寝耳に水とはこういうことを言うのでしょう。昨晩10時から島田紳助(と愛着をもって呼び捨てにします、いわば芸能界の商品として)が吉本の社長と一緒に記者会見を開くというので何事かと思ったら、既にご存じの通り暴力団関係者との親密な関係を理由に芸能活動引退を表明しました。
特に贔屓というほどではありませんでしたが、同じ関西人として、頭の回転の良さやノリの良さは快適でしたし、毒のある発言もギリギリのところで笑いに昇華し、プロフェッショナルとしての安心感がありました。番組としても「開運!なんでも鑑定団」が好きな上、司会の紳助は抑制気味に、しかし言いたいことは確実に言い放って、ピりりと引き締まった構成は、石坂さんと女性(名前を失念)との何とも言えない絶妙のコンビネーションと相俟って、独特の雰囲気を醸し出して、とても良かった。もっとも最近の「行列のできる法律相談所」などでは下品な楽屋落ちのネタが目立つため、子供と一緒に見なくなって久しく、、ちょっと行き詰っているのかとも思っていました。
それにしても唐突感は否めません。よしもとクリエイティブ・エージェンシーが発表したコメントによると・・・「島田紳助について、平成17年6月頃から平成19年6月頃までの間、暴力団関係者との間に一定の親密さをうかがわせる携帯メールのやり取りを行っていたことが判明しました。このような行為は、社会的影響力の高いテレビなどのメディアに出演しているタレントとしては、その理由を問わず、許されないものであります。今回判明した行為自体は法律に触れるものではなく、また、経済的な利害関係が認められるものでもありません。しかしながら、島田紳助が、多数のテレビ番組にメーン司会者として出演していることなどに鑑みれば、弊社としては厳しい態度で臨むべきであると判断するに至りました。」・・・などと、全くソツのない文章です。同社のグループ行動憲章には「反社会的勢力からの接近に対しては、断固として対決し、一切の関係を持たないことを誓います」と明記するなど、来年の操業100周年を前に暴力団関係者らとの接触に神経質になっていたと言われますが、刑事事件があったわけではなく、ただの親密な関係だけで、TVのレギューラ週6本、しかも殆ど司会者という、超売れっ子の首を切るのは、尋常ではなく、厳し過ぎる処置と言わざるを得ません。それだけに、明らかにされている事実関係以外に何かあったのかと疑わせます。
これがコンプライアンス重視の時代の流れだと言ってしまえばそれまでです。
かつて田岡一男・山口組三代目組長の自伝を読んだ時、敗戦後、暴れる在日韓国人などから神戸の治安を守ったのは警察ではなく自分たちだったと自負していたのが印象に残っていますが、それ以外に美空ひばりや小林旭などの芸能人の興業も取り仕切り、組長の葬儀には世話になった芸能人が数名参列していたのが記憶に新しい。職業に貴賤はないと思っていて、それとは別の次元で、「芸のためなら女房も泣かす」(浪花恋しぐれ)などと歌われるように、私には、今なお芸能界は別の倫理観が支配して、特別扱いするようなところがあります。市川海老蔵事件の時に書いたように、社会が潔癖すぎて、正義感ぶって表面を取り繕ってよしとする現代の日本の風潮には、大衆化という一言では片付けられないような、ある種の脆さや危うさを日本の文化に対して感じてしまいますし、相撲界(私の中では伝統芸能に分類される)の八百長問題の時に書いたように、本来、芸を磨いて継承していく立場の人たちが、とりわけ十両力士を中心に星の貸し借りを行ったのは、幕下に転落して無給になるのを避けるためだったというように、サラリーマン化してしまうと、あるいはそのありようが強調されると、肝心のことが見失われてしまわないかとやや心配です。今回も、もとより反社会的勢力との関係を支持するものではありませんし、芸能界も企業社会化しつつあって、倫理を強化するのは勿論ですが、遍くサラリーマン化していく現状には、透明性ばかりが増して文化のもつ毒性が薄れはしないかと、やや別の(余計な)不安をつい覚えてしまいます。
特に贔屓というほどではありませんでしたが、同じ関西人として、頭の回転の良さやノリの良さは快適でしたし、毒のある発言もギリギリのところで笑いに昇華し、プロフェッショナルとしての安心感がありました。番組としても「開運!なんでも鑑定団」が好きな上、司会の紳助は抑制気味に、しかし言いたいことは確実に言い放って、ピりりと引き締まった構成は、石坂さんと女性(名前を失念)との何とも言えない絶妙のコンビネーションと相俟って、独特の雰囲気を醸し出して、とても良かった。もっとも最近の「行列のできる法律相談所」などでは下品な楽屋落ちのネタが目立つため、子供と一緒に見なくなって久しく、、ちょっと行き詰っているのかとも思っていました。
それにしても唐突感は否めません。よしもとクリエイティブ・エージェンシーが発表したコメントによると・・・「島田紳助について、平成17年6月頃から平成19年6月頃までの間、暴力団関係者との間に一定の親密さをうかがわせる携帯メールのやり取りを行っていたことが判明しました。このような行為は、社会的影響力の高いテレビなどのメディアに出演しているタレントとしては、その理由を問わず、許されないものであります。今回判明した行為自体は法律に触れるものではなく、また、経済的な利害関係が認められるものでもありません。しかしながら、島田紳助が、多数のテレビ番組にメーン司会者として出演していることなどに鑑みれば、弊社としては厳しい態度で臨むべきであると判断するに至りました。」・・・などと、全くソツのない文章です。同社のグループ行動憲章には「反社会的勢力からの接近に対しては、断固として対決し、一切の関係を持たないことを誓います」と明記するなど、来年の操業100周年を前に暴力団関係者らとの接触に神経質になっていたと言われますが、刑事事件があったわけではなく、ただの親密な関係だけで、TVのレギューラ週6本、しかも殆ど司会者という、超売れっ子の首を切るのは、尋常ではなく、厳し過ぎる処置と言わざるを得ません。それだけに、明らかにされている事実関係以外に何かあったのかと疑わせます。
これがコンプライアンス重視の時代の流れだと言ってしまえばそれまでです。
かつて田岡一男・山口組三代目組長の自伝を読んだ時、敗戦後、暴れる在日韓国人などから神戸の治安を守ったのは警察ではなく自分たちだったと自負していたのが印象に残っていますが、それ以外に美空ひばりや小林旭などの芸能人の興業も取り仕切り、組長の葬儀には世話になった芸能人が数名参列していたのが記憶に新しい。職業に貴賤はないと思っていて、それとは別の次元で、「芸のためなら女房も泣かす」(浪花恋しぐれ)などと歌われるように、私には、今なお芸能界は別の倫理観が支配して、特別扱いするようなところがあります。市川海老蔵事件の時に書いたように、社会が潔癖すぎて、正義感ぶって表面を取り繕ってよしとする現代の日本の風潮には、大衆化という一言では片付けられないような、ある種の脆さや危うさを日本の文化に対して感じてしまいますし、相撲界(私の中では伝統芸能に分類される)の八百長問題の時に書いたように、本来、芸を磨いて継承していく立場の人たちが、とりわけ十両力士を中心に星の貸し借りを行ったのは、幕下に転落して無給になるのを避けるためだったというように、サラリーマン化してしまうと、あるいはそのありようが強調されると、肝心のことが見失われてしまわないかとやや心配です。今回も、もとより反社会的勢力との関係を支持するものではありませんし、芸能界も企業社会化しつつあって、倫理を強化するのは勿論ですが、遍くサラリーマン化していく現状には、透明性ばかりが増して文化のもつ毒性が薄れはしないかと、やや別の(余計な)不安をつい覚えてしまいます。