※今日の投稿は面白くありません(いつも通り?) なのでスルーしてもらって結構です。しかも、ちょっと長文。
最近のニュースを見ていると、よその国の大統領選挙とか、与野党の代表者選挙とか、私自身が直接選ぶことができないことを取り上げています。
一方で、私達が直接選んだ県知事さんのパワハラ・おねだり疑惑に対して、関係ない他府県の人がコメントしています。
私が知る限り、今の県知事が選ばれた理由は、県の財政を充実させて欲しいという県民の要望でした。
話題にされている疑惑はそれとはまったく関係なく、会社で言えば社内の問題です。
大統領選挙、代表者選挙についての感想は「知らんがな」
県知事疑惑についての感想は「そんなん県庁内でやれよ」
報道には正直うんざりしています。
これを機会に、あらためて「選ぶ」ということについて考えてみました。
まず基盤となるのは「自由」の考え方です。
私の考える「自由」とは、
1.選択肢があること
2.自分の意志で選択できること
3.選択した結果を受け入れること
この3つがあって「自由」が保たれていると感じています。
「自由」には「選択」、つまり「選ぶこと」が重要な要素になっています。
選ぶためには「理想」や「目標」など選択判断の基準になるものが要ります。
真に自由な人は、2と3ができているんだと思います。
理想の大統領、理想の政党党首、理想の県知事…
なかなか難しいです。
それで多くの日本人は「ケガレ(穢れ)」のない人を推す傾向にあるようです。(日本の中世思想上の影響という説もあるようです)
「もしも徳川家康が総理大臣になったら」という映画が上映されていますが(まだ観ていない)、おそらく実際の徳川家康は「ケガレ」だらけでしょう。
多少「ケガレ」があろうがなかろうが、自分の財産を守ってくれる人、自分に利便を与えてくれる人、明るい未来を想像させてくれる人を選ぶべきだと思います。
なのでもう「ケガレ」報道は止めてもらいたい。
日本人の自由な選択判断のレベルが低下します。
(もちろん選択判断基準である事項(例えば財政)が期待に及ばなかったら対応を考えなければいけません)
昨日は「スフレパンケーキ メイプルシロップ」を選択しました。
選択した結果の体重増加は受け入れます。
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