友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

老いらくの恋に燃えてみる

2015年09月10日 18時50分59秒 | Weblog

 司法試験の漏えいで、明治大学大学院の教授が20代の教え子に解答を教えていたことをテレビが取り上げていた。司会者が「大学の合格率を上げたかったのでしょうか?」と言うと、「それならその女性ひとりに教えることはないでしょう」とゲストが答えていた。教授の目的は他にあった、きっと男女関係にあった、そう言いたそうだった。誰もがそんな風にふたりのことを見ている。

 教授が「金銭目的ではない。彼女に恋愛感情があった」と述べたという報道もある。教授は67歳とある。「いい歳をして恋愛かよ」と言い放つ人もいるが、恋愛は年齢でするものではないし、歳の差も関係ない。「老いらくの恋」という言葉は、歌人の川田順氏の歌「墓場に近き老いらくの 恋は怖るる何ものもなし」から生まれた。68歳の川田氏が京大教授夫人と恋に落ち、失踪事件を起こした時に詠んだ歌である。

 同じ歌人の斎藤茂吉氏も28歳年下の女性と恋に落ちた。正岡子規の遠縁にあたる永井ふさ子さんは四国松山から上京し、茂吉から歌作りの手ほどきを受ける。色白で清楚なふさ子さんに茂吉は心惹かれ、ふたりは子弟関係を超えてしまう。「四国なるをとめ恋しも ぬば玉の夢にもわれにえみかたまけて」とか、「恋しさの激しき夜半は天雲を い飛びわたりて口吸わましを」と、かなり激情的な恋歌をふさ子さんに送っている。

 中学からの友だちがブログにこんなことを載せていた。「藤田孝典氏の『下流老人』を読む。その中には、次のように貧困にあえぐ高齢者の姿の例が幾つも書かれている。<夏場の暑いなか、電気代を気にして、エアコンもつけずに室内で熱中症を起こしてしまう人。頼れる家族や友人もおらず、日中は何もせず、年中ひとりでテレビを見ている人。(少し略す)孤独をまぎらわすため、少額のお金を持って、一日、競艇場や競輪場に居続ける人。>などなど。何か、身につまされてくる。女房に先に逝かれたら、私もこの高齢者のどれか一つ、または複数に該当する高齢者になるのかも知れない。生きることって何だろうか、ふと自分に問い掛けてみる。だが、成り行き任せで生きてきたせいか、古希を過ぎてもなお明解な答えは出てこない。」

 おいおい、友だち以上恋人未満の恋愛至上主義者が情けない。まだまだ恋をして、元気になってもいいじゃーないか。生きるって、夢中になることと違うの?

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男の哀歌

2015年09月09日 16時13分16秒 | Weblog

 心配した台風18号は雨も風もないまま通り過ぎた。午前11時、名古屋市の東部の空は明るかった。風もなく、このまま何もないのだろうかと思っていると、名古屋駅辺りが見えなくなった。するとこの辺りも雲の中に入ったような状態になり、雨が降ってきた。風も出てきた。それでも長くは続かず、あっという間に雲が切れ、青空まで覗くようになった。午後2時、風はなく、太陽の光が降り注いできた。

 台風が近づいてきていた昨日、ゴーヤのカーテンを外し、雨の中だったけれどルーフバルコニーの排水口の掃除もした。植木鉢はそのままで、倒れるほどの強風なら仕方ないといつものごとく中途半端な台風対策だ。不思議なことは台風に備えて作業した時はほとんど被害がない。「どうせ来ないし、来てもたいしたことなど無い」と、心の中では思っているが、それでも出来る対策だけはしている。

 日産自動車の矢沢永吉さんのコマーシャルがいい。「2種類の人間がいる。やりたいことをやっちゃう人とやらない人。誰かのいうことを素直にきいていれば、今よりずっと楽だったかも知れない。それでも確かなことは、やりたいことをやっちゃう人生の方が間違いなく面白い」。ハチャメチャな矢沢永吉らしいと思ってしまうが、それは歌のスタイルからの連想で、実人生を私はよく知らない。けれでもきっと、中年以上の男たちはかなり共感しているはずだ。

 20代30代の我武者羅に生きている男たちは、「中年男は勝手なことばかり言う」と思うだろう。やりたいことがやれるような社会ではないし、やりたいことをやって自滅していった先輩たちを見ているから、ウソっぽく聞こえるだろう。中年を過ぎた男たちは、実際はやりたいことは出来ないままだったからこそ、コマーシャルの言葉に心打たれる。人生は失敗の連続であり、恥の上塗りばかり。だから、「やりたいことをやっちゃう人生の方が間違いなく面白い」と開き直れるのかも知れない。

 男たちはそんな風に自嘲的に、何も出来なかった人生を振り返るけれど、女たちはどんな風に人生を感じているのだろう。台風は去ったが、風が未練がましく吹いている。男の哀歌のように。

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情けない

2015年09月08日 18時55分23秒 | Weblog

 「野田聖子さん自民党総裁選に出馬断念!」。そんなものだろう。それくらい安倍首相は安保関連法案の成立に執念しているということだ。今なら成立出来るのに、対立候補が出てくればヘンな風が吹かないとも限らない。国会議員の20人が集められないくらい締め付けが厳しかったのだろう。自民党から女性首相が生まれるなら、野田聖子が一番手かと思っていたけど、これで彼女の出番はもうなくなった。

 市民派の地方議員の中にも、野田聖子さんに期待する人もいたけど、安保関連法案を廃棄するわけではないのに、安倍さんに対抗するというだけで期待してしまうのはどうかと思う。小泉純一郎さんが「自民党をぶっ壊す」と言った時も、自民党嫌いだった人が期待した。けれど、古い自民党体質を塗り替え、延命させただけだった。野田聖子さんがどういう政策を掲げたのかを吟味もせずに期待してしまうことこそ情けない。

 情けないといえば、中国政府が行った『抗日戦争勝利70年』に国連のパン事務総長が出席したことに、菅官房長官が「中立でない」と噛みついたことだ。菅官房長官の「中立」の理解は、「どちらにも組するな」ということだが、これは自分に都合が悪い時に政治家が発する言葉である。そもそも中立など存在しない。報道でも「中立」が求められるけれど、それは「報道するな」ということである。

 国連は第2次世界大戦の反省から出発している。中国の意図がどうであれ、第2次世界大戦の勝利を記念する行事である。たとえ「抗日戦争」とうたわれていても、日本もまた新しい民主国家となったことを堂々とアピールする度量を示してもよかったと私は思う。韓国のパク大統領が参加したことをバカにしていた外交評論家がいたけれど、韓国の戦略はもっと読みが深いと思う。

 菅官房長官の頭の中は、自分たちの政策に反対する者はすべて切り捨てる構造になっている。だから憲法学者が「安保関連法案は違憲」と表明すると、「法の番人は最高裁であり、憲法学者ではない」と言う。最高裁の元長官が「違憲」と明言すると、「元だった個人の意見」と切り捨てる。大阪市の橋下市長が、13万人と報道された国会周辺でのデモを、「たったそれだけ」と言い切ってしまうことには共通している。こうした政治家が政権を牛耳っていることが情けない。

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雑誌『宝島』が休刊

2015年09月07日 18時38分57秒 | Weblog

 書店で宝島『休刊号』を見つけた。「1974年の創刊から41年間、多くのみなさまにご愛読いただきありがとうございました」が表紙になっている。ご愛読者ではないけれど、王道をいく『中央公論』や『文芸春秋』とは違って、エロ・グロ・ナンセンスを基調とする反骨な雑誌だったので、2度か3度買い求めたことがある。中学からの友だちも言うけれど、どういうわけか雑誌なのだから図書館で読めばいいのに、つい買ってしまう。

 休刊号が何を取り上げているのだろうと興味がわき、中身も見ずにレジに並んだ。王道をいく雑誌の方がはるかに影響力は高いだろうが、下品な暴露本もあった方がいいと私は思っている。「エロ本は追放すべき」と正義感と潔癖症な人たちは主張するけれど、人間には裏表がある。表も裏も見て判断できる人の方が私は好きだ。

 シリアからギリシアに渡ろうとした船が転覆し、溺死した4歳の男の子の写真がヨーロッパの世論を動かしているという。バレーボールや野球の試合に一喜一憂するけれど、幼い命を奪った現実にも涙してしまう。

 NHKドラマ『花燃ゆ』がつまらないと何度か書いたが、人間の内側に迫るものがいつまで経っても出てこない。NHKは明治維新をどのように描きたいのだろう。福山雅治さんの『龍馬伝』も、綾瀬はるかさんの『八重の桜』も、江戸から明治へと変わる激動がなぜ生まれたのかよく分からない。「新しい日本」という言葉は出てきたが、その姿は何も見えてこなかった。

 『花燃ゆ』の吉田松陰は周りの人たちに「こころざし」を求めるばかりで、人が生きる苦悩も重みも知ろうとしない。松陰の「こころざし」とは幕府の役職を暗殺することばかりだ。テロを要求しているが、なぜかが存在しない。「攘夷」と叫んでいたにも関わらず、政権を握ると欧州化に邁進する。「尊皇」と言いながら、これまでの武家政治と同じように天皇を利用している。

 人間は残念ながら完璧ではない。間違ったこともするし、欲張りでもあるし、裏もある。正義や大義あるいは王道しか見ないと、欲深でいいかげんで秘密のある裏が見えなくなってしまう。表のキレイな面だけでいいという人を非難する気はないが、負の部分があること、それを無いものにしてしまうことには反対だ。

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スマホが使えない世代の悩み

2015年09月06日 18時01分41秒 | Weblog

 天気予報は雨だったが、午前7時半では降っていなかった。先輩は迷っているだろうと思って電話をすると、「やりましょう」と言う。「午前中は降らないから、降ってくるまでやりましょう」と。延び延びになっていたからできることならやりたかったけど、雨降りが確実なのにやるのかとちょっと驚いた。しかし、やめればまた日延べしてしまう。雨が降るのが遅くなりますようにと祈る気持ちで現場へ向かった。

 道具を用意し、井戸掘りを始める。わずか40センチばかり掘れたところで雨が降ってきた。雲を眺めると本格的な降りになりそうだ。思い切って中断し、来週まで天候の回復を待つことにする。「ちょっと早く降ってきてしまったなあー」と、先輩は悔しがる。「雨が降ってくるというのに、こないと言い切るのは東条英機と同じだ。情勢の読みが出来ない陸軍のおかげで日本はひどい目にあった」と、先輩同士が揶揄し合っている。

 そのもうひとりの先輩が「これからの子どもはどうなっていくのかねえ」と呟く。今の学生は辞書の代わりにスマホで調べてしまう。ちょっと分からない言葉が出てくれば、どんな風に使うのかの例まで、スマホで調べてしまう。「要するに、考えたりしなくても、スマホさえあれば答えが出てくる。だったら何も覚える必要はないし、試験の解答もスマホがあればいいことになる。勉強もなんのためにやるのかねえー」と訝しがる。

 確かに20歳の女子大生の孫娘も何でもすぐスマホで調べて教えてくれる。ケイタイは持っているけどメールも出来ない先輩が、「うちの2歳半の子も私よりもケイタイの操作が出来る」と言う。私たちは器具がどのように発展進化してきたかを知っている。けれど、今の人たちは生まれた時からそれを利用している。「全く思考の仕方が変わるんじゃーないだろうか」と、先輩は危惧するがきっとそうなっていくだろう。

 領土を守るのは何のためだろう。命とか財産とか、〝もの“を守るためだが、ものという意識は私たちの時代までで、孫たちの時代は物欲など無くなってしまうのかも知れない。「スマホで答えがすぐ出るから、あの子たちは想像力がなくなる」と先輩たちは心配するけれど、逆につまらない想像で戦争することはなくなるのかも知れない。いずれにしてもまだズーッと先のことだ。

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結婚は悩みごと

2015年09月05日 18時12分45秒 | Weblog

 「国籍や民族の違いなどにかかわらず、ともに学び、働くことのできるまちづくり」を目指して、市の国際交流協会が『国際結婚ファミリーと語ろう』を開いてくれた。この町に国際交流団体が誕生したのはいつだったのだろう。私が地域新聞をつくっていた時、二人の女性が訪ねて来て、「この地域に住む外国の方の力になりたいので、そういう活動をするグループを立ち上げたい」と相談された。

 私は地域新聞の記者として、取材し応援してきたが、実際にメンバーとなって日本語教室で教えたりするようになったのはずいぶん経てからだ。私が受け持っていた人の中にトルコ人がいて、彼が「今度結婚する」と言う。それなら、みんなでお祝いしよう、私があなたの日本のお父さんになってあげるということで、盛大な結婚披露宴を行った。彼の友だちもたくさん来て、歌って踊って食べて、お祝いした。

 2つの町が合併して市が出来た時、国際交流協会が生まれたのでグループは解散した。結婚した日本人女性から年賀状をいただき、子どもが増え成長していく様子がよくわかった。その彼女が年賀状ではなく、手紙をくれた。なんとなく寂しい思いをしていると感じた。外国の人と結婚し、習慣や考え方の違いから悩みを抱えている人がいるだろうから、そういう人に手を差し出すことも国際交流には大切なのではと、市の国際交流協会に話したところ今日の行事を計画してくれた。

 国際結婚した4組とサポーターが集まったが、4組のうちの1組だけが男女で参加したが、男性はまだ日本に来て4カ月で日本語が話せなかった。しかし、言葉は話せなくても雰囲気は伝わるもので、結構盛り上がった。話を聞いていて、外国の人と結婚したからと言う問題ではなく、夫婦というのはすれ違うものだと思った。夫婦だから何でも分かり合うということが無理なことで、今日のように話す場が必要なのだろう。

 グループに参加していた3人の女性も来てくれた。「参加した時は高校生だった」という彼女は3人の子持ちになっていた。ヨチヨチ歩きの赤ん坊を抱っこして参加していた女性も孫を連れて来た。見るとみんな少しも変わっていないのに、子どもは大きく成長している。誰とでも気軽に話が出来れば、国籍も民族も宗教も飛び越えられる。今日はそんな第一歩になったと思う。

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卒業生から

2015年09月04日 18時02分23秒 | Weblog

 卒業生がメールを送ってきた。「僕が前回の東京オリンピックを体験したのは小学校の5年生でした。お絵描きが大好きだった僕は、あの〝日の丸″のエンブレムやポスターに、なんとも言いようのない驚きと感動を覚えました。それがデザインに興味を持ち始めた中学生の頃に「亀倉雄策-作」とわかり、瞬時に巨匠の虜になりました。そんなことからデザイン科を志し、46年間経った今もそのお仕事をさせて頂いております。

 社会や政治から妙な方向性を感じておりますが、僕らの聖域、無から魂を生み出す創造の世界、デザインにまで妙な空気を感じてなりません。亀倉さんや永井さんの作品には恐れ多くて近づきがたい威厳、有無を言わせない完成度の高い存在感がございました。同時に理念・理論に基づく説得力を感じ、ただただ敬服することしかできませんでした。日本人にしかできないであろう伝統の意匠を保持しながらも、全世界の人々に言葉無くして意図を伝える。そんな世界に憧れ、自分自身の現実の仕事とのギャップを感じながらも、心の片隅にはいつも多くの巨匠の方々の魂を感じ持っております。


 パソコンでデザイン作業をするようになった頃からでしょうか、インターネットの進化と共に広告界のデザインも、限られた特殊な人々の領域から一般の方々にも手が届くようになりました。僕ら広告デザイナーも、先生と呼ばれた時代もありましたが、デザイン料金と同様に随分立場が低くなりました。僕らのように60を過ぎた人間には良い時代もありました。今日、パソコンのお陰で作業も助かっておりますので、今さら感がございますが、これからという志しをもった若い方たちのことを思うと何だか寂しい気持ちになります」と、胸の内を語っています。

 もうひとりの卒業生はフェイスブックで、「1964年の亀倉雄策のデザイン。 あのデザインをもう一度! あの作品に憧れてデザイナーになったようなものです」と言い、「佐野研二郎のデザインは、あちこちから集めたモチーフを組み合わせているだけ。 レゴの組み立て作家です。 昔ならいざ知らず、現在の様に画像検索できる時代では、モチーフをパクればすぐバレますよ。 レゴ自体を自分で作れないと、こいつは終るね」と、手厳しい。

 気になるのは、彼らの母校でもパソコンの授業が多くなっていること。でも今年、卒業展を観に行くと、絵筆を使った精密画があった。パソコン習得の前に自らの美的センスを磨いて欲しい。白い紙に向かうと何かを描きたくなる、そういう生徒を育てて欲しい。

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妄想の世界へ

2015年09月03日 18時28分09秒 | Weblog

 「すぐ妄想の世界に入るから」とか、「妄想が飛躍過ぎる」とか言われた。大阪寝屋川市の殺害された中学1年の男女は、「京都へ行く」つもりだった。なぜ?ふたりは愛し合っていたから。ところが周りの大人は、ふたりが真剣に愛し合っているのに理解しない。「ここに居ても結ばれないから、京都へ行こう」。「京都へ行って、一緒に暮らそう」。

 子どもの頃、幼い男の子と女の子が恋をして、森の中を彷徨うモノクロ映画を観たことがある。ストーリーは覚えていないが森の祠のようなところで雨宿りし、ふたりはキスをする。初恋はこんな風に訪れると思った。中学1年はきっと運命が初恋を運んでくる時期なのだ。幼いふたりも京都の街のゆったりとした雰囲気の中で育てられ、本当の恋へと熟成されていくだろう。

 あれから40年、10代だったふたりも50代となり、孫にも恵まれた。女性は相変わらず積極的でお調子者、周りの人々を笑わせる明るさにますます磨きがかかっているが、本人は「どうしてこんなに苦労が絶えないの」と思っている。色白で手足のきれいさは少しも衰えていないが、「賞味期限が来ちゃった」と言って笑わせる。男性は相変わらずおとなしく、黙って可愛い妻を眺めている。「どうしてあの時、一緒に京都まで来ちゃったのか。今更考えても仕方ない。これからどう生きるかだ」と妻を見て笑う。

 綾小路きみまろ氏の毒舌を聞いたのは、観光バスの中だった。話は変わるが、東京オリンピックのエンブレムも白紙撤回となった。新国立競技場建設に続いてゴチャゴチャのうちに白紙となった。あれから‥、それは日本人らしい展開だった。そして「誰が悪いというものではありません」とまで言うところも相変わらずだ。日本が戦争へと突き進み、勝利した時は手柄を誇示した人々は負け始めるとその責任を押し付け合い、敗戦となっても誰も責任を取ろうとしなかった。

 「あれから70年」。政治家のみなさんは「強い日本」の妄想に再び取りつかれている。罪のない人々を巻き込むよりも、私のように妄想の恋を追う方がいい。いや待てよ、政治家の暴走を見て見ぬふりは罪だろう。「誰が悪い」のか、見極める市民にならないとダメだ。

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「家族という病」と「教育という病」は構造が同じ

2015年09月02日 18時59分11秒 | Weblog

 良かれと思ったことが、重荷になっていることがある。子どもたちにヴィオリンを習わせていたけれど、子どもたちは苦痛だった。私もカミさんも楽器を演奏することは出来ない。出来ないからこそ子どもたちには楽器が演奏出来る喜びというか、満足感を持たせてあげたかった。親の子どもへの期待は一種のエゴで、親の満足でしかない。過大な期待を子どもに負わせてはいけないけど、期待されない子どももみじめだ。

 両親が亡くなった時、ホッとした。これで親から自由になれたと思った。兄が祖父の養子になり、家業の材木屋を継いだためか、母は私に「お前だけが頼りだからね」とよく言った。「男はジェントルマンになりなさい」ともよく言ったけれど、私には同様にプレッシャーだった。親の望みに応えなくてはという思いがいつの間にか育っていた。だから、両親の死は私にとっては呪縛からの解放だった。

 下重暁子さんは著書『家族という病』の中で、「一番身近な家族にこうして欲しい、ああして欲しいという期待を持つこともない。期待してもその通りにいくことはないし、衝突して淋しい思いをするばかりだった」と少女時代を回顧している。そして「自分の家族と思うから余計な期待をしてしまう。それがストレスになり甘えになる。家族の間に日常的な微風を吹かせておきたい。べったりで相手がみえなくなり、排他的になるなら、家族ほどしんどいものはない」と書いている。

 神聖というか、肯定的というか、壊してはならないものとして「家族」が重くかかっている。教育も同じだ。「子どものため」と頑張りや努力を求め、そこで生まれる過ちや危険は「あってはならない」からと無視される。名古屋大学の内田良先生は著書『教育という病』で、「教育という『善きもの』は善きがゆえに歯止めがかからず、暴走していく」と述べている。「平手打ちはあったけれど、生徒の成長を願っての指導であり、体罰ではない」と言った校長がいたし、「悪いことをしたら、殴ってやってください」と言う親もいる。

 教育という名の下に神聖視されればされるほど、そこで何が行われていても問い直されたりしない。いじめも体罰も自殺も、教育の中で生まれながら、問題が教育の中にあると注視しない。目を向けている人はいても、たまたま生まれたもので根本的な問題とは考えない。『病』なら原因がある。家族を、教育を、考え直す時期に来ていると私は思う。

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大人が子どもたちを追い込んでいる

2015年09月01日 17時55分52秒 | Weblog

 9月に入っても雨降り。ムシムシするようなのに、気温は高くなく、南側に立てば風も強い。カミさんはゴルフの予定だったのにキャンセルして、スポーツジムへ出かけた。身体を動かすことが好きなのに、どういうわけかお腹周りはふくよかである。私はなかなか太らないが、やはりお腹周りは減らない。まあ、70歳を超えたのだから、スタイルなど気にする必要はないが、ズボンが履けなくなっては困ると気をしている。

 新学期が始まったが、今日は午前中で終わったのか、レストランに入っても家族連れが多かった。小学校1年かもっと小さな子どもたちが大勢いて、店内は結構騒がしかったが、母親たちが注意する声は聞こえてこなかった。子どもが騒がしいのは自然なことと、周りの大人たちも大きな心で見ているのだろう。私が住むマンションも最近は子どもが増えた。マンションは周りの子どもにとっても遊びやすい場所なのか、マンションに住んでいない子どもたちも集まってきている。

 中庭でボール遊びをしていたが、うるさいことと他の人に当たるかも知れないというので、禁止になった。玄関のエントランスホールでかくれんぼや鬼ごっこなどしていたが、これもうるさいことと他の人にぶつかったりして迷惑になるというので禁止になった。座り込んでカード遊びをしていると、行儀が悪いとか気味が悪いというので、「ここでは遊ばない」と張り紙が出された。結局、子どもたちは大人の目の届かない場所を探して分散していった。

 大人の目の届く所で遊んでいた方が危険は少ないのに、大人が子どもを危険な場所へと追い込んでいる。教育とか、しつけとか、鍛えるとか、きっと子どもにとってプラスになるはずだと大人が思っていることが、逆に子どもを追い込んでいる。「勉強しなさい」と親は言うけれど、なぜしなければいけないのか、イヤそもそも勉強って何なのか、考えては言っていない。そういうことを私が言うと、多くの人は「屁理屈など考えずに勉強すればいい(させればいい)」と呆れる。

 「子育てって本当に難しい。別人格だって気が付いた。熟すまで信じて待つのが子育てね」と聞いた。そういうことなのだろう。新学期が始まった。マンションの中庭からは元気な子どもたちの声が聞こえてくる。子どもたちの元気な声が私を元気にさせてくれる。夢を追うことはないけれど、望むことならある。

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