いまさらイチロー選手が偉いなどと言っても白けるだけで、これほど絶対的なヒーローは野球界にあっては間違いなくON以来ではないかと思います。既に一週間前になりますが、10年連続200本安打の偉業を達成した時の記事を拾い読みしてみました。
恐らく多くの人にとって「イチロー・スタイル」のようなイメージが出来上がっていると思います。多くの企業CMに起用され、「理想の上司」アンケートでも常連で、メディア業界では「物事をアカデミックに追求し、紳士的で品格のある生き方そのものが同世代に強く支持される。クリーンなイメージで、商品やサービスをストレートにアピールできるのも安定したCM起用の要因の一つ」と分析されています。他方、同じ球界の人からもさまざまなコメントが寄せられていて、ほぼ共通するのは、先ずは、どんなボールにも対応する巧みなバットさばきという「卓越した技術」を評価する点であり、次に、いくら打てる技術があってもコンディションを維持しなければいけない、大きなケガをすることなく10年間続けてこられたのは、「日々の準備とケアのたまもの」であるという指摘です(こうして高いレベルを「維持する」のは簡単なことではないという点については、また後で触れたいと思います)。
そして最後に議論になるのが、アメリカ球界における評価で、一つは、内野安打より150メートルの本塁打に価値を置くような、メジャーでパワー全盛の時代に割って入って、「技術」と「クオリティー」を武器に活躍する姿が見直されていると評価するものであり、もう一つは、どうしてもメジャー最多の4256安打を放ったピート・ローズと比較したくなる時の日本球界での記録の扱いです。後者は常に人種差別的な見方も入り混じって微妙なのですが、ウエブサイトの「ベースボール・シンク・ファクトリー」のように、日本球界はメジャーのレベルではないものの、それほど差があるわけではなく、セイバーメトリックス(野球の統計学)によって、イチローの日本での1278安打はメジャーで1228安打に換算され、イチローの通算安打は3458本となって、ピート・ローズに約800本足りないだけだと、淡々と解説するところもあります。確かに城島選手のようにメジャー帰りの選手が日本で再び活躍する姿を見ていると、よく言われるように日・米野球には質の違いがあるのではないかということは承知の上で、一般的には打率で3分から5分くらいのレベルの差が客観的には見て取れます。しかしイチロー選手のように飛び抜けた存在はこうした違いを超越しています。いずれにしても、以上の二つの点は、今後もまだまだ議論がありそうです。
さて、そんなイチロー選手を、自分に引き寄せて考えるのはオコガマシイのですが、私が勝手に感じていることがあります。アメリカ滞在最後の一年という短い期間に、フルマラソンに四度(駅伝で二区間計20キロを走ったことも加えると、同様のコンディション作りに五度)挑戦したとき、いかにフルマラソンを走るだけの体調を整えられるか、その肉体改造のプロセスを一種の彫刻作品を作成するプロセスのように錯覚したことがありました。イチロー選手も、「野球が上手くなりたい」という思いには「イチロー」という作品を作り上げる思いがあるのではないか。とりわけ30代後半ともなれば加齢の問題があります。誰しも経験があるように、若い時には何もしなくても体型を維持できますし、体力(野球選手にとっては例えば動体視力や脚力など)は35歳とか40歳という節目(別にキリが良い数字を言っているだけですが)にガクッと落ちるのを感じるものです。今月37歳になるイチロー選手にとっても、恐らく加齢による衰えと無縁ではないであろう中でシーズン200安打のハイ・レベルを維持し続けるのは並大抵ではなく、逆に言うと、衰える肉体を補う「進化」を遂げているからこそ、ハイ・レベルを維持していると言えます。
王選手の868本の年度別記録を見ると、37歳の50本を最後に、その後の三年間は40本を越えられず(各39・33・30本)、引退されました。本塁打と安打は違うとは言え、突出した機能の衰えという点では、共通するところがあるのではないでしょうか。人一倍、身体のケアを気遣うイチロー選手の「進化」を、これからも見届けたいと思います。
恐らく多くの人にとって「イチロー・スタイル」のようなイメージが出来上がっていると思います。多くの企業CMに起用され、「理想の上司」アンケートでも常連で、メディア業界では「物事をアカデミックに追求し、紳士的で品格のある生き方そのものが同世代に強く支持される。クリーンなイメージで、商品やサービスをストレートにアピールできるのも安定したCM起用の要因の一つ」と分析されています。他方、同じ球界の人からもさまざまなコメントが寄せられていて、ほぼ共通するのは、先ずは、どんなボールにも対応する巧みなバットさばきという「卓越した技術」を評価する点であり、次に、いくら打てる技術があってもコンディションを維持しなければいけない、大きなケガをすることなく10年間続けてこられたのは、「日々の準備とケアのたまもの」であるという指摘です(こうして高いレベルを「維持する」のは簡単なことではないという点については、また後で触れたいと思います)。
そして最後に議論になるのが、アメリカ球界における評価で、一つは、内野安打より150メートルの本塁打に価値を置くような、メジャーでパワー全盛の時代に割って入って、「技術」と「クオリティー」を武器に活躍する姿が見直されていると評価するものであり、もう一つは、どうしてもメジャー最多の4256安打を放ったピート・ローズと比較したくなる時の日本球界での記録の扱いです。後者は常に人種差別的な見方も入り混じって微妙なのですが、ウエブサイトの「ベースボール・シンク・ファクトリー」のように、日本球界はメジャーのレベルではないものの、それほど差があるわけではなく、セイバーメトリックス(野球の統計学)によって、イチローの日本での1278安打はメジャーで1228安打に換算され、イチローの通算安打は3458本となって、ピート・ローズに約800本足りないだけだと、淡々と解説するところもあります。確かに城島選手のようにメジャー帰りの選手が日本で再び活躍する姿を見ていると、よく言われるように日・米野球には質の違いがあるのではないかということは承知の上で、一般的には打率で3分から5分くらいのレベルの差が客観的には見て取れます。しかしイチロー選手のように飛び抜けた存在はこうした違いを超越しています。いずれにしても、以上の二つの点は、今後もまだまだ議論がありそうです。
さて、そんなイチロー選手を、自分に引き寄せて考えるのはオコガマシイのですが、私が勝手に感じていることがあります。アメリカ滞在最後の一年という短い期間に、フルマラソンに四度(駅伝で二区間計20キロを走ったことも加えると、同様のコンディション作りに五度)挑戦したとき、いかにフルマラソンを走るだけの体調を整えられるか、その肉体改造のプロセスを一種の彫刻作品を作成するプロセスのように錯覚したことがありました。イチロー選手も、「野球が上手くなりたい」という思いには「イチロー」という作品を作り上げる思いがあるのではないか。とりわけ30代後半ともなれば加齢の問題があります。誰しも経験があるように、若い時には何もしなくても体型を維持できますし、体力(野球選手にとっては例えば動体視力や脚力など)は35歳とか40歳という節目(別にキリが良い数字を言っているだけですが)にガクッと落ちるのを感じるものです。今月37歳になるイチロー選手にとっても、恐らく加齢による衰えと無縁ではないであろう中でシーズン200安打のハイ・レベルを維持し続けるのは並大抵ではなく、逆に言うと、衰える肉体を補う「進化」を遂げているからこそ、ハイ・レベルを維持していると言えます。
王選手の868本の年度別記録を見ると、37歳の50本を最後に、その後の三年間は40本を越えられず(各39・33・30本)、引退されました。本塁打と安打は違うとは言え、突出した機能の衰えという点では、共通するところがあるのではないでしょうか。人一倍、身体のケアを気遣うイチロー選手の「進化」を、これからも見届けたいと思います。