風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

夏の甲子園

2011-08-22 02:48:24 | スポーツ・芸能好き
 野球少年の私にとって、甲子園は憧れでした。小学5年生の時、クラスの(と言うことは近所の)友達と野球チームを作り、監督は置かないでコーチを互選する民主的(!)な運営で、毎週日曜日の朝、学校に集まっては憑かれたように練習をしていました。別に目指したものがあったわけではありません。その証拠に、後に地元の公立中学に進んで野球部に入部した者は誰一人いませんでした。強いて言えば、「太陽にほえろ」ごっこをしてそれぞれの役になりきったように、野球ごっこをしてなりきっていたのだと思います。ピッチャーのカネやん(カネモト)は左腕で長身からキレのある球を投げ、受けるキャッチャー・シゲ(シゲハラ)は体格がよく、バットを振れば三振かホームランで田淵になりきり、ファーストのサイセン(サイトウ)は身体は小さいけれども左投げ・左打ちで王よろしく野球センスはピカ一、セカンドのウラシマは一歳下のくせに野球がうまくて憎たらしいのですが、金持ちのぼんぼんでバットやキャッチャーミットやマスクまで持っていたので重宝し、ショートはええカッコしいのフクイで、サードの私と、お互いに長嶋を気取って譲らず、誰も言ってくれないので「鉄壁の三遊間」を宣伝したものでした。レギュラー・メンバーはこの6人で、ユニフォームを買い揃えたのはいいのですが、巨人ファンと阪神ファンが相半ばして、それぞれ好きなチームの帽子をかぶり、リトルリーグのチームに挑戦状を叩きつけた時には、近所の年下のガキどもを借り出して何も分からないまま外野に立たせるといういい加減さでしたが、それでも圧倒的強さで勝利し歓喜しました。噂を聞きつけて対抗心を燃やした近所のガキ大将(ヌマザワと言うがヌマ公と呼ばれていた)が、即席チームを作ると、通りすがりのおじさんに審判を頼んで、世紀の一戦を行い、ヌマ公とカネやんの息詰まる投手戦の末、サイセンのサヨナラ・ヒットで劇的な勝利を収め、無敵神話は絶えることがありませんでした。中学に入ってからは野球をすることがなくなりましたが、春・夏の甲子園は欠かさず見ていたものでした。プロ野球は遠い夢(ファンタジー)の世界であり、甲子園は身近な夢(目標)、といったところでしょうか。
 そのせいかどうか、自分が高校球児と同年代になる頃には、高校野球を見なくなりました。決して野球が嫌いになったわけではないのですが、高校野球には、子供の頃からの野球好きには独特の思い入れがあるものです。それだけに、今年の夏、昨日の決勝戦を見ただけでしたが、青森勢として42年振りに決勝に進出した光星学院のスタメンに地元・青森出身者がいなかったという報道には、やや複雑な思いがあります。実際に、光星学院のスタメンは、大阪出身6名、沖縄出身2名、和歌山出身1名、対戦した高校から「関西弁が飛び交い、大阪のチームと試合しているみたい」と言われたそうです。エースの秋田は、中学時代は大阪・河南シニアで関西大会優勝、全国大会でもベスト16に導き、PL学園、大阪桐蔭、智弁和歌山から推薦入学の声がかかった逸材だそうです。他方、ベンチメンバー18人に大阪出身が10名を占めた中、地元・青森出身者が辛うじて3名いて、決勝戦9回表二死で代打で登場した控え捕手の荒屋敷は、八戸市立是川中学出身、高めの直球を思い切りよく大振りして、意地を見せました。
 この歳になればなおのこと、高校野球、とりわけ夏の甲子園では地区予選から勝ち上がり、それぞれの地元球児が甲子園の舞台で覇を競うご当地対決の綺麗ゴトであって欲しい、歓喜の勝利にせよ涙の敗北にせよインタビューではそれぞれに訛りある声を聴きたいと、つい思ってしまいます。それもあってか、主催の朝日新聞は、光星学院について、「選手は『僕らは青森代表』と胸を張る。冬は氷点下で、グラウンドの雪かきをして練習を積んできた。震災直後の選抜大会以降は、街で『頑張ったね』と声をかけられた。沖縄出身の天久は『青森の人のためにも野球をしてるんだ。また夏、甲子園に行かなきゃ』と感じた。」と、なんとか綺麗ゴトを取り繕う報道をしています。
 所謂「野球留学」が取り沙汰されるようになって恐らく30年以上になります。流出選手の約半数は大阪出身、受け入れが最も多いのは高知と報じられたことがありました。大阪をはじめとする激戦区から、少しでも確実に甲子園を狙える地方の有力校に「留学」する球児の思いは分からなくはありません。大阪・東京・神奈川などの大都市圏の名門校で二軍や三軍の不遇をかこつより、競争が相対的に少ない地方の有力校で活躍し、名前を売って甲子園さらにプロの道を目指したい思いも分からなくはありません。最近は、地方の有力校の施設が整備されていることが球児を惹きつける例もあると聞きます。それを擁護し、そんな高校球児の思いに付け込む大人たちの問題であると批判する声があるのはよく分かりますし、選挙における一票の格差に似た問題があるのは事実です。しかし、高校野球は飽くまで高校野球であってプロではないのだから、綺麗ゴトと言われようが、野球少年だったオジサンとしては、やはりご当地性にこだわりたい気がしてしまいます。
コメント (2)
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