風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

原発と放射線を巡る問題(5)

2011-08-11 23:44:21 | 時事放談
 中川恵一さんの「放射線のひみつ」(朝日出版社)を読みました。日頃から放射線治療を行う放射線治療医の立場から、放射線が人体に与える影響についてポイントをやさしく解説するものです。医者に対して「商売柄」という言い方は適切ではありませんが、放射線のことを身近に手繰り寄せて、特別扱いすることなく飽くまで「リスク」の一つとして取扱うことに、当初は違和感がありましたが、実は放射線によるがんと放射線以外の原因によるがんを症状で区別できないことからすれば、至極当たり前の発想なのかも知れないと思います。
 放射線が人体に与える影響には、「確率的影響」と「確定的影響」の二つがあるといいます(以下は同書から抜粋)。
 「確率的影響」は「発がん」のことを指し、遺伝子が放射線によってキズを受けることが原因と考えられます。発がんが起こる確率は被曝した放射線の量に応じて増加しますが、これ以下の線量ならば大丈夫という閾値はありません(たった一個の細胞の異常でもがんになる可能性は否定できないため)。広島・長崎の被爆者を長年調査した結果、だいたい年100~150ミリシーベルトを超えると、放射線を受けた集団の発がん率が高くなることが分かっていますが、それ以下の放射線被曝で発がんの可能性が増すかどうかはっきりとした証拠はありません。そのため国際放射線防護委員会では、実効線量(全身被曝)100ミリシーベルト未満でも、線量に従って一定の割合で発がんが増加するという考え方を念のため(安全サイドに考えて)採用しているということです。
 他方、「確定的影響」は、髪の毛が抜けたり白血球が減ったり生殖機能が失われたりするものです。先ほどの確率的影響である発がんが、例えば放射線によって死なずに生き残る細胞に対する影響であるのに対し、この確定的影響は放射線によって細胞が死ぬことによって起こります。死亡する細胞が増え、生き残った細胞が死んだ細胞を補えなくなる放射線の量が閾値で、実効線量(全身被曝)年250ミリシーベルトを超えなければ白血球減少は見られないそうなので、この線量が全ての確定的影響の閾値だそうです(男性の場合に100ミリシーベルトで一時的な精子数の減少が見られるようですが)。但し、広島・長崎の被爆者を長年調査した結果でも、子供に対する奇形などの遺伝的影響は見られないそうです。
 結局、一般市民が実効線量(全身被曝)250ミリシーベルトを浴びるような大量の被曝は想定できないため、私たちが心配すべきは確率的影響、つまり発がんリスクの僅かな上昇ということになります。
 さてその発がんの仕組みですが、そもそも人の身体は約60兆個の細胞からなり、髪の毛が抜けたり皮膚が垢となって剥がれるように、1%程度の細胞が日々死滅し、その死滅した細胞を細胞分裂によって補います。その際、DNAをコピーする必要がありますが、時々ミスを犯してしまう、そのコピーミスを遺伝子の突然変異と呼び、タバコや化学物質やストレスや老化などのほか、放射線がその原因として挙げられます。突然変異を起こした細胞の内、ごくまれに死なない細胞が生まれ、それが止めどなく分裂を繰り返して大きくなることがあり、それが“がん細胞”なわけです。しかし検査で見つかるほど大きくなるには10~20年かかります。
 そして、2人に1人ががんになり、3人に1人ががんで死ぬ「世界一のがん大国」日本にあって、死亡リスクという観点で比較すると、野菜嫌いの場合は150~200ミリシーベルトの被曝に相当し、受動喫煙の場合は100ミリシーベルト(女性の場合)、肥満や運動不足や塩分の摂り過ぎの場合は200~500ミリシーベルト、喫煙や毎日3合以上の飲酒に至っては、がん死亡リスクは2倍に跳ね上がり、2000ミリシーベルトの被曝に相当するそうです。これらと比べると、原発事故による一般公衆の放射線被曝リスク(200ミリシーベルトの被曝で致死性がん発生率は1%増加)は誤算の範囲と言っても良く、特に100ミリシーベルト以下の被曝リスクは、他の生活習慣の中に埋もれてしまうことになります。
 さてあらためて、放射線の人体への影響を考える際、「いつ」「どこで」「どんなものが」「どの期間」検出されるかを確認することが重要とされます。そして「いつ」ということに関しては、放射線防護の観点から、平時と緊急時とで区別されます。国際放射線防護委員会の勧告で、平時においては、一般公衆の年間放射線量限度は1ミリシーベルト(因みに自然放射線量は日本平均1.5ミリシーベルト、世界平均2.4ミリシーベルト)、緊急時の場合、年間20~100ミリシーベルト、復興時には年間1ミリシーベルトに戻すべきとされます。しかしこうした基準値は絶対的なものではなく、これを超えること自体が危ないものだとみなす必要もないと言います。何故なら、私たちが抱えるリスクは、以上に見た通り被曝だけではないからです。避難や規制に伴うさまざまなリスクや心理的な負担と、被曝のリスクとを勘案し、より「まし」な選択をするしかないというわけです(どんな選択をするにしてもリスク・ゼロということはない)。
 以上、長い抜粋となりました。こうして飽くまで放射線治療医という専門家の立場から、政府批判の色はなく、政府発表内容を追認するような結果になっていること、また厚労省の協議会や懇談会の委員を務めておられて体制に近いと見られていること、とりわけ放射線の影響について過小評価しているかのような発言が却って不安を煽るせいか、ネットでは御用学者の一人として批判的に見られることが多いようです。しかし科学的事実と知見に基づく発言に、「偏向」があるようには見えません。
 逆に、そういった批判的に見る人からの信任が厚い、30年来、反原発活動を続けて来られた筋金入りのジャーナリスト・広瀬隆氏の場合、最近の週刊誌でも、一時的な放射線量と積算量とを(意図的に?)混同して、いたずらに不安を煽るかのような発言は相変わらずです。大震災の半年ほど前に出版された話題の代表作「原子炉時限爆弾 大地震におびえる日本列島」(ダイヤモンド社)を買おうか買うまいか迷ってちらほら立ち読みしていると、「湾岸戦争症候群」と呼ばれる健康被害が劣化ウラン弾による放射線被ばくの事例として何の注釈もなく滔々と説明されるくだりが出て来て、戸惑います。確定していない事実関係を自らの立論に都合が良いように引用するのは、よほど不誠実と言わざるを得ません(ご存じの方も多いと思いますが、劣化ウラン弾による健康被害への影響の有無については、今のところサンプルも追跡件数・年数も不足しており、疫学上有意な結論を導くことができる状態には無い(Wikipedia)とされています)。学者と一介のジャーナリストを対比するのは失礼でした。
 いずれにしても、武田邦彦さんが第一種放射線取扱主任者として国際放射線防護委員会が勧告した1ミリシーベルトに飽くまでこだわるのと対照的に、放射線治療の専門家の立場から、被災地の首長に話した内容、すなわち、妊婦や赤ちゃんが避難すべきなのは言うまでもありませんが、成人についての発がんリスクは、野菜不足や塩分の摂り過ぎより低く、極端に恐れる必要はない、それより避難生活によるストレスなどの方が心配、というのは、その限りにおいては真理なのでしょう。なるほど、事故が現に起こってしまった以上、起こってしまったことの不運や恨みつらみや責任問題や賠償の話は別にして、もはや後戻り出来ないわけで、そうした中で放射線をいたずらに恐れることなく、現実的に柔軟に対処することが必要、という著者の提言は、十分に傾聴に値すると思います。
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