友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

市民が企画し運営する市民の講座

2014年09月19日 18時05分53秒 | Weblog

 「ちょっと相談したいことがある」と友だちからメールが入る。彼とは私がこの街で地域新聞を始めた時に知り合い、以来長い付き合いが続いている。彼が高校の先生だったことが親近感を持つ要因だったかも知れないが、もしそれだけだったら、いつか交友も途絶えていたかも知れない。彼は決して他人の悪口は言わないし、何かあっても他人のせいにすることもない。ミスや失敗をあげつらうこともない。気持ちよく付き合えるから続いているのだろう。

 彼は30代の若さで脳梗塞を患い、九死に一生を得た。初めはしゃべることもままならなかったという。そこで本を声を出して読むことを続けた。アジサイの花はどうして色変わりするのかと思ったことが農学部へ進むきっかけだったというが、何だろうと思う好奇心は今も健在で、それが生きる原動力になっている。読書好きの彼に、地域新聞の『本の紹介』コーナーを担当してもらったが、題材は実に幅広かった。

 相談の内容は大和塾の存続をどうしていくかだった。大和塾は平成18年の秋に誕生した。この年の4月に首長選挙があり、大敗した私は政治的な活動から卒業すると決めた。地域新聞を作っていた頃から親しく可愛がっていただいていた人から、「何している?」と電話があり、「話がある」と呼び出された。70歳になった彼は「商売をさせていただいた地域に恩返しがしたい」と言う。「お金があり、ヒマのある人はぜひそうすべきですよ」と答えると、「じゃー、アンタも手伝って」と言われる。それが大和塾を立ち上げるきっかけだった。

 私ひとりでは市民活動にならないので、まず彼を誘った。地域の賢人にふさわしい人に集まってもらって、市民が企画し、市民が運営する、市民のための講座活動が始った。当初は、私の知り合いに無料で講師を務めてもらい、年間に4から5回の市民講座を続けて来た。大和塾の発行物である季刊誌『風』もこの秋で21号にもなった。講座への参加者も100人前後と定着している。10年が区切りだ、どうバトンタッチしていくかと思っている。

 さて、明日は5歳の孫娘の運動会があり、夜は夏祭りの慰労会があるので、ブログは休みます。

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原爆の悲劇

2014年09月18日 19時52分29秒 | Weblog

 広島に原爆が投下された時、爆心地から1キロ以内にいた人たちは灰になってしまった。4キロ以内にいた人たちは爆風で皮膚を焼かれ、「水、水をくれ」と彷徨い、川や海に入り死んでしまった。重症を負いながら生き抜いた人も何人かいた。名演9月例会は、青年劇場による『島』で、広島の高等工業へ進み、被爆した青年をめぐる物語だ。彼はかろうじて生き残った。けれど、原爆の悲劇は死者だけではない、生き残れたことは幸せだったのか、舞台から厳しく問いかけられた。

 主人公の学は母親の懸命の介護のおかげで生き残った。そして、今では故郷の島で中学校の教員として働いている。ある日、小学校の同級生で、学と1、2を競った清水が島に帰ってくる。清水は上の学校へ進むことが出来ずに、島を出て東京で働き、地位を得たようだ。競争相手の学が被爆して教師となったことが残念なようだった。元気でいて、これから先も切磋琢磨していきたかったという友情があった。

 清水は組合運動の闘士なのか左翼なのか、アメリカが朝鮮戦争で再び原爆投下を準備していることに触れて、「原爆を落とされちゃかなわん」と言い、「原爆を受けた人間として、どう思う?」と学を煽る。学は「原爆を受けた人間にもいろいろある。僕は、アメリカは2度と落せんと思う」と言う。意外な答えだった。その理由を「人間の本能というか、本性の中にある、生きようとする本能が、最後はこれが勝利すると思う」と説明する。

 「よく分からん」と言う清水に、学は「みんなは日本の憲法を読んでいない」と答える。この芝居が書かれた頃はまだ、「憲法解釈」で集団的自衛権の行使を容認するような事態が生まれると思ってもみなかったのだろう。「多くの人々がジュータン爆撃に曝され、何時殺されるとも知らずに子どもたちのために働いている。瞬時に殺してしまう操作を握っているものは‥」と清水は戦争の非道さを非難するが、学は「あんたは焦りすぎている。人類は矛盾を克服することで進歩してきた」と言う。

 学は「太陽の原理を解放した人間の知恵をどう信頼するかだ。僕は、最後に絶対人間が勝利すると思う。幸福に生きたいと願う人間の意志を絶対に信じる」と言う。『島』の初演は1957年とある。57年前は左翼演劇グループも「核には良いものと悪いものがある」と考えていたようだ。朝日新聞もそうだけれど、思い込みくらい恐いものはない。悲しいけれど、それが現在の問題でもある。

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ヴォルテールの言葉

2014年09月17日 16時22分29秒 | Weblog

 中東で勢力を伸ばしている過激派「イスラム国」に対抗するため、15日にパリで会議が開かれた。アメリカは国際的な同盟をつくりたかったようだが、会議は「必要な措置はすべて取る」という点で一致したものの、どうも各国の足並みは違っていた。フランスはアメリカの空爆を支持し、イラク軍を訓練するための特殊部隊を派遣すると積極的だが、イギリスは空爆に慎重でクルド人部隊への支援と武器供与に留まっている。ドイツはもっと消極的で武器給与のみ、トルコに至っては自国民がイスラム国の人質になっているため参加を見合わせている。肝心のアラブ諸国も態度を明確にしていない。

 中東が部族対立、宗派対立を繰り返しているのも、欧米がこれを煽り利用して支配してきたからだ。にもかかわらず、まだ武力で制圧しようという、全く愚かとしか言いようがない。14日のブログで中学生の男の子の投稿記事を紹介し全く同感だと書いたが、12歳でさえこのような見識を持つことができるのに、世界の政治家たちは「イスラム過激派をどうやって絶滅させるか」しか論じていない。王制を廃止し、市民革命を実現したフランスに、ヴォルテールという哲学者がいる。小説家の白石一文さんの作品にヴォルテールの言葉として、「絶望した側が、戦いに勝つことがよくある」とある。

 どういうことなのかと思ったが、ヴォルテールの生きた時代はフランス革命の頃で、20代の彼はバスティーユ牢獄に収監されたことがある。解放されてイギリスへ渡った。当時のイギリスは名誉革命で立憲君主制となり、議会が生まれていた。ヴォルテールは先進国イギリスから学ぶものが多かったようだ。ヴォルテールはこんな言葉も残している。「私はあなたの意見に反対だ。だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」。今から300年も前に、まだ議会が定着していない時代に、こう言い切る人がいた。欧米は先駆者から何を学んでいるのだろう。

 今晩は名演の例会のため、今日はここまで。

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運動会

2014年09月16日 18時48分54秒 | Weblog

 「回れ右!全員前に進め!」。「もっと手を振れ!足を上げろ!」。小学校の運動場では運動会に向けて、行進練習が何度も行なわれている。小学6年の時の私は既に反戦主義者になっていたので、軍隊を真似たような行進練習が嫌いだった。止めて欲しいと思っていたが、口に出すことも、行動に出ることもなかった。中学に入ると、行進練習はもっと厳しく行なわれたのに、私はいつの間にか慣れてしまい、反抗心さえなくしていた。

 中学1年の運動会の行進練習の時、女子の前の方で笑い転げている子がいた。先生は「何が可笑しい!」と怒鳴った。するとその子は「だって可笑しいもん!」と言った。先生は怒って「真面目にやれ!」と叱った。「はーい!」と女の子は答えたが、まだ顔は笑っていた。ヘンな子だった。時々、突拍子もない高い声を上げるし、よく笑うし、よくしゃべる。脊は低く、やせていて、色白で、目がパチッとしていた。

 小学校が違っていたので、初めて出会った子だった。彼女は決して反戦主義者ではなかったけれど、行進練習をしていると笑いが込み上げてくるような感覚の持ち主だった。私は妖精のようなこの子に惹かれていった。中学3年の時、彼女の誕生日に、花屋さんからバラの花を届けてもらった。中学、高校と同じ学校だったのに、ふたりだけで話したことは1度しかない。それもたまたま偶然に道で出会い、そのまま長く立ち話をしただけだ。

 手紙のやり取りもなかった。そんなことも思いつかなかった。私は一方的に彼女を恋していると思い込み、文芸部の機関誌に彼女のことを謳った詩や彼女への思いを小説に書いて満足していた。高校3年の冬、彼女から「さようなら」を告げられるまで、彼女が去るとは思ってもみなかった。独善的な私は自分の恋物語に酔っていたのだ。

 高校3年は同じクラスだったのに、学校では1度も話したことがない。クラスの男子が体育祭の時の、ブルマー姿の彼女の写真を得意そうに見せびらかしていたのに、彼女の恋人はボクだとほくそ笑んでいた。そういえば、彼女の写真をいろんなヤツが持っていた。私は1枚も彼女の写真を持っていないのに‥。

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老人たち

2014年09月15日 17時35分28秒 | Weblog

 マンションの集会所で「敬老の集い」が開かれた。以前は65歳以上のお年寄りを対象に、お祝いの品を配っていたが、今では75歳以上を対象にしている。私の友だちも今年から招待状が届き、「まだそんな歳ではないから」と断ったと言う。私がこのマンションに入居したのは33歳の時で、40代の人が一番多く30代はその次だったと思う。老人の姿はなく、小さな子どもたちで溢れていた。

 37年が経つと、見渡せば老人が目立つ。盆・正月の頃は駐車場にほとんど車がなかったのに、この頃では平日でさえ駐車している車の方が多い。そして、盆・正月は家を離れた子どもたちが帰って来るので、マンションの周りの駐車場を臨時に借りなければならない状態だ。ここを終の棲家と考えている人も多く、長い付き合いが家族以上に続いている。最近では、マンションの別の部屋を購入して、子どもたち家族が住むケースも増えている。

 それでも、ひとり暮らしの人は増えていて、気の毒な気がする。人と話したり、人と触れたり、そういう機会のない人は難しい顔になっていくから不思議だ。やはり幼い子どもが傍にいると、人の顔は柔和になるようだ。満たされているか否か、人の表情は敏感に見せてしまう。白石一文さんは小説の中で、「幸せになりたいなどと思うな。しかし、幸せにすることならできる」という言い回しをよく使っていた。

 若い作家に教えられるようでは情けないけれど、老人でも人を愛することは出来るはずだ。胆に命じておこう。ニュースを聞いていたら、65歳以上の高齢者の万引き数が19歳以下の人の数より多いという。「何となくお金を使うのが惜しかった」という理由らしい。バカかと思うけど、先への不安が無意識にさせてしまったのかも知れない。それに、孤独な老人には情緒不安な人も多いようだ。人をもっと愛すればきっと、心も豊かになるのにと思うのだが‥。

 「古希過ぎて なお人肌が 恋しとは 恥ずかしいやら 寂しいやらや」

 「老いらくの 恋のゆくへは 先細く 可愛くもあり 可哀相もあり」

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中学生の投稿に賛成する

2014年09月14日 17時28分15秒 | Weblog

 昨日、長女たちと昼食を一緒にして店を出てきた時、5歳の孫娘が「パパ、見て、雲がいっぱいだよ」と言う。見上げると、真っ青な空に、綿をちぎったような真っ白い雲がたくさん浮かんでいた。それは絵のように美しかった。私は5歳の孫娘が、この光景を喜び、関心を持ったことに大きく感激した。美しいものを見る目が孫娘に備わっていることが嬉しかった。

 相撲で負けて泣いたり、大人たちの話が自分のことでなくなるとわざと存在を示したり、やんちゃなところはまだまだあるけれど、少しずつ大人に向かっている。今日は仙台の次女の家にいるが、そこには生後4ヶ月のいとこがいる。家では自分が中心なのに、ここではみんなが赤ん坊に話しかける。大好きな母親も姉も、自分よりも赤ん坊ばかり見ている。20歳の姉が赤ん坊のオムツを取り替えるのを、5歳の孫娘は真剣な顔で見ていたそうだ。

 私はまだ、お姉ちゃんのようにこの子を抱くことも出来ないし、オムツを替えてあげることはできないが、きっといつか出来るようになる。そんな顔で眺めていたようだ。次女の娘である4ヶ月の孫娘は急に人が多くなり、母親に代わっていろいろ世話をしてくれることを心配そうに、そして興味深く、ジッと見ているという。女性たちはこんなに小さな時から寛容なのだ。

 オバマ大統領がイラク北部を支配する「イスラム国」を空爆で壊滅へ追い込むと言い、空爆の範囲をシリアへも広げたいようだ。先日の中日新聞に、12歳の日進市の中学生の投稿が載っていた。「私は、人の首を切るというような手段で自分の主義や主張を訴えることは、いかなる理由があろうとも許されないことだと思う。しかし、イスラムの抱える苦しみを知りもしない私に安易な批判ができるのかと問われると、言葉につまる。急進的イスラム主義の活動の取り締まりは必要だろうが、どうかイスラム主義の人たちの言論の自由がなくならないよう祈りたい」。

 全く同感だ。無差別テロを弾劾するのに、空爆という無差別テロを行なう矛盾を、オバマ大統領はどう説明するのか。投稿した中学生くらいの洞察力と人としての基本的な立場を、全ての政治家に持ってもらいたいと思う。孫娘たちの未来のためにも。

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家族のつながり

2014年09月13日 17時46分30秒 | Weblog

 朝、ルーフバルコニーに出ると秋のような爽やかさだった。昨日から、朝の冷え込みは厳しく、半そでのシャツでは寒いくらいになった。薄い上着を1枚着込んで、水遣りをしていると鼻がもぞもぞしてポタリと鼻水が落ちる。「ハクッション」とクシャミが続く。寒い。鼻水とクシャミは治まらない。いよいよ秋の到来である。寒暖の差に過敏に反応するアレルギー体質には苦難の季節だ。目もショボショボ、鼻はムズムズ、クシャミは続く、全く憂鬱な季節である。

 今日から長女とその娘たちは、仙台に住む次女の家に行くという。5歳の孫娘は体操教室に行っているというので、ちょっと覗いてみようかと思ったが時間が合わず、お昼を一緒に食べることになった。5歳の孫娘が保育園の年中組を代表して出場した相撲大会の録画を見せてもらった。体育館の中であったけれど、マットの上に円が作られた立派な土俵だった。

 1度目の男の子に対しては、出だしよく土俵の外へと押し込んだが、同時に倒れ微妙な勝負となった。孫娘は押し出したという自信があったのか、円の内側で判定の下るのを待っていた。行司の判定は男の子に上がったが、ものいいが付いて取り直しとなった。取り直しでは見事に押し出した。自分よりも大きな男の子を相手によく奮闘していたが、身体の差は歴然で、最後の試合は振り回されて負けてしまった。

 その時、孫娘は泣き出した。勝てると思ったのに負けたからか、負け方に余りに差があったからか、オイオイと泣いたそうだ。泣きながら帰って来た妹を迎えて、20歳の孫娘は「よくやったね」と一緒にオイオイと泣いたという。それを見ていた長女のダンナの両親も思わずウルウルとしてしまったらしい。私はその場にいなくてよかった。いたならきっと、孫娘たちと一緒に泣いていたかも知れない。

 長女たちと別れて、私の妹夫婦と一緒に、施設にいる姉を見舞いに行った。姉はすっかり穏やかな表情になった。私たちを見るなりニコニコして嬉しそうな顔をした。カミさんがお茶をのどに詰まらせて咳き込むと、「どうしたの?」と心配をしてくれた。帰りの車の中でカミさんが「お姉さんのことがあって、みんなが集まる機会も増えたわね。これが家族っていうものなのね」と言う。私のクシャミはまだ続いている。

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朝日新聞は要らない

2014年09月12日 17時33分04秒 | Weblog

 昨夜、朝日新聞社長の謝罪の記者会見を聞いて、やっぱり朝日はダメだと思った。地方回りの朝日の記者にはいい人が多かったし、今も本社で活躍している知り合いもいる。民主党から自民党へ政権が移り、秘密情報保護法が話題になった頃から、朝日の姿勢は私とは相容れないと感じるようになった。自民党から朝日系列の「報道ステーション」の古館キャスターが批判され、朝日への風当たりは強くなって来ていたが、あくまで「報道の自由」に徹することを期待していたのに、意外に権力に擦り寄っていったと私は感じた。

 木村社長は福島原発の事故での報道に誤りがあったことを認め、謝罪した。その後、記者からの質問を受けて、慰安婦問題で吉田証言を検証もせずに記事にしたことも謝罪した。これに関連して、池上彰氏のコラム原稿を掲載しなかったことについても謝った。この3点については誤りを認めたけれど、週刊文春の広告掲載拒否については、記者からの質問がなかったこともあって触れなかった。池上氏の原稿に待ったをかけた編集長は、なぜダメだと言い、後になって掲載したのか、その根拠まで述べなかった。

 木村社長は誤報を謝罪し、「再生に向けて道筋をつけた上で、進退を決める」と述べていた。「第3者委員会を設けて云々‥」。不祥事を犯した組織のトップが必ず口にする言葉をここでも聴いた。責任を取るとは潔く退くことだろう。あなたがいなければ組織はもっと的確に自己再生できるはずだ。社内にいる真面目で正義感に燃える人たちが朝日を作りかえるだろう。それが出来ないようなら、朝日新聞は潰れるしかない。

 早速、朝日新聞の販売店の人が購読のお願いで回ってきた。残念ながら、私の意志は変わらないので断った。新聞に中立なんてありえないと私は確信している。だからこそ、好きな新聞が読みたいし、意見が合う新聞を応援したい。朝日を購読している人は朝日の主張に賛同するからで、賛同できなければ断るべきだと私は思う。

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強い人は弱い人を軽く見る

2014年09月11日 17時26分38秒 | Weblog

    ヒガンバナが咲いていた。マンションの敷地の一角に誰かが植えたものだ。その南の日当たりのよいところのヒガンバナは既に枯れていた。中庭の森のようになっているところにもヒガンバナが咲くから、どんな様子かと見て来たが、こちらはまだ伸び始めたばかりだった。どんなに暑くても、秋分の日の頃には満開になるのに、今年はいつもよりも10日ほど早い。集中豪雨といい、木曽御岳の火山性地震といい、何か不気味な気候だ。

 不気味というより、悲しくなる事件が続いている。自然のことは仕方がないけれど、人間が人間にどうしてそんなことをしてしまうのか。盲人の人が連れていた盲導犬が刃物で切りつけられた事件があったが、今度は盲人の女子高生が改札口から、白い杖を頼りに出てきたところ、その杖に躓いた人が、起き上がって女子高生の膝を後から蹴ったという。何という卑劣なヤツと思うけれど、これが人間の現実なのか。

 私の街にも大学があって、そこに通っている盲人の学生がいる。道幅は狭く、歩道もない。大学に着くまでに信号のある交差点が2つあるが、信号の無い交差点もある。彼が歩き出すとどうしても大丈夫かと見てしまう。白い杖を頼りに歩いていくけれど、人や車にぶつからないかと心配になる。彼とすれ違う車や人は、厄介なヤツが来たと迷惑そうだ。迷惑なヤツという意識は、邪魔なヤツという意識に変わる。女子高生の杖に躓いた人は自分の失敗を相手のせいにしてケリを入れたのだろう。

 ハンディキャップのある人は優遇されている。盲人のためには点字ブロックがあり、電車には優先席がある。公共施設の割引や優先駐車場もある。それが気に入らないと思う人もいる。人はどうしても弱い相手の立場に立とうとしない。むしろ障害者は生意気だ、優遇され過ぎだとすら思ってしまう。配慮しなければならない思いやりは憎悪へと変わってしまう。

 話は飛ぶけれど、オバマ大統領は「イスラム国」へ空爆を徹底的に行なうと言う。「イスラム国」の残虐な行為は許されないが、空爆も同様に残虐な行為だ。どうも人間は立場の弱い人への思いやりを忘れている。強い人ほど、弱い人を軽く見る。どうしてなのだろう。

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男友だち

2014年09月10日 18時02分09秒 | Weblog

 男友だちと酒を飲んでいると、時々とんでもない話になってしまうことがある。人工衛星は地球からおよそ400キロ上空を飛んでいるが、その衛星から見ると、雷は花火のようだと言う。しかも仕掛け花火が連続して爆発するように次々と連鎖していくそうだ。さらに「宇宙は膨張している」と言い、「何億光年という遠いところの光が届いているなんて考えられない」が、「膨張し続けているというその端はどうなっているのだろう」と果てしなく続く。

 テレビや新聞、雑誌からの受け売りかも知れないが、そんなことを口に出来るのも関心があるからだ。科学よりも政治の話が盛り上がるのは、情報が多いからで、悪口だけでなくその根幹に迫るような話になることもある。こうなると一致する部分と不一致な部分が顕著になるので、ギリギリのところで話題を転換することが多い。もう長い付き合いになるから、それぞれの思想・信条がわかっているからだ。

 女の話や男女の恋沙汰が話題に上がらないのは、知り合ったのが50代の中年で、それぞれにカミさんがいて子どもがいたから、避けたというところかも知れない。中学・高校からの友だちなら、好きだった女の子も知っているから、話も弾むけれど、そういうことが話題になることはない。イヤ、ひとりだけ例外がいることに気が付いた。彼とは今度の夏祭りの反省会で一緒に飲むが、彼と飲む時は必ず女の話である。それもいつも同じ結論になる。

 「この前、いい女に出会ったんですよ。それで一緒に飲まないかって誘ったら、OKと言うので雰囲気のいい店に行ったんです。いい滑り出しでしょう。3回くらい飲んだんですが、それっきりになっちゃたんですが、どうしてだと思います」と言う。先輩たちは手厳しい。「アンタの話がつまらなかったんだ」とか、「美味しいものが食べられてお酒が飲めればよかったのさ」とか、「そもそもどうしたかったの、一緒に酒が飲めればよかったの?」といつも肴にされてしまう。

 日頃は硬い話が多いけれど、彼が来た時だけはとてもにぎやかになる。経験豊富な先輩たちが女の口説き方を伝授するが、彼からは「うまくいった」と聞かないから何の役にも立っていないのだろう。それでもただひとつ、彼が話し出すと大いに座が盛り上がることだけは確かだ。

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