風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

ノーベル賞(下)

2010-10-13 01:00:02 | 時事放談
 ノーベル平和賞が、中国で「国家政権転覆扇動罪」というイカメシイ罪状に問われて今年2月に11年の実刑判決を受けて服役中の劉暁波氏に授与されました。既に選考前から外交ルートを通してノルウェーに対し「両国関係に否定的影響を及ぼす」と圧力をかけ、受賞が決まるや中国各紙は、「劉暁波は罪人で、こういう人物に平和賞を授与したのは平和賞への冒瀆」とする中国外務省報道局長の談話を伝えた国営新華社通信の配信記事を小さく載せただけで、ほぼ黙殺状態であり、中国政府は駐中国ノルウェー大使を呼び出して抗議した上、ノルウェーに対し対抗措置を検討しているとまで伝えられました。世界第二の経済力を誇り、着々と軍備増強しながら、環境問題に無策であるのは自ら小国だからと称して憚らず、人民元切り上げに対して、中国で工場が大量に倒産し社会不安になる、それは世界にとって絶対に好ましいことではないなどと強弁し、極めて異質にいびつに膨張を続ける中国の異形な存在感を、更に際立たせる結果となりました。
 ノーベル平和賞は、過去にも、体制を批判し民主化を求めて受賞した人の国から反発を受けて来ました。カール・フォン・オシエツキー(ドイツ)、アンドレイ・サハロフ(旧・ソ連)、ダライ・ラマ14世(チベット)、アウンサンスーチー(ミャンマー)が有名だとWikipediaは列記しますが、昨年の現役アメリカ大統領に続いて、今年は獄中の人物に授与するなど、極めて異例の措置をとった平和賞の授賞主体であるノルウェーという、香港並みの人口と一人当たりGDPをもつに過ぎない小国のありように、政治的に過ぎるとの批判はあるようですが、ここはやはり天晴れと賛辞を送りたいと思います。
 そして言論統制が厳しい中国では、劉氏の名前を伏せて受賞を祝福する書き込みが溢れているそうです。
 一方で、韓寒という上海生まれの所謂「80後」世代を代表する作家がいます。Wikipediaでは雑誌編集者、プロのラリーレーサー、歌手、ブロガーとしても活動していると紹介され、タイム誌の「2010年世界で最も影響力のある100人」に、芸術家部門25人中の24番目で選ばれたそうです。石平氏によると(産経新聞コラム)、18歳の時に書いた小説『三重の門』が203万部も売れてベストセラーとなったほか、彼のブログには06年からの4年間で全国から2億9600万以上のアクセスがあり、「中国の大学教授の全員を集めてきても、公衆に対する影響力は韓寒一人に及ばない」と、中国人民大学の張鳴教授が悔しげに評したとされ、中国で最も影響力のある一人だと言います。その彼は、ブログの中で体制批判を試みますが、党の政治支配を真っ正面から否定するような言論は注意深く避けるなど、とりわけ党が警戒する反体制活動とは一線を画し、そういう意味で、同じ反逆者とは言っても、今回、平和賞を受賞した劉暁波氏などの「08憲章世代」とはまったく違ったタイプと見なされています(石平氏)。たとえばネットで拾った彼の語録には以下のようなものがあります。
 「犯罪を除けば、この世には自分が好きなことをやる人は一人もいない。」
 「ぼくはこの人生で蒲団をたたむ必要がないことを最も多く言ったが、しかし、反論できそうもない(布団は広げて使うものだから)と思ったこの論はもっとも早く反駁されてしまうはめとなった。わかったか。それは規則なのだ。ぼくらが悲しんでいるのは、ぼくらには規則があまりに多すぎるからだ。」
 「中国の文学がよくならないのは、言行とも出鱈目ながら道徳家の顔をしている者が、長らく評論家の座を占領しているからだ。彼らの最大の理想はおそらく、文壇を老人ホームに変えることだろう。」
 彼の主張は政治活動と言うよりもむしろ政治的権威を認めない反逆精神と言うべきでしょう。それは、生まれた時から政治闘争を知らず、改革開放の90年代の経済ブームの中で育ち、好きなモノが買えるとか、大学に進学できるといったように、それ以前の人には不可能だった「豊かさ」を実感し、自分の人生を選択できるようになった初めての世代とも言われ、「ポスト天安門世代」特有の政治感覚と評する人もいます。
 果たして中国は変わり得るか・・・は永遠のテーマでしたが、たとえ冷戦崩壊とイデオロギーの危機を生き延びたとしても、インターネットという電脳空間だけは当局も制御できないのではないか、そこに微かな可能性を期待しています。
コメント
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