風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

心臓手術

2011-08-23 00:40:59 | 日々の生活
 もう大丈夫だろうと思うので、ブログに書きます。今年の夏は、一ヶ月前に父親の心臓手術があって、遠出が出来ず、暑いさなかに鬱々としていましたが、印象に残る夏になりました。
 時々、息が切れるとぼやくのを聞くとはなしに聞いていたのですが、検査の結果、大動弁狭窄兼閉鎖不全症と診断されました。なんだか小難しい漢字の羅列ですが、要は大動脈弁が極端に狭くなり、うまく閉鎖しなくて血液の逆流も起こり、十分な血液を脳や全身に送れないため、心拡大をきたす一方、不整脈が出現していること、同時に、このままでは心筋障害や全身の臓器障害も起こりかねないので、人工弁に交換した方が良いというものでした。その時の手術危険率(死亡率)3~5%、合併症発生率5~10%と言われると、82歳の高齢で耐えられるのかと、ちょっとびびってしまいましたが、心臓のモデルとレントゲン写真を示しながら丁寧に説明して頂き、最後に、半年以内に不整脈で突然死する確率が50%とまで言われると、多少は大袈裟かも知れませんが、放っておくわけには行きません。
 人工弁には二種類あって、一つはメタルのもので、人間の寿命を遥かに超える耐性がありますが、蝶番のようなところに血液が固まるのを防ぐために、血液をさらさらにする薬を一生飲み続けなければならないし、納豆のような食品は二度と食べてはいけないと言われました。もう一つは化学物質のもので、耐性は最低10年しか保証してくれませんが、食餌制限はありません。どちらを選ぶかと問われると困ってしまいますが、高齢でもあり、また食餌制限や投薬の生活は不自由だろうと、本人とも相談の上、化学物質のものを選びました。
 手術がまた凄くて、人工弁を取り付けるためには、血液の流れを止めなければなりません。そのため、心臓の拍動を2~3時間止めて、人工心肺を取り付け、心臓(ポンプ)と肺(浄水器)に代えてきれいな血液を全身に送り続け、脳や各種臓器の働きを維持しながら、2cm四方くらいの大動脈弁を綺麗に切り取り(骨のようなものが付いているので、この粒が少しでも残って血液とともに流れると、脳などの毛細血管で血栓になる可能性がある)、人工弁をとりつけ、心臓の拍動を戻し、人工心肺を取り外す、というものです。人間の生身の身体は複雑系だと思っていましたが、その機能の一つ一つを切り離し、それぞれの特性を把握した上で、一時的に人工のものに置き換えたり、修復の手術を施しながら、術後に、また元に戻す。手術はまさに「技術」そのものだと思いました。人間の心臓の拍動を止めていられるのはせいぜい5時間と言いますから、もたもたしていられません。結局、4時間半くらいかかって、気を揉みましたが、なんとか手術は成功しました。
 術後、切り取った大動脈弁を見せてくれ、ピンセットで触らせてくれました。自らの手ではなく間接的でしたが、アメリカで上の子の出産に立ち会って、ゴムチューブのようなへその緒を切らされた時以来の、人間の生身の身体の部品に触れた瞬間です。薄い水色の柔らかい弁が生々しく、しかしそこには石灰藻(サンゴ藻)のような石状のものがこびりつき、弁としての機能不全を起こしているようでした。昨日今日の話ではないのでしょう。恐らく何十年もの間に、体内のコレステロール?が徐々に固まってこびりつき、ここ数年で、本来の心臓の働きを阻害するまでに閾値を越えてしまったのでしょう。あらためて、長い人生、年を取るのはこういうことかと実感し、健康的生活の日々の積み重ねが重要であることを思い知らされました。
コメント
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