風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

コスモス街道

2010-10-14 23:47:52 | 永遠の旅人
 先週末、かれこれ30数年前、狩人のデビュー作「あずさ二号」に続く2曲目のタイトルにもなった長野県佐久市のコスモス街道に行って来ました。
 国道254号線沿い、佐久市内山地区の一部に、1972年、地元の老人会がボランティアで植えたのが始まりで、ちょうど狩人が歌った頃には、全長9kmに及ぶコスモス街道の原型が出来上がったそうです。毎年9月にほぼ三週間にわたって、コスモスまつりが開かれ、風船飛ばしや太鼓演奏、子供たちの合唱、農産物・特産物即売会、近隣の寺院散策や座禅体験会など、さまざまなイベントが目白押しです。
 今もなお長閑な田園風景の中の、一本道の国道沿いに、まさに“花道”と呼ぶに相応しい垣根をつくり、ご覧の通り、やや伸び切って、人間で言えばちょっとトウが立って、もはや可憐と言うわけには行きませんが、ピンクや紅や白など色とりどりの立派な花をつけて、秋の柔らかい日差しを浴びて揺れています。決して派手さはなく、そうと知らなければ通り過ぎてしまうほど。何事も続けること、維持することこそ難しいもので、コスモス街道はその難しいことを、さも何でもないことであるかのように佇んでいますが、そこには人々の手厚いサポートがあってこそ。そんな幸せがそこはかとなく溢れるような、淡い色合いの光景でした。
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チリ落盤事故

2010-10-14 01:09:52 | 時事放談
 それにしても感動的な光景でした。世界が固唾を呑んで見守ったことでしょう。事故が発生したのは8月5日と言いますから、実に69日振りの救出劇が、今もなお続いていますが、救出された人々を影像で見ていると、予想以上に健康的であるのが奇跡的に見えます。
 考えてみれば、人間が生きるということは、変化する環境の中で実に多くの刺激を受け続けることが常態なわけですが、地下700mの暗闇の中では、日光を浴びることもなく、蒸し風呂のように高温・多湿のまま、シャワーを浴びることもままならず、体臭がひどくなる一方で、皮膚病にも悩まされ、33人という、クセは違えど同じ面子に囲まれ、このまま助かるかどうか分からない恐怖に囚われ続けるという、余りに変化がない状態は、実にストレスだらけであったろうことは想像を絶します。
 こうした極限状況を生き残った33人は鉱山労働のプロと言われながら、経験僅か5ヶ月の19歳の若者から最年長の63歳まで様々で、その不屈の精神力と団結力は素晴らしいですし、それにも増してこの団結力を引き出した現場監督の統率力は見事と言うほかありません。その現場監督は、8月5日に閉じ込められるや、救出作業が始まるまで20日はかかるだろうと予想し、備蓄食料をその想定に応じて配給するシステムを作ったと言われますが、実際に生存が確認されたのは17日目で、その後、救助物資が送られることになったわけですから、実に的確な判断でした。そして18日目に電話が繋がった時に流れて来たのは、パニックに陥ることなく、皆で斉唱するチリ国歌だったと言われますし、カプセルで引き上げる順序を巡っては、最後になるほど取り残される危険やその被害者意識に囚われるであろうにもかかわらず、後回しにしてよいと志願するケースが相次いだそうで、なんと感動的な団結力でしょう。勿論、真っ先にカプセルに乗り込み、引き上げられる15~20分の未知の体験に対する恐怖もあったと言いますが、そんな中、最初の救出者は、不測の事態も想定しつつ一番の屈強者として、カメラを回し続けて自分の影像は殆ど地上に送ることが出来なかった副責任者で、二人目は33人のムード・メーカーだったオジサンでした。そして現場監督は、全ての救出を見届け、33番目に救出される予定です。
 その背後で、救出を信じて待ち続けた家族や知人の存在は彼らの大きな力になったことでしょう。
 現場のサンホセ鉱山は、脱出口や排気口がなく安全管理義務違反を犯している上、これまで死亡事故も起こしており、人災とも言えるような事故でしたが、プロジェクトXのような盛り上がりを見せたのは、ひとえに圧倒的な極限状況にあって、人間の魂をストレートに揺さぶる人命救助というシンプルなイベントに、血が騒いだ、ということなのでしょう。33人全ての無事を祈ります。
 オマケとして、これを機に、チリのピニェラ大統領の支持率は急上昇し、救出劇は威信をかけた国家的大事業となりました。世界が注目した惨劇ですので、救出に至るドラマは既に「33人」のタイトルで映画化が決定し、現場では救出を前に記録映像の撮影が始まったそうです。更に作業員に対してすらも手記の執筆依頼が殺到しているそうでし、まして地下の33人は、救出された暁には、世界的な有名人としてカネが乱れ飛ぶのは間違いなく、地下と地上を結ぶテレビ電話を使って、弁護士が契約関係の整理に入っているほか、ジャーナリストが講師役となって救出後のメディア対応に向けた訓練を行っていたと伝えられています。ヒューマニズムと背中合わせにコマーシャリズムが蔓延り、当事者を呑み込みかねない、ちょっと気の毒とも言えるような、また鼻白んでしまうような現実を見せつけられそうな予感です。
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