今夏のヒロシマの平和記念式典(原爆死没者慰霊式・平和祈念式)は、戦後65年目の節目に、駐日アメリカ大使が初めて公式に出席するという、記念すべき式典となりました。こうした快挙は、昨年4月にプラハで「核兵器なき世界」という大いなる理想を語ったオバマ大統領を抜きにしては考えられません。駐日イギリス大使やフランス大使といった旧・連合国側の大使も出席していましたが、インタビューに答えて、これまではアメリカ大使が参列しない中で、自分たちは参列のしようがなかったと、アメリカを気遣う発言をしていたのが印象的でした。
しかし、その原爆投下に対して、アメリカが直接に謝罪することはありません。東京裁判で訴因とされた「共同の計画または陰謀」「平和に対する罪」「人道に対する罪」のように、法学士(頭に「あ」をつけた方がいいですが)の末席につならる私でも理解できる「法の不遡及」「罪刑法定主義」といった原則に抵触するものよりも、二発の原爆が、軍隊も市民もなく無差別に大量殺戮した事実(ヒロシマ14万人、ナガサキ7.4万人と言われます)の方が、よほど戦争犯罪として明白ですが、アメリカは飽くまでしらばっくれて、自己正当化して憚らない。曰く、戦争が継続し、本土決戦にでもなれば、日米ともに、より多くの被害者が出る、その戦争を早期に終結させるために、原爆を使用したのだ、と。日本人なら誰もが、このアメリカの発言をデタラメの強弁だと信じて疑いませんし、私もそうでしたが、この夏、いろいろ本を読み漁る内に、強弁ではないアメリカ流の論理に思いを致すようになりました。
一つは、金の問題があります。膨大な資金(20億ドル)と労力(延べ50万人)をかけて開発したとされる新型兵器の効果を、議会ひいては国民に対して、立証しなければならなかったという指摘を時折り見かけます。国民の血税を使うことに関しては、医療費にせよ戦費にせよ明確な違いはないという意味では、アメリカが透明性の高い民主主義国であればこそ、そうした社会的要請が強いことは容易に想像されます。もう一つは、人命の問題です。アメリカは、たった一人の米兵が捕虜になっても軍艦を差し向けてでも救出しようとしたと言われます。実際のところどこまで現実にあったことか知りませんが、噂であってもそうしたバックアップ体制が整っていると思い込ませれば、米兵も安心して戦えただろうと、羨ましくもありますが、それはアメリカが太っ腹だったり人道的である以前に、アメリカが自由・民主主義の国であるが故に、国として国民の生命を守る義務があり、忠実に履行しようとしたに過ぎないと思うのです。本土決戦になれば、資源のない日本はどうせ干上がるのは時間の問題だと思うのは、現代の私たちの割り切りに過ぎなくて、当時、硫黄島をはじめとして頑強な日本兵の抵抗に手こずったアメリカに、更に日本本土にアメリカ国民を投入することへのためらいがあったとしても、おかしくありません。
だからと言って原爆投下の非道を許すわけではありませんが、両者の間に越えがたい溝のような存在として、価値観の違いが横たわっているのかと、なんとはなしに考えていたところ、つい最近、本屋で名前につられて衝動買いして通勤電車の中で読んだ本(「戦争を記憶する」藤原帰一著)に、戦争観の違いを説明するくだりがありました。もともとこの本は、冷戦が終わって、過去の戦争の解釈が現在の国際政治の争点になって来たという問題意識が背景にあります。それぞれの社会が向き合う時には、社会の中の記憶、恨みや怒りが、国際交渉にぶつけられ、かつてのように政府指導者や官僚の事務的な判断だけでは国際関係が処理できなくなってきたというわけです。これは尖閣諸島問題をきっかけとする日中問題を見ていれば分かります(国内問題も絡んで更に複雑ですが)。
「最後の宗教戦争」「最初の国際戦争」などと形容される三十年戦争(1618~48)によって明らかになったのは、正しい宗教や正しい帝国の追求は、暴力と混乱しか生まないということであり、どうせ実現しないキリスト教世界の統一や、ヨーロッパの政治的統一も諦め、各国に分断されたヨーロッパという現実を受け入れようと合意したのが、ウェストファリア条約でした。世界が主権国家に分かれ、その国家に法を執行する上位概念としての世界政府がない以上、主権国家が最高の権力であり、その国家理性に基づき国益を追求するのは至極当たり前の行動であり、その場合、戦争は、その国益を確保する手段の一つに数えられます。そうであるなら、戦争をルール違反にしない代わりに、ルールをかぶせた上で戦争を認めるのが、ヨーロッパの古典的な国際政治の特徴です。その結果、19世紀末に各国において立憲政治や議会政治への転換が進んでも、外交政策に関しては、世論は、善悪を取り沙汰す声も含めて、政策決定から排除されました。これに対し、アメリカではまるで異なる戦争観が育ちます。アメリカでは政府が市民に責任を負う以上、市民社会への説明や正当化なしに政策は成り立たず、戦争も例外ではありませんでした。南北戦争は、軍事行動や死傷者の規模、兵器技術のどれを取っても、同時代で世界最大の戦争であり、内戦という性格もあって、根深い厭戦意識と反戦思想を残すことになりましたし、第一次世界大戦は、アメリカの国土や国民の生命・財産が脅かされたものではなく、戦争を終わらせるためという形でしか参戦できない戦争でした。ヨーロッパでは、国際関係にはいつでも戦争が起こるものとの割りきりがあり、平時にも職業軍人を雇い訓練するのが普通でしたが、アメリカでは常備軍は否定され、議会と市民が正当な戦争だと認めない限り、戦争を始めることは出来ないというわけでした。
さて、原爆投下に戻りますと、一年近く前の昭和19年9月18日のハイドパーク協定において、原爆完成の暁には日本に対して使用するものと米欧首脳は決定していたことが知られています。昭和20年4月27日には、原爆投下の目標検討委員会が開催され、日本本土の17都市が選定され、ドイツ降伏直後の5月12日の第二回委員会では、京都、広島、横浜、小倉の4都市に、更に同28日の第三回委員会では、京都、広島、新潟に絞り込まれました(その後、7月になって、スチムソン陸軍長官の反対で、歴史的都市・京都が外され、小倉と長崎が加わりました)。初めからドイツではなく日本が標的だったことに、人種的偏見があったと僻む向きもありますが、太平洋戦争自体に、そうした意識が根底にあったことは否定できないにせよ、原爆投下に関しては、むしろ日本の降伏を促すことにより、終戦とそれに続く占領のイニシアティブをソ連に奪われないことが狙いだったと言われる通り、戦略的な配慮が働いたのだろうと思います。だからと言って原爆投下の非道を許すわけではありません。
そんなこんなで、結局、神がかりの日本が、国と国民とが一体となり、鍋・釜まで供出した上、乏しい資源を精神力で補いながら戦い続けた相手は、資源豊富で強大な産業力をもち、政府の言うこと・なすこと常に国民の監視の目に晒されて、対日開戦の必要性すら議会・世論対策のため時間をかけて巧妙に用意せざるを得ず、いざ戦争が始まっても、納税者たる国民の生活と安全が第一で、大量の武器・弾薬で武装し、兵士たる国民の生命を最大限尊重せざるを得なかった、民主主義の国だった、と言えるのではないでしょうか。そのアメリカという世界でもちょっと極端な自由・民主主義国が戦う戦争の成れの果てが、テレビゲームのように遠隔で行うことが出来るイラクへの空爆であり、雇われてアフガニスタンに派遣される軍事を専門とする民間警備会社と言えるのではないでしょうか。チャーチルが言ったように、民主主義は決して最上の体制とは言えない一つの証左と言えます(勿論、今の我々には民主主義以外に考えられませんが、最上ではないことを認識し、不断に努力することが重要だという意味だと思います)。
しかし、その原爆投下に対して、アメリカが直接に謝罪することはありません。東京裁判で訴因とされた「共同の計画または陰謀」「平和に対する罪」「人道に対する罪」のように、法学士(頭に「あ」をつけた方がいいですが)の末席につならる私でも理解できる「法の不遡及」「罪刑法定主義」といった原則に抵触するものよりも、二発の原爆が、軍隊も市民もなく無差別に大量殺戮した事実(ヒロシマ14万人、ナガサキ7.4万人と言われます)の方が、よほど戦争犯罪として明白ですが、アメリカは飽くまでしらばっくれて、自己正当化して憚らない。曰く、戦争が継続し、本土決戦にでもなれば、日米ともに、より多くの被害者が出る、その戦争を早期に終結させるために、原爆を使用したのだ、と。日本人なら誰もが、このアメリカの発言をデタラメの強弁だと信じて疑いませんし、私もそうでしたが、この夏、いろいろ本を読み漁る内に、強弁ではないアメリカ流の論理に思いを致すようになりました。
一つは、金の問題があります。膨大な資金(20億ドル)と労力(延べ50万人)をかけて開発したとされる新型兵器の効果を、議会ひいては国民に対して、立証しなければならなかったという指摘を時折り見かけます。国民の血税を使うことに関しては、医療費にせよ戦費にせよ明確な違いはないという意味では、アメリカが透明性の高い民主主義国であればこそ、そうした社会的要請が強いことは容易に想像されます。もう一つは、人命の問題です。アメリカは、たった一人の米兵が捕虜になっても軍艦を差し向けてでも救出しようとしたと言われます。実際のところどこまで現実にあったことか知りませんが、噂であってもそうしたバックアップ体制が整っていると思い込ませれば、米兵も安心して戦えただろうと、羨ましくもありますが、それはアメリカが太っ腹だったり人道的である以前に、アメリカが自由・民主主義の国であるが故に、国として国民の生命を守る義務があり、忠実に履行しようとしたに過ぎないと思うのです。本土決戦になれば、資源のない日本はどうせ干上がるのは時間の問題だと思うのは、現代の私たちの割り切りに過ぎなくて、当時、硫黄島をはじめとして頑強な日本兵の抵抗に手こずったアメリカに、更に日本本土にアメリカ国民を投入することへのためらいがあったとしても、おかしくありません。
だからと言って原爆投下の非道を許すわけではありませんが、両者の間に越えがたい溝のような存在として、価値観の違いが横たわっているのかと、なんとはなしに考えていたところ、つい最近、本屋で名前につられて衝動買いして通勤電車の中で読んだ本(「戦争を記憶する」藤原帰一著)に、戦争観の違いを説明するくだりがありました。もともとこの本は、冷戦が終わって、過去の戦争の解釈が現在の国際政治の争点になって来たという問題意識が背景にあります。それぞれの社会が向き合う時には、社会の中の記憶、恨みや怒りが、国際交渉にぶつけられ、かつてのように政府指導者や官僚の事務的な判断だけでは国際関係が処理できなくなってきたというわけです。これは尖閣諸島問題をきっかけとする日中問題を見ていれば分かります(国内問題も絡んで更に複雑ですが)。
「最後の宗教戦争」「最初の国際戦争」などと形容される三十年戦争(1618~48)によって明らかになったのは、正しい宗教や正しい帝国の追求は、暴力と混乱しか生まないということであり、どうせ実現しないキリスト教世界の統一や、ヨーロッパの政治的統一も諦め、各国に分断されたヨーロッパという現実を受け入れようと合意したのが、ウェストファリア条約でした。世界が主権国家に分かれ、その国家に法を執行する上位概念としての世界政府がない以上、主権国家が最高の権力であり、その国家理性に基づき国益を追求するのは至極当たり前の行動であり、その場合、戦争は、その国益を確保する手段の一つに数えられます。そうであるなら、戦争をルール違反にしない代わりに、ルールをかぶせた上で戦争を認めるのが、ヨーロッパの古典的な国際政治の特徴です。その結果、19世紀末に各国において立憲政治や議会政治への転換が進んでも、外交政策に関しては、世論は、善悪を取り沙汰す声も含めて、政策決定から排除されました。これに対し、アメリカではまるで異なる戦争観が育ちます。アメリカでは政府が市民に責任を負う以上、市民社会への説明や正当化なしに政策は成り立たず、戦争も例外ではありませんでした。南北戦争は、軍事行動や死傷者の規模、兵器技術のどれを取っても、同時代で世界最大の戦争であり、内戦という性格もあって、根深い厭戦意識と反戦思想を残すことになりましたし、第一次世界大戦は、アメリカの国土や国民の生命・財産が脅かされたものではなく、戦争を終わらせるためという形でしか参戦できない戦争でした。ヨーロッパでは、国際関係にはいつでも戦争が起こるものとの割りきりがあり、平時にも職業軍人を雇い訓練するのが普通でしたが、アメリカでは常備軍は否定され、議会と市民が正当な戦争だと認めない限り、戦争を始めることは出来ないというわけでした。
さて、原爆投下に戻りますと、一年近く前の昭和19年9月18日のハイドパーク協定において、原爆完成の暁には日本に対して使用するものと米欧首脳は決定していたことが知られています。昭和20年4月27日には、原爆投下の目標検討委員会が開催され、日本本土の17都市が選定され、ドイツ降伏直後の5月12日の第二回委員会では、京都、広島、横浜、小倉の4都市に、更に同28日の第三回委員会では、京都、広島、新潟に絞り込まれました(その後、7月になって、スチムソン陸軍長官の反対で、歴史的都市・京都が外され、小倉と長崎が加わりました)。初めからドイツではなく日本が標的だったことに、人種的偏見があったと僻む向きもありますが、太平洋戦争自体に、そうした意識が根底にあったことは否定できないにせよ、原爆投下に関しては、むしろ日本の降伏を促すことにより、終戦とそれに続く占領のイニシアティブをソ連に奪われないことが狙いだったと言われる通り、戦略的な配慮が働いたのだろうと思います。だからと言って原爆投下の非道を許すわけではありません。
そんなこんなで、結局、神がかりの日本が、国と国民とが一体となり、鍋・釜まで供出した上、乏しい資源を精神力で補いながら戦い続けた相手は、資源豊富で強大な産業力をもち、政府の言うこと・なすこと常に国民の監視の目に晒されて、対日開戦の必要性すら議会・世論対策のため時間をかけて巧妙に用意せざるを得ず、いざ戦争が始まっても、納税者たる国民の生活と安全が第一で、大量の武器・弾薬で武装し、兵士たる国民の生命を最大限尊重せざるを得なかった、民主主義の国だった、と言えるのではないでしょうか。そのアメリカという世界でもちょっと極端な自由・民主主義国が戦う戦争の成れの果てが、テレビゲームのように遠隔で行うことが出来るイラクへの空爆であり、雇われてアフガニスタンに派遣される軍事を専門とする民間警備会社と言えるのではないでしょうか。チャーチルが言ったように、民主主義は決して最上の体制とは言えない一つの証左と言えます(勿論、今の我々には民主主義以外に考えられませんが、最上ではないことを認識し、不断に努力することが重要だという意味だと思います)。