利休は「茶の湯」で何を夢見ていたのだろう。茶室に入るは狭いにじり口から入らなくてはならないから、入り口で刀を置いていかなくてはならなかった。茶室の中では全ての人が平等である。自分の身を守るものは1本の扇子しかない。そういう世界を作り出した利休は、それで何をしようとしていたのだろう。利休は足利将軍家に使える同朋衆の子孫といわれているが定かではない。同朋衆とは芸人のことのようで、戦争に明け暮れていた武家に仕えて慰める芸能集団と考えてよいのだろう。だから決して身分は高くないし、上流社会からは蔑まれるような存在の人々であった。それでありながら、利休は堺の商人であり、茶の道を究めた人といわれている。
歴史の真実は分からないけれど、利休が歴史の表に出てくるのは織田信長の時代である。信長は時代を読み取る力があったから、鉄砲を仕入れるためにバテレンの布教を許した。そればかりか、それ以前であれば戦場での働きに対しては奪った領土を与えてきたけれど、これからはそうできないと読んで、それに代わるものとして、茶の湯の普及に努めたのではないかと思う。信長が恩賞として与える必要の茶器について、それがそんじょそこらにあるものではない貴重な由緒正しきものでなくてはならなかった。だからこそ、信長も秀吉も利休を大事に思い、利用しようとしてきたのだと思う。
利休はそれを知りながらその上をいくことを考えていたのではないだろうか。私は茶の湯も知らなければ、利休についてもよく知らない。けれど、たとえばお茶碗には五山があり、小さな器の世界に雄大な山々を連想させる遊び心が日本人にはあった。抽象化してものごとを捉えようとするのは哲学の世界であり、日本人は外国から入ってきた文化をいち早く日本の文化に転換させる能力が備わっていたようだ。仏教についても、茶についても、日本人はそれを自分のものとし、さらにいっそうそこに新たな意味を付与して、「道」として確立していく才能を備えていたと思う。
そんな話が今日の大和塾の2月例会では話題になった。中国の詩人の話や日本の戦国武将らの生き様と価値観あるいはたしなみについて、よくまあご存知と思うほど次々と話題が生まれた。私たちの前の世代の人々が漢文や漢詩に精通した教育を受けているのに、残念ながら私たちの世代からそういう知識はグンと落ちている。私は団塊の世代ではないけれど、その団塊の世代より先に生まれた者としては、こういう漢文に慣れ親しんだ世代が羨ましいし、私たちの後の世代が戦前の世代と完全に決別して生きていることも羨ましい。私たちは誠に中途半端な世代だと思う。
権力を手に入れた者は、当然なのかもしれないがそれを誇示しようとする。五木寛之氏の『親鸞』ではないけれど、釈迦が誰のために何を教えたのか、そう考える親鸞はますます原理主義者になっていくが、他の一切をこの世から抹殺すれば自分が考える釈迦の教えになるとは考えない、そこに親鸞の生きている強みがあったし、真実があったように思った。
歴史の真実は分からないけれど、利休が歴史の表に出てくるのは織田信長の時代である。信長は時代を読み取る力があったから、鉄砲を仕入れるためにバテレンの布教を許した。そればかりか、それ以前であれば戦場での働きに対しては奪った領土を与えてきたけれど、これからはそうできないと読んで、それに代わるものとして、茶の湯の普及に努めたのではないかと思う。信長が恩賞として与える必要の茶器について、それがそんじょそこらにあるものではない貴重な由緒正しきものでなくてはならなかった。だからこそ、信長も秀吉も利休を大事に思い、利用しようとしてきたのだと思う。
利休はそれを知りながらその上をいくことを考えていたのではないだろうか。私は茶の湯も知らなければ、利休についてもよく知らない。けれど、たとえばお茶碗には五山があり、小さな器の世界に雄大な山々を連想させる遊び心が日本人にはあった。抽象化してものごとを捉えようとするのは哲学の世界であり、日本人は外国から入ってきた文化をいち早く日本の文化に転換させる能力が備わっていたようだ。仏教についても、茶についても、日本人はそれを自分のものとし、さらにいっそうそこに新たな意味を付与して、「道」として確立していく才能を備えていたと思う。
そんな話が今日の大和塾の2月例会では話題になった。中国の詩人の話や日本の戦国武将らの生き様と価値観あるいはたしなみについて、よくまあご存知と思うほど次々と話題が生まれた。私たちの前の世代の人々が漢文や漢詩に精通した教育を受けているのに、残念ながら私たちの世代からそういう知識はグンと落ちている。私は団塊の世代ではないけれど、その団塊の世代より先に生まれた者としては、こういう漢文に慣れ親しんだ世代が羨ましいし、私たちの後の世代が戦前の世代と完全に決別して生きていることも羨ましい。私たちは誠に中途半端な世代だと思う。
権力を手に入れた者は、当然なのかもしれないがそれを誇示しようとする。五木寛之氏の『親鸞』ではないけれど、釈迦が誰のために何を教えたのか、そう考える親鸞はますます原理主義者になっていくが、他の一切をこの世から抹殺すれば自分が考える釈迦の教えになるとは考えない、そこに親鸞の生きている強みがあったし、真実があったように思った。