先週末、かれこれ30数年前、狩人のデビュー作「あずさ二号」に続く2曲目のタイトルにもなった長野県佐久市のコスモス街道に行って来ました。
国道254号線沿い、佐久市内山地区の一部に、1972年、地元の老人会がボランティアで植えたのが始まりで、ちょうど狩人が歌った頃には、全長9kmに及ぶコスモス街道の原型が出来上がったそうです。毎年9月にほぼ三週間にわたって、コスモスまつりが開かれ、風船飛ばしや太鼓演奏、子供たちの合唱、農産物・特産物即売会、近隣の寺院散策や座禅体験会など、さまざまなイベントが目白押しです。
今もなお長閑な田園風景の中の、一本道の国道沿いに、まさに“花道”と呼ぶに相応しい垣根をつくり、ご覧の通り、やや伸び切って、人間で言えばちょっとトウが立って、もはや可憐と言うわけには行きませんが、ピンクや紅や白など色とりどりの立派な花をつけて、秋の柔らかい日差しを浴びて揺れています。決して派手さはなく、そうと知らなければ通り過ぎてしまうほど。何事も続けること、維持することこそ難しいもので、コスモス街道はその難しいことを、さも何でもないことであるかのように佇んでいますが、そこには人々の手厚いサポートがあってこそ。そんな幸せがそこはかとなく溢れるような、淡い色合いの光景でした。
国道254号線沿い、佐久市内山地区の一部に、1972年、地元の老人会がボランティアで植えたのが始まりで、ちょうど狩人が歌った頃には、全長9kmに及ぶコスモス街道の原型が出来上がったそうです。毎年9月にほぼ三週間にわたって、コスモスまつりが開かれ、風船飛ばしや太鼓演奏、子供たちの合唱、農産物・特産物即売会、近隣の寺院散策や座禅体験会など、さまざまなイベントが目白押しです。
今もなお長閑な田園風景の中の、一本道の国道沿いに、まさに“花道”と呼ぶに相応しい垣根をつくり、ご覧の通り、やや伸び切って、人間で言えばちょっとトウが立って、もはや可憐と言うわけには行きませんが、ピンクや紅や白など色とりどりの立派な花をつけて、秋の柔らかい日差しを浴びて揺れています。決して派手さはなく、そうと知らなければ通り過ぎてしまうほど。何事も続けること、維持することこそ難しいもので、コスモス街道はその難しいことを、さも何でもないことであるかのように佇んでいますが、そこには人々の手厚いサポートがあってこそ。そんな幸せがそこはかとなく溢れるような、淡い色合いの光景でした。