の世代ではないけれど、その団塊の世代より先に生まれた者としては、こういう漢文に慣れ親しんだ世代が羨ましいし、私たちの後の世代が戦前の世代と完全に決別して生きていることも羨ましい。私たちは誠に中途半端な世代だと思う。

 権力を手に入れた者は、当然なのかもしれないがそれを誇示しようとする。五木寛之氏の『親鸞』ではないけれど、釈迦が誰のために何を教えたのか、そう考える親鸞はますます原理主義者になっていくが、他の一切をこの世から抹殺すれば自分が考える釈迦の教えになるとは考えない、そこに親鸞の生きている強みがあったし、真実があったように思った。
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幻想に生きるもよし、現実に生きるもよし

2010年02月16日 22時44分30秒 | Weblog
 いよいよ五木寛之氏の『親鸞』がもう少しで読み終わるところまできた。残りは50ページほどだから今晩中か明日の午前中には終わるだろう。新聞に連載されていた時、ちょっと興味があって読もうとしていたのに、どういうわけなのか読みづらかった。それが1冊330ページほど上下2巻もあるのに、あっと言う間に読める。太宰治が言うところの「小説は面白くなければならない」というものだ。五木寛之氏の作品を他に読んだことがないのでえらそうなことは言えないけれど、こんなに読みやすい作家だったなら他の作品も読んでおけばよかったと今更ながら思った。

 それで最後のクライマックスを楽しみに取っておいた。親鸞がどういう人なのか、どうして念仏門に光を見たのか、そのことがよくわかって面白い。歴史上の人物としての親鸞は知識と知っていても、親鸞が浄土真宗を打ち立てる過程を物語として読んでみると、信仰とは何かが分かるような気がした。私には親鸞とキリストがダブって見える。いや、釈迦も孔子もキリストも、そもそも人と神あるいは絶対的な存在もしくは真理の関係について、考えた人は一つの結論に達するまでには同じような苦悩を背負い込むものなのかもしれない。

 そういう人生の先駆者はその生きた時代の社会との軋轢の中から、思想を生み出してきている。太陽が降り注ぐような日の当たる場所ではなく、むしろ社会から弾圧されたり冷遇されたりする日陰から生まれている。思想とはそういうものかもしれないと読みながら思った。しかし現実の社会は釈迦や孔子やキリストの時代と何も変わらない。人間は魚や貝を食べ、牛や豚や鶏を食べ、大地が恵む穀物を食べ、そうした生き物の命を食べて生存してきた。自然を壊して物を造り、商品を売り買いして富を蓄えてきた。「なにか罪深いことをしているといううしろめたさが、どこかにつきまとう」(『親鸞』下279P)生活が続いている。

 今日は離婚の相談を受けたので、弁護士のところへ一緒に出かけたが、人と人の営みも人類の誕生以来ほとんど変わっていないかもしれない。男と女は互いに好きになり、恋しく思い口を吸い、身体を重ねていく。生活を共にするようになると、相手を自分の所有物のように、あるいは全く逆に空気のような存在感のないものに、勘違いしていく。そうした心のズレが表面化してきた時は離婚という現実が表れる。結婚が幻想ならば離婚は元に戻ったと思えばいいような気もした。それでも長く幻想のままに生涯を閉じる人もいるし、それこそが幸せだと考えている人もいる。

 私の解釈する親鸞さんによれば、どれも真実、幻想に生きるもよし、現実に生きるもよしである。ひとりで生きるよりもふたりで生きる方が楽しいと思う人はそうすればよいし、ひとりで生きる方が楽と思う人はそれもよしである。人にはそれぞれの生き方がある。肝心なのは自分がどう生きるかである。『ぼくはこう生きている 君はどうか』(重松 清&鶴見俊輔 潮出版社)。
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服装なんて好きでいい

2010年02月15日 22時23分12秒 | Weblog
 オリンピックのスノーボード競技の国母選手が話題の人になっている。頭の毛をチリジリに巻き、口ひげを伸ばし、鼻にピアスのあの選手だ。公式ウェアのシャツを腰から出し、ネクタイを緩め、ズボンは腰ではなくお尻ではいている姿がだらしないと総攻撃を受けた。「ゴメンナサイ」の記者会見を2回も行い、2回目は団長である橋本聖子議員が同席していた。

 「絶対に許さない」と言う人が多いけれど、私はむしろ容認派だ。そんなことに目くじら立てることなんかないよと思っている。「21歳にもなるのだからもう子どもではない。そんなマナーも分からない者は出場する資格はない」と厳しい人もいる。確かにまだ、子どもだと私も思う。けれども21歳なのにとは思わなかった。同年の人でもそういう格好の人はいるし、坂本龍馬がちょんまげを結わずに束ねているようなもので、面白い格好をしているなと思っていた。

 今朝の中日新聞に夜回り先生の水谷修さんが『時と場を考えよう』と書いていた。後輩の新聞記者も「TPOを知らぬバカと高2の息子が言っていた」と笑った。人は場所や場面を考えて行動する。それが出来ない人間はアホというわけである。その通りだと私も思う。私自身はどんなにアホクサと思っていても常識に従ってきた。高校生の時、学生服の裏生地に龍や虎を配したものを粋がって着ていた友だちもいたけれど、自分が着たいとは全く思わなかった。学生服を学生服らしく着るのが私の美学だった。

 国母選手がどう考えているのかは知らないけれど、最初のゴメンナサイ会見は記者がしつこく「反省しているのか」と聞くから「チェッ」と舌打ちした音声が入ってしまった。それくらい彼はなぜ反省する必要があるのかと内心思っていたということだろう。どうして服装を問題にするのか、彼には分からない。実は私もわからない。ユニホームだからと言うが、彼はそれを彼なりだが着ていた。そういう服装の細かな点まで揃えようというのであれば、髪形も髭もピアスも注意してもよさそうなものだ。

 今回のオリンピックで最初のメダルを獲得すると言われていた上村愛子選手も最初に出てきた時は金髪だったように記憶している。私は一糸乱れぬというスタイルが嫌いなので、どうしてもそんなのいいじゃないのと思ってしまうが、多くの人が国を代表しているという自覚がないと指摘していた。多分、国母選手は日本の国の代表という気持ちは持っていないだろう。そういう気持ちが無くてはいけないと言う人の方が私は怖い。ロシアからスケートのペアで出ている女性は日本人だが、ロシア国籍を取得して出場している。出場選手の紹介を聞いていると、いつもはヨーロッパで暮らしているが赤道直下の本国から出場しているという選手が何人かいた。

 各選手が自分の能力を競い合うのがオリンピックなのだから、もう国の対抗戦のような言い方は辞めた方がいいのではないか。だらしない服装だと選手を非難するのも、メダルを何個取れたとか、取れなかったとか、そんなことが最大の関心になるような社会だからだと思う。何個なんて関係ない。一生懸命に頑張ったならそれでいい。そう考えれば服装だってどうでもいいのではないか。
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バレンタインチョコ

2010年02月14日 21時07分00秒 | Weblog
 『バレンタインコンサート』に行って来た。碧南市芸術文化ホール「エメラルドホール」で行なわれたコンサートである。知っている人は知っているのだろうが、主催者が誰なのか、何のためのコンサートなのか、よくわからないままであった。長女のダンナの上のお姉さんが出演するというので、それはぜひ観たいと思った。ダンナのお姉さんふたりはなかなかの美人で、上が声楽を、下がパイプオルガンの演奏を行なうと聞いた。ダンナのお父さんはクラリネットを吹くだけでなく、オルガンも弾ける。音楽に優れた才能を持っている一家である。

 名古屋オペラ協会の研究生が卒業してグループを結成し、発表会を行なっているものの一環のようで、今日はそのメンバーに師でもあるソプラノの鈴木恵美さんとテノールの神田豊寿さんそれにフルートデュオの千鳥足が加わったものらしい。お姉さんの今日の演目は、オペラ「カプレティー家とモンテッキ家」より『ああ、幾度か』であった。シュイクスピアの『ロミオとジュリエッタ』で有名な物語だ。あのベランダ越しに愛をささやく場面はよく知られているが、『ああ、幾度か』は仮死状態のジュリエッタを発見したロミオが自殺してしまい、目を覚ましたジュリエッタが絶望し、後を追って命を絶つ場面で歌われるものである。

 場面が想像できるような見事な歌いっぷりだった。声も鈴木恵美さんに次いでよく出ていたし、感情を込めて「私のため息をあなたへ送りたいのに‥ああ、幾度。ああ、どれほどあなたを捜し求めたでしょう」と切々と歌い上げていた。「よく声が出ていましたね」とダンナの父親に話すと、さすがに音楽一家の父親だから「まだまだですね」と手厳しい。オペラの中の曲がほとんどだったので当然なのだろうが、イタリア語だから何を言っているのかわからない。意味がわからない言葉をジッとして聞いているのはやはりかなり苦痛だ。

 出演者の親戚などの関係で来ている人がほとんどだから、そのうち飽きてくるのも無理はないと思った。映画のように日本語訳が映し出すような工夫があってもいいように思った。全曲イタリア語でなく、後半は日本語の歌でもよいのにとも感じた。鈴木さんと神田さんが日本語で「女心の歌」を歌った時、会場から大きな拍手が沸き起こった。ゲストへのお礼の拍手の意味もあると思うけれど、それ以上に「やっとわかる言葉の歌が聴けた」という拍手だったと思った。やはり、歌は言葉だから言葉の意味がわからなければ単なる音階でしかない。無意味な音階など聞きたくないのが本音だろう。

 出口で出演者の皆さんがバレンタインチョコを配っていた。孫娘が「日頃お世話になっているからパパちゃんにはチョコ用意してあるからね」と言っていた。そんなこんなで、私もバレンタインチョコが揃った。一番嬉しかったのは、心を込めたバレンタインチョコだ。本当にありがとう。
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公開講座「議会改革」

2010年02月13日 22時50分25秒 | Weblog
 行政の刷新は首長の責任だが、議会の改革は議員の責任だ。にもかかわらず、議会の主体である議員が議会改革に熱心ではない。国会議員だってそうなのかも知れないが、地方議会の議員の多くが「議員は名誉ある職業」と思っている。議会のない時も、議員バッチを胸につけ、挨拶を受ければ喜んで飛んでいくが、だんだん当選回数が増えると挨拶されて当たり前だという態度になっていく。

 議会を改革しなければならないと感じるのは、議員として一生懸命に真面目に活動している人たちである。たとえば、議会では質問する時は事前に通告するようにと決まっているところが多い。また、質問は3回までとか、質問できる時間は何分までとか、細かく決まっている。しかし、議会は市民の声を聞くため何々をしなければならないとか、市民に対して議員は議会報告を行なわなければならないとか、議会や議員の責任と義務を決めているところは極めて少ない。

 議会は最大勢力が有利なように規則や申し合わせを決めている。議長が1年で交代するのも、最大勢力から4人の議長を出せるからである。議長が自分で考え、どういう議会運営をすることがよいのか、そんなことを考え実行しなくてもよいのが現状の議会であるから、誰でも議長を務めることが出来る。議長の隣に座っている議会事務局長の指示で書かれた文書を読んでいるのだけなのだから。

 けれども、それでは市民に開かれた議会ではないし、市民の声を反映する議会ではない。市民が議会を傍聴する時は必ず住所氏名を書く用紙が置かれている。本会議はセレモニーに近いかもしれないが、委員会はしっかり議論していると言いながら、委員会の傍聴はダメだというところも多い。市民の知る権利を制限しているばかりか、少数派の議員の活動を制限している。数え上げればキリがないほどある議会の理不尽を改革していかなければ、市民に開かれた議会にならないし、そもそも民主主義が単なる形式になってしまう。

 今日は、名古屋市都市センターの会議室で、「無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク」(代表は三重県松阪市議会の海住恒幸議員)は、三重県議会の議長の三谷哲央氏を講師に招き、『三重県議会の議会改革』をテーマに公開講座を開催した。こうした公開講座は今回で11回目になるが、このところ常に60人ほどの参加者があり、熱心な質疑が行なわれた。

 三谷氏は「議会改革の基本は情報公開である。議会基本条例とか決まりや制度も、住民参加でつくらなくては意味がない。予算書の審議は大事だけれど決算書の審議こそは議会の本骨頂である」などと話された。実際にいくつも提案し実行しているだけに、会場からの質問に対しても一つひとつにテキパキと答えられ、自信に満ちていた。

 参加された議員の皆さんがこれから自分の議会でいかに古い議会から脱皮するのか、今日もらった力を議会で大いに発揮して欲しいし、やはり今日のように、みんなで智恵を出し合う機会も必要だと思う。「無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク」はその役割を果たしていかなくてはならない。
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一日千秋

2010年02月12日 22時09分42秒 | Weblog
 一日千秋という言葉がある。たった一日なのに千年のように非常に長いことをいう。待ち遠しい時は一日がものすごく長いように思うし、楽しい時はなぜかあっという間に過ぎてしまう。もうすぐバレンタインだから、彼女からの贈り物に期待できる人は待ち遠しいだろうけれど、そんなときめきがなくなってくると、一日はすこぶる長いし、毎日が何の変化もなく過ぎていく。それなのに、年月の流れはとても速いのはどうしてなのだろう。

 久しぶりに街に出てみる。寒い季節であるけれど、女子高校生は相変わらず超ミニのスカートで、素足の太ももを見せつけている。電車内を見ると、スカートの丈が短いのは高校生だけではないようだ。女子大生はもちろん若い社会人の女性たちもミニやあるいは短パンである。40代や50代の女性でもけっこう短いスカートをはいている。みんな足が長い。夏の素足よりもストッキング姿の方がむしろ足の形がきれいに見える。ストッキングも昔のように肌色とか黒あるいは灰色といった単純なものではないし、編み方がとても変わっているものが多い。

 そんな女性たちの足ばかり見とれていると変態と思われてはイカンと、目を閉じていたらいつの間にか眠ってしまった。チョコレートの甘い夢でも見ればよかったけれど、ほんの一瞬ウトウトしたところで、聞きなれた駅名にビックリして私は降りることが出来た。私の席の前の人は、同じ駅から乗った人だけれど、私が眠りに陥る前から眠っていたが、あのままあの人はどこまで行くのだろうかと、人のことながら気になった。

 そして、家までの道で、幼稚園から帰ってくるふたりの女の子に出会った。小さな方の女の子が荷物を持ち、大きな方の女の子が半分泣いている。小さな女の子が「泣いたらダメだよ。もうすぐだからね」と両手一杯の荷物を必死に抱えながら大きな女の子に声をかけていた。その小さな女の子が声をかけながら、チラチラと私の方へ視線を送るので、一瞬どうしたものかと思い、立ち止まった。手を出すべきかと迷った。けれども、小さな女の子はそのまま歩き続けている。頑張ってねとしばらく見ていた。ヨソの子ながらちょっと気になった。

 孫娘は私立高校を2校受験したが、まだ本命の公立が残っている。私学推薦の友だちはすでに進学校が決まりホッとしているが、まだ自分の道のりは長い。最近は少しイライラしている。なあに大丈夫だよ。合格も不合格も時の運、健康にだけは気をつけて、この次の公立に向けて勉強すればいい。そう言っても、いや何を言っても、今の彼女には無駄だろう。一生懸命に勉強しているのに、「一生懸命に勉強しなさい」と言われては、朝青龍ではないけれど、「これ以上どうしろと言うのか」と頭にくるだろう。

 恋人らしきふたりが手をつないで歩いている。彼は彼女からバレンタインチョコをもらうのだろうか。人のことなのにまたいらぬことを気にしている。
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春の訪れを待つ人

2010年02月11日 22時22分25秒 | Weblog
 衆議院の石川知裕議員が民主党に離党届を出した。小沢一郎幹事長は「本人の決断だ。党をはじめ皆さんにこれ以上迷惑をかけたくない気持ちだと思うので、素直に受理した。本人のけじめであることは間違いない」と述べていた。そして「国会議員の職務に関連したり、不正なおカネをもらったとか脱税したという実質的な罪の責任を問われたのでもない。収支報告書のミスだ」と相変わらず単純ミスを強調していた。

 厚顔というべき態度にあきれる。いくら形式的なミスだとしても、その罪は大きいという認識がなければ、政治の浄化は出来ない。理髪店でも4月に行なわれる市長と市議の選挙が話題になった。「どういう人にはなってもらいたくない?」と聞いてみた。「70歳以上の人はもうやめてもらってもいいのではないの」という話から、具体的な現職の議員の名前を挙げて、「女性にみだらな行為をした人は絶対に許せない」と言う。

 「何もしないで、お金をもらっている人も許せない」と付け加える。「そんな人を選らばねければいい」と言えば、「どうして当選できるのだろうね。喫茶店でも大判振る舞いみたいだ」とも言う。それくらいもう街中の人々が知っているのに、そういう人を持ち上げる人がいるのだから、なかなか世の中はきれいにはならない。しかし、いつかそういう人は当選できなくなるだろう。

 今朝の中日新聞に音楽家のロベルト・シューマンのことが紹介されていた。日照時間が短く、長く厳しい冬を過ごすドイツ人にとって、春の訪れは格別なもののようだ。日本の春のように、三寒四温を繰り返しながらやってくるのではなく、一気にダイレクトに訪れるとあった。シューマンは長く不遇な時代が続いたそうだ。9歳下の美しい最高のピアニスト、クララと出会うがクララの父親の反対で結婚できず、裁判の末にやっとふたりは結ばれる。

 それは長い冬から一気にやってきた春の訪れであった。シューマンは「あふれるように連作歌曲を生み出し、その自信は初めて挑む交響曲への原動力となる」。それが「交響曲第一番『春』」であり、「シューマンは驚異的な速さで楽譜を書き上げ、親友メンデルスゾーンにこの作品の指揮を託した」。そうか、映画ではシューマンは確かに神経質な酒びたりで、楽団の指揮が出来ずに練習はクララが代わって棒を振っていた。シューマンという人は、今で言えばうつ病のような面があったのだろう。

 この映画では、若いブラームスがシューマンのところに転がり込んでくる。ブラームスが生涯独身を通したことやクララへの手紙で「君」と呼んだことから、ふたりを恋人同士という説が生まれたようだ。ブラームスとクララは14歳ほど離れているから、若いブラームスが熟女のクララに惹かれたのかもしれない。

 民主党に春は来るのだろうか。どんな風に来るのだろう。
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入学試験

2010年02月10日 22時45分08秒 | Weblog
 2日間の私学の高校入試を終わって孫娘が帰ってくるなり、「ああ、疲れた」と言う。私学が本命でなくても手を抜かないことがあの子のいいところだから、終わってホッとした気分になっているのだろう。入試の季節には、友だちが次々に合格して、進学先が決まってしまうと、何だか自分ひとりが取り残された気分になるものだ。それで、すっかり落ち込んでしまう子もいるかもしれない。

 私は大学入試は1校しか受験しなかった。しかも試験日は3月末だったから、友だちがここはダメだったとか、ここに受かったとか、次々に言ってきた。それでも別に焦る気持ちはなかった。入試に失敗したなら、大学は行かずに東京へ行こうと密かに決めていた。教員採用試験の時も合格できたのかできなかったのか、よくわからずにいた。できなければ、ゼロからやり直せばいいと思っていた。別に教師になれなくても、人ひとりくらい生活できるだろうと気楽に考えていた。

 それでもどんどん友だちの採用が決まっていった時は、さすがにちょっと焦った。アルバイトで子どもたちに絵を教えていた時だった。よく覚えていないけれど、翌日だったかにどこどこの高校へ行くようにと連絡を受けた。それで、その高校に行った時、恥ずかしくも校長に「それで、私はどこに行くのでしょうか」と聞いてしまった。校長は怪訝な顔をした後、「あなたの勤務校はここです」ときつい口調で言われたことだけはよく覚えている。

 教員採用試験の面接で、試験官から「あなたはどこを希望しますか」と聞かれ、「どこにでも行けますから、どこでもいいです」と答えた。実際に、家も家族もなかったから、どこでも良かった。誰も行かない山奥の学校でも全くかまわなかった。そんな気持ちだったから、まさか自分が高校の教師になるとは思ってもいなかった。大学で自治会運動にかかわった者は就職できないということも言われていたし、実際に就職保留になった者もいたから、自分もその類かと思っていたので、高校の教師になれるとは思わなかった。

 孫娘には、「人生なんかこれからだよ。受かっても受からなくてもたいしたことではないよ。一番大事なことは、いつでもチャレンジするってこと。別に、イヤならやめればいいし、やってみようと思えば当たればいい。そういうことが出来る社会にしていかなくちゃーね」と言ってみる。先日も、来年定年になるという女性が芸術大学で楽器演奏の基礎から学びたいが、もっと簡単に入学できるようにして欲しい。あなたは大学の学長の知り合いだから、そう働きかけて欲しいと言う。大学には決まりがあるから、それを勝手に変えることは出来ないし、そんなことがまかり通っては不公平というものだ。それでも、高校時代のような勉強は忘れたけれど、学びたいと思っている人々に門戸を広げていく大学はけっこうあるように思う。人は意外にも、学びたい気持ちが何時までもある。
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立松和平氏の訃報

2010年02月09日 21時52分27秒 | Weblog
 作家の立松和平氏が亡くなったとテレビニュースが報じていた。立松氏は私よりも若い団塊世代だから、訃報が流れてもウッソとしか思えなかった。死因が何かは知らないけれど、人の死は実にあっけない。私は立松氏の小説は連合赤軍事件を扱った『光の雨』しか読んでいない。誰かの手記を無断で使ったとかいうので、裁判になっていた記憶がある。連合赤軍事件は、団塊世代には重くのしかかる問題だったと思う。立松氏がどこまで学生運動にかかわっていたのかは知らないが、団塊世代には解き明かさずにおれない問題であったのだろう。

 作品はこれしか読んだことがなかったけれど、久米宏氏の『ニューススティーション』によく出演していたし、何よりも朴訥なしゃべりが印象的な作家だった。私は自分が中学生の時から書き綴ってきた日記を自分で小説に書き上げるつもりでいたけれど、どうやら自分にはその才能が無いと思った時、最初に頭に浮んだのが立松氏だった。そうだ、この人に送り届けたなら何かの役に立つのではないか、そんな風に勝手に思っていた作家だった。紀行文とか、子どもの話とか、悪意の無い人だと思っていた。

 立松氏が亡くなって、わたしの日記は誰の役にも立たなくなってしまったが、また、誰か片思いの作家を見つけ出さなくてはいけないなと思っている。今日も五木寛之氏の『親鸞』を読んでいた。昔、そう言ってもつい少し前のことだが、遠藤周作氏の『イエスの生涯』『キリストの誕生』を読んでいた頃を思い出した。遠藤氏よりも世俗的な、だから簡単な、わかりやすい言葉で、五木氏は信仰とは何かを解き明かしてくれているように思った。

 私がキリスト教に興味を抱いたのは小学校の高学年の時で、実際にキリスト教会の門を叩いたのは中学1年になった時だった。それから聖書研究会に参加し、学んだけれど、私は学校の勉強と同じように理解しようとばかり努めた。今から思えば当たり前のことだけれど、理屈で覚えてみてもそれは信仰には変わらなかった。キリストが何故そのようなことを行い、また言葉を口にされたのか、書かれてある事柄を覚えてそれを理屈で組み立てていっても、肝心なところが理解できなかった。

 それを遠藤氏も五木氏も、頭で理解してはならないと説く。遠藤氏の2作を読んだ時、ああこういうことが信仰なのかと思ったけれど、五木氏はもっとわかりやすかった。それは釈迦もそして法然も親鸞も人間であるからかも知れない。迷って当たり前ではないか。苦しんでいいのだ。煩悩に悩まされるから人間なのだ。そう思えば、人は死ぬまで罪に生きる存在だとわかる。一歩でも二歩でも気高くなくてはならないと決め付けることはない。凡庸な者は凡庸なりに生きていけばよい。なるほどなと私が言うと、それは自分に都合のいい解釈ではないのかとお叱りを受けそうだ。それまた、仕方ないか、そう思ってみる。
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もうすぐ選挙が始まる

2010年02月08日 19時13分30秒 | Weblog
 4月に選挙があるために、周りが騒がしくなってきている。先日も選挙用具を扱っている業者から電話がかかってきた。「そばまで来ているので、これから伺います」と言う。選挙用具屋さんに頼まなくても選挙のイロハは知っている。お金をかけなくても出来る選挙をやってきたから、むしろ教えてあげたいくらいだ。だけど、誰でも応援するほどお人よしではないし、それでは自分がやってきたことは何だったのかということになってしまう。

 今日も喫茶店に呼び出され、「どうしてロクな候補者がいないのか」とグチを聞かされた。答えは簡単だ。ロクでもない候補者でも当選できているからだ。実際に、議員に当選しても議員活動は議会に出て手を上げることだと思っている人がいる。せめて議会で何が話され、市政の問題はここにあると報告して欲しいが、市民に愛嬌を振り回し、挙句にコーヒーの一杯でもおごれば「立派な議員さん」と思ってもらえるとしか考えていない。有権者も自分が投票した議員が何をしているのか、知らずにいる。

 日頃は全く音沙汰ないのに、こうして選挙が近づいてくると、中身がないのに顔だけは載っている「ニュース」が配られてくる。確かにもう自民党政権はたくさんだと思い多くの人が民主党へ投票したのだけれど、自民党政権を支えてきた地方の仕組み、国会議員がいてその下に県会議員がいてさらにその下に市町村議員がいることにまでは関心が至っていない。日本の政党の組織はおよそどこでも上意下知となっている。地方議員は国会議員の票を集め、その見返りに国会議員から応援や情報をもらう。

 せっせと地域を回り、要望や苦情を聞き、行政に「やらせる」ことが地方議員の仕事と思っている議員も市民も多い。そこには自治体をどうしていくのか、どういう街づくりを進めることが市民の生活を支え豊かにするかが欠落し、地域エゴが優先になる。地域では腰の低い親切な議員だが、行政にはうるさいゴリ押し議員となる。議会で質問などしなくても平気な議員になっていく。一度も質問に立たない議員だっている。質問する議員の中にも、全く意味のない質問をする人もいるし、質問を行政に書きてもらう人さえもいる。

 そんなロクな議員がいないのであれば、議員定数を減らした方がいいと言う人はいる。それも一理あるかも知れないが、私は議員報酬を減らして議員数は増やした方がいいと考えている。一極集中型になるよりは分散型の方がまとまるのに時間がかかってよいと思っている。ひとりの優秀な政治家よりも大勢の愚者な政治家の方が安心ではないだろうか。もちろん、愚者を賢者に変えていくのは市民の役割である。だから、市民が市政に口出しできるシステムが大事だ。

 名古屋市の河村市長が各種委員会もオープンにすると言うが、そういうことが「市民が市政に参加する」につながっていくと思う。衆知されてこそ市民も考えることが出来るし意見も言える。
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