友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ゴルフにプロ野球にラグビーに

2019年10月21日 17時27分43秒 | Weblog

 スポーツの好きなカミさんは、「日本オープンゴルフ」の最終日を見た後、「レディース2019ゴルフ最終日」にチャンネルを回し、午後6時からはプロ野球日本シリーズ「巨人対ソフトバンク」の第2戦を、続いて7時10分からラグビー・ワールドカップ「日本対南アフリカ」を見る忙しさだった。

 実際は、ラグビー戦の途中からコックリと船をこぎ出していたから、どこまで見ていたのかは分からない。ラグビー戦は、日本チームが得意としてきた戦術がことごとく潰されてしまい、勝てる見込みがなくなった。時々目を覚まして、一方的に攻められている様子に憤慨し、「どうして右に(ボールを)出すの。左が空いてるじゃーない」と声を挙げる。

 スクラムからのボール出しは、相手の早いタックルに潰されてしまう。ラインを整えて素早く攻めるこれまでの戦術は、南アフリカの方が上だった。ダブルタックルも日本の戦い方だったのに、南アフリカにやられてしまった。それでも確かに、日本チームは大きく成長したことは事実だろう。テレビのバラエティ番組で、「日本代表なのに、外国人ばかりいて違和感があった」と言う人もいたが、「ラグビーは国籍を問わないスポーツ」と聞いて凄いと思った。

 けれど、「ラグビーは日本人の気質に合ったスポーツ」という発言には、ちょっと納得できなかった。そもそも日本には、明治以前、チームで闘うスポーツは何があるのだろう。個人戦はあってもチーム戦は思いつかない。ラグビーをみんなが賞賛するけど、まるでボールを奪い合うケンカみたいに思えてしまう。相撲は興行だからかも知れないが、決して相手を傷つけない。

 巨人も負け、見ることに疲れて、私は風呂に入って休むことにした。すっかり目覚めたカミさんは、木村拓哉が主演するフランス料理のテレビに見入っていた。何だか、ウルサイだけのドラマだなーと思いつつ、フトンに潜り込むとすぐに音は遠のいてしまった。

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優雅に踊るフラダンス

2019年10月20日 17時18分32秒 | Weblog

 朝の7時なのに、小学校の運動場は賑やかだった。校庭の南側の樹木の下には、すでに思い思いのシートが敷かれ座り込んでいる人もいる。自転車で荷物を運び込んでいるばかりか、車で来て校門の前で受取って運び込む人もいる。運動会は子どもたちの舞台であるが、家族にとっては「祭り」なのだ。

 私の小4の孫娘の学校は、「24日に延期」と長女からメールが来る。同じ地域でも市が異なると行事の仕方も違うようだ。運動会が始まる頃はもう、たくさんの父母や祖父母がトラックの周りに陣取っていた。心配だった18人しかいない鼓笛も充分に役割を果たしていた。6年生の『ソラン踊り』を見られなかったのが残念だ。

 午後は約束通り、フラダンスを見に出かけた。フラダンスを習う人たちは高齢の方が多いようだ。まるでハワイの海を背景に、ゆったりと美しく気持ちよさそうに踊っていた。友だちが以前、「フラダンスは手話なの」と言っていたことを思い出す。手の動きは確かに何かを表しているようだ。身体の動きや手の仕草は海の波なのだろう。そして恋人に何かを伝えているのだろう。

 暑い国だから上半身は涼しげな衣装だ。けれど、下半身は足首が見えるか見えないくらい長いスカートで覆っている。これはタイもバリも変わらない。ミニスカートで踊ったら、男共の欲望に晒されるのを避けるためかも知れないが、踊り子の女性たちの美しさに差異が生まれない配慮なのかも知れない。

 フラダンスだけを見て急いで帰って来たが、運動会は終わっていた。午後4時に運動場を見ると、すっかり後片付けは終わっていた。団塊の世代の先生が退職し、どこの学校も若い先生が増えた。昔の小学校は女性の先生が多かったが、最近は男性の先生が目に付く。今日は打ち上げ?神戸の小学校のようなことは無いよね。

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瀬戸内寂聴さんの小説に惹かれて

2019年10月19日 17時51分35秒 | Weblog

 瀬戸内寂聴さんの『美は乱調にあり』を読んで、この小説家を見直した。ストーリーの展開も見事で、何よりも人物のひとりひとりが際立っている。主人公以外の人物の、それぞれの個性もしっかりと表現している。彼女たちが生きていた時代、明治から大正に至る「新時代」の女たちの生き様が、見えてくるように感じた。

 中心人物の伊藤野枝の背丈から肌の色、顔の形や話し方まで、見てもいないのに分かっている、そんな気にさせてくれた。野枝の恋人の辻潤や大杉栄を(別の読み物で多少知っていたが)、野枝がどんな風に見ていたのか、実生活ではない小説の世界であるが、きっとそうだろうなと思わせてくれた。

 私は大杉の無政府主義に心惹かれた。政治的制度としての革命よりも、大杉はキリスト教的な「愛」による平等な社会を目指していた気がする。労働者をどんな演説で煽ったのか知らないが、『美は乱調にあり』の大杉は極めて観念的だ。妻と野枝と神近市子の3人を平等に愛することが、無政府主義が目指す新しい男と女の関係だと説得する。

 大杉は「平等」に愛することに徹しようとするが、3人の女性にそれを求めることは無理だった。逆に、野枝が大杉と他の2人の男を「平等」に愛したとしても、3人の男には不満が生まれるだろう。人の心には嫉妬があり、欲がある。だからこれを大杉は「愛」で克服しようとしたのだろうが、人間である限り無理だろう。

 瀬戸内さんの小説に惹かれて、続いて『秘花』を読んだ。室町時代に能を完成させたと日本史か国語で学んだ世阿弥の物語だ。読み辛い古文が出てくるのに、どういう訳か先へ先へと読みたくなる。瀬戸内さんがこんなに素晴らしい小説家だったとは知らなかった。読みもしないで放っていたことが恥ずかしくなった。

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運動会は順延か!?

2019年10月18日 17時07分50秒 | Weblog

 この地域の小学校は明日が運動会だが、可哀そうに雨が降り続いている。昨日、学校の運動場では6年生の『ソーラン踊り』と鼓笛・バトンの行進が何度も繰り返されていた。『ソーラン踊り』は衣装にも凝っていて、なかなか見事な演舞である。鼓笛は人数が少ないので迫力には欠けるが、演奏と行進が工夫されていて、人数の多いバトンに負けていなかった。

 運動会は1日先だというのに、万国旗が掲げられ、テントが8張りセットされ、すっかり準備がなされていた。今日も明日も雨だと分かっているのにと思いながら、今朝、運動場を眺めると昨日のままになっている。土曜日がダメなら日曜日に順延されると聞いて納得した。当日の朝早くから準備しても、ライン引きが精いっぱいで、とてもテントまで張れる時間は無い。

 昔の教員は、朝早く出てきて準備するのが当たり前だったが、今はそんな余裕はない。以前は本部席のテントだけだったが、今は祖父母を迎える高齢者テントも用意しなくてはならない。今の先生はやることがいっぱいなのだ。日頃から朝7時過ぎると、何人かの若い男性の先生が運動場に出て来て、器具を配置したり、ラインを引いたりしている。

 そんなにまで頑張って、「見せる運動会」をやらなくてもいいのにと怠け者の私は思ってしまうが、それが許されない雰囲気があるのだろう。運動会は全校の行事だから、自分は参加しない、少なくとも無駄な行進練習はさせないと主張しても、「バカか」と怒鳴られるのが目に見えている。みんなで頑張って、見に来た父母や祖父母に、「凄かったね」と子どもたちが賞賛されるように努めるのが運動会なのだ。

 私の小4の孫娘の学校も明日が運動会だが中止は確定だろう。日曜日は晴天の予報だから、順延になるのだろうが、そうなると「フラダンス、見に来てね」と友だちに言われているのに、行けなくなる。困った。

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男たちの愚痴と自慢話

2019年10月17日 17時33分45秒 | Weblog

 男が何人か寄るとあけすけな話になるが、大抵はカミさんのことが多い。大方が年寄りだから、子どもたちは巣立っていき、カミさんとふたりで暮らしている。昨年カミさんを亡くした仲間は、「どんなにケンカしてもいいから、ふたりで長生きするのが一番だ」と言う。

 「ひとりで食事を作り、ひとりで食べて、ひとりで寝る。あんたたちには分からないだろうが、こんな寂しいことはない。ケンカすることもない。誰とも話さずに一日が終わっている」と零す。「朝は毎日、喫茶店に行くようにしている。馴染みの店を決めて通っていると、いつも同じ人に逢うから、話もできる」。

 「同じ時間に同じ散歩コースを歩いていると、同じ人に逢うので、声をかける。ご近所の人と話す時もあるが、なかなか出会うことが無い。後はパチンコと釣りだが、人と話す機会は滅多にない」。「結婚してからはずーとカミさんが、料理も洗濯も掃除もやってくれていたから何もしなかった。自分でやってみて、カミさんが言う程大変じゃーないことも分かった」。

 まだ、シルバーで働いている仲間は、「うちのカミさんは料理が下手だから、私が作っている。カミさんに任せておくと、流しに洗い物がいっぱいになってどうしようもない。以前は文句を言っていたが、自分でやった方がいいから、カミさんの分も作っておく。カミさんは帰りが遅いし、朝は私が早いから一緒に飯を食うことが無い」と話す。

 「じゃー、夫婦の会話はどうしているの」と質すと、「会話ねぇ、無いねぇ」と答える。「カミさんのことは愛しているよ。誕生日のプレゼントを欠かしたことは一度もない」と自慢する。夫婦の会話もなく、家に居る時間もすれ違いで、よくそんなことを自慢できると感心する。十人十色と言うけれど、いろんな家庭がある。仲間の自慢話を聞くのも、宴会の楽しみなのかも知れない。

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日本庭園の中の露天風呂

2019年10月16日 17時11分26秒 | Weblog

 こんなに早く帰ってくる旅だとは思わなかった。名古屋駅前から温泉旅館へ行くバスに乗り、帰りもバスで送ってもらうプランだが、出発が午後1時15分としか聞いていなかったので、早めに宿に到着して、ゆっくり温泉を楽しむことに重点を置いているという程度の理解だった。

 昨日は全館満室で、私たちの食事は午後5時30分からだった。まずは温泉に入ろうと出かけたが、確かに温泉を売りにしているだけに、広々としていて温泉水もヌルッと美肌効果がありそうな感じだった。露天風呂も広く、岩組みも立派で、日本庭園の中にあるような風情だった。

 私たちが露天風呂に入っていると、白人の若者がちょっと戸惑っていた。「Ok welcome」と声をかけながら、正しい表現だったかと不安になる。彼はにっこり笑って入って来た。誰にでも声をかけたがる仲間が、「どこから来たの」と言うので、「what country」と口を挟む。「New Zealand」と答えてくれた。「温泉はいいよ、気持ちがいいだろう」となおも話しかけるが、もう英語には出来なかった。

 食事はバイキングで種類も多く豪華だ。呑み助が多いので飲み放題を頼み、早速各自が料理を取りに回る。日頃は酒さえあればいいという仲間も、珍しく好きな品を探して取って来ていた。2時間ほどが瞬く間に過ぎる。売店で酒とつまみを買い、1つの部屋で宴会をする。

 今朝のバイキングもよかった。午前10時に帰りのバスに乗り込み、名古屋駅前には正午過ぎに到着したので、昼ご飯を一緒に食べて解散となった。アッという間の1泊2日の温泉旅行だ。温泉に入り宴会をするために出かけた旅だったが、夏祭りの慰安会なのだから、ちょうどよい日程だったように思う。

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今朝、友だちがやって来た

2019年10月14日 17時22分37秒 | Weblog

 どんよりとした空、昨日の秋晴れはどこに行ってしまったのか。雨も降ったり止んだりしている。明日は夏祭りの慰労会で、南木曽町の温泉旅館へ出かける。天気予報は晴れになっているから心配ないと思うが、途中の道路は大丈夫だろうか。なるようになる、そう信じる他ない。

 今朝、友だちがやって来た。顔は洗ったが、どこへ行く予定もないので髭を剃っていなかった。「玄関先で失礼する」と言っていた彼女に、「久しぶりだから上がって」とカミさんが招く。部屋に上がった彼女が、「まあ、どうしよう。肝心な物を忘れてきた」と言う。フランスに旅行した時の「お土産を渡すために来たのに、ボケたのかしら」と嘆く。

 するとカミさんが、「その通りだわ」と言う。おいおい、その言い方は失礼になるよ。「私も近頃、よく忘れるの」と言うべきだろう。言葉の頭で、「私も」と言いたかったのだろうけど、よく似た事象につい共感が先に立ったようだ。親しい間柄だからいいが、神経質な人なら、「ナニヨ」と怒ってしまうだろう。

 私たちも高齢になった。8月11日に、市役所のホールで逢った女性は、台風の時は避難所にいたのだろうか。口ぶりから「常連」さんのようだったが、避難所では快く受け入れてもらえたのだろうかと余計な心配をする。東京都台東区の避難所は、住民でない人つまりホームレスは受け入れなかったので、非難を浴びた。

 『あいちトリエンナーレ』で「税金を使うな」と同じ発想だ。「税金を納めていない者に権利はない」と考える人は、別の見方があることを認めない。市役所にいた女性はホームレスではないが、彼女を受け入れてくれる知り合いは少ないだろう。たとえ、ちょっと変わった人でも、みんなで助け合うことが人の基本であるのに、最近は忘れられている気がする。

 明日と明後日は、ブログを休みます。

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朝、空は真っ青だった

2019年10月13日 18時18分34秒 | Weblog

 朝、空は真っ青だった。台風一過の空は澄み切り、秋の風がかなり強く吹いていた。子どもたちのはしゃぐ声が聞こえてくる。学校の運動場で、近くの幼稚園が運動会を行なっている。父母はもちろん祖父母らが、園児に「ガンバレ、ガンバレ」と声援を送る。

 テレビを見ると、どこの局も台風19号の被害を生々しく報道している。この地方はほとんど何事も無かったようだが、長野県では千曲川が氾濫していたし、関東から東北にかけて、甚大な被害が発生している。大型の台風19号は、各地で川を氾濫させていた。

 自分のところが何事も無いと、つい他所のところのことを見落としてしまう。日本にやって来る外国人を支援する活動を続けている友だちから、『森住卓写真展 FUKUSIMA・OKINAWA』の案内をもらい、見に行って来た。福島も沖縄も日本の問題なのに、どうしても他人事になってしまう。

 いや、福島や沖縄に限らず、いろんなところで理不尽なことが絶え間なく起きているのに、人は止めようとしない。「いじめ」と同じように、強者は弱者の痛みに無関心だ。むしろ、ますますエスカレートしていく。辺野古基地建設に反対する老婆が若い警察官に、「戦争はダメだ。私は血の水を飲んできた」と語りかけた時の写真が印象的だ。

 文章よりも映像は説得力がある。生々しい現実の1コマを切り取ったものに過ぎないが、それでも映像からその時が想像できる。報道写真を通して、世界の現実を知ってもらう活動をしてきたのに、そのフォトジャーナリストが性暴力を行なっていた。そのため写真展や冊子の発行は中止した。

 けれど、「世界中にある不正や理不尽を可視化し、人権についてきちんと向き合うジャーナリストを支援する活動は続けます。被害者の声なき声に敏感であり続けたい」と、案内状は結んであった。正義感の強い彼女のことだ、くじけずにガンバレ!

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台風襲来の日

2019年10月12日 17時12分47秒 | Weblog

 雨は昨夜から降り続いているが、風はそんなに吹いていない。我が家のルーフバルコニーの植木鉢のバラが揺れてはいるが、周りの樹木を眺めてみるとまるで風など吹いていないように見える。それでも午後4時半過ぎ頃から、風の音が聞こえるようになった。

 不要不急の外出は控えるようにというテレビの効果なのか、街を歩く人の姿はない。マンションの駐車場もぎっしり車が駐車しているし、出入りする車もない。しかし、幹線道路に目をやればたくさんの車が行き交っている。こんな時でも、運転しなければならない人もいる。

 眠りが浅いせいか、近頃よく夢を見る。どんな夢だったのか、思い出そうとするのに目が覚めると忘れてしまう。今朝の夢は多少覚えている。なぜか、小学生の算数の問題だった。解こうとするが、ゴチャゴチャになってしまい、どんな問題だったかも曖昧になってしまい焦った。

 夜の眠りが浅いためか、朝でも昼でも本を読んでいると睡魔が襲ってくる。本は不思議なくらい眠りを誘う。ダメだ、少し眠ろうと横になる。30分から長くても1時間くらいウトウトすれば目が覚める。台風が来るというので、カミさんは必死にテレビにかじりついているが、「そんなに気にしなくても、来るものは来るから」と私は気にしない。

 各地で被害が出ている。お気の毒に思うが、どうしようもない。人間は自然に対して畏怖と謙虚を失った。人が人に危害を加えることは、人のなせる業なんだから、止めることは出来るのに、それすら実現できない。ましてや自然を抑え込むことなど出来るはずがない。静かに耐える、それしかない。被害が少ないことを祈るしかない。

 明日、晴れたら、友だちが知らせてくれた中区役所7階で行われている『森住卓写真展 FUKUSIMA・OKINAWA』を見てこようと思う。

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まだ雨もなく風も吹いていない

2019年10月11日 17時21分00秒 | Weblog

 大型の台風19号の襲来に備えて、南側のベランダと西側のルーフバルコニーの鉢を整理する。風の直撃を少しでも和らげようと思い、壁際に鉢を寄せた。準備を怠りなく行った時は、何事も無いことが多い。どうせ今度もそんなものだろうと思って手抜きをすると、酷い目に遇う。取り越し苦労になっても、悔やむよりはいい。

 今、ふと、「準備万端」という言葉を思い出し、「万端」ってどういう意味なのかと思い調べてみると、「すべての事柄」とある。すると、「準備万端だ」と表現すると、「準備の全て」という意味にしかならない。「準備万全」と混同して使っていたようだ。

 そういえば、5日のブログで「デベソ」と書いたところ、大阪の友だちが「デベソって何?」とメールして来た。「大阪では、でしゃばりとか、出たがり屋とか、お節介とか言うけど、デベソは初めて。調べてみて」と。パソコンで調べると、確かにデベソは症状としてはあるが、おせっかいの意味では載っていない。

 デベソをおせっかいの意味で使っているのは、この地方だけなのかも知れない。自分が使っている言葉は標準語だと思っていると、とんでもない恥をかくことになるようだ。最近の私は思い込みが激しく、後になって、あれ違っていたと気付くことがある。

 気付けばいいが、我を張って押し通すようなら、かなり重症だ。なかなか非を認めないのが年寄りの悪い癖だと思って来たのに、自分がそうなることまでは気が付かなかった。学校の運動場からは、運動会に向けて鼓笛隊の演奏が聞こえてくる。空はどんよりしてきたが、まだ雨もなく風も吹いていない。

 

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