風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

原発と放射線を巡る問題(4)

2011-08-06 00:00:28 | 時事放談
 前回に引き続き、武田邦彦さんの著作を読みました。「原発大崩壊!」(ベスト新書)の中で特に印象に残ったことを紹介します。
 武田さんが原子力安全委員会の専門委員をされていた2006年当時、「新耐震指針」(正確には「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」)を策定するために専門家を集めて議論が重ねられたそうです。そこで決まった原発建造における日本の耐震指針は、「原子炉の建屋」並びに建屋の中の「格納容器」と「原子炉(圧力容器)」の三つには責任を持つけれども、電気系統やその他の施設は対象から外したといいます。しかもこの指針は想定内の地震に対してのもので、想定外のことは「残余のリスク」と書かれ、そのリスクの範囲に入った場合、住民は「著しい被曝」をする可能性がある、と認めているというのです。「原子炉」は普通の建物の3倍、冷却系など次に重要なところは1.5倍の強さで建造し、その他の周辺施設に至っては普通の家と同じ耐震基準で建てられるということです。何ということでしょう。日本の原発が(チェルノブイリと違って)軽水炉を選んだのは、仮に水がなくなっても、中性子が減速しないから核分裂が続かず、爆発しないという安全志向が先ずあったはずでした。今回の福島原発でも、震災後、確かに設計通り制御棒が押し込まれ、核反応の暴走は起こりませんでした。しかし、電源が失われたため、崩壊熱を出し続ける燃料棒を冷やし続けることが出来ず、周囲の水を蒸発させ、結果、水素爆発を起こして放射線を放出したのは、ご存じの通りです。
 新指針が2006年で、それ以前はどうだったのか、その当時にどのような文脈で、こうした結論に至ったのか、単に従来のスタンスを認めただけだったのどうかかが気になりますが、いずれにせよ、原発の安全性は、政府や東電にとって「原子炉」の安全性でしかなく、電気系統を含む周辺施設が被災して冷却装置が機能しなくても、想定外などとうそぶいていられたわけです。そこには言い訳を許すロジックはあっても、付近住民の安全という理念が抜け落ちています。
 こうした事実からも、今回の原発問題は人災であり、安全管理の問題と言えそうです。日本のもてる技術を総動員すれば、もっと安全な原発、原子炉だけではなく電気系統や周辺を含む全ての施設を安全につくることが出来たはずです。そういう日本の技術を私は信じます。安全ではない原発は使うべきではないのは当然のことですが、今回の原発事故があったから、一般論として原発はアブナイものだとして、今後20年とか30年の時間をかけて反原発に舵を切るのはともかく、今すぐ全てやめるべきだという、そういう単純なものではないように思います。とりわけ、太平洋戦争の直接の原因の一つにアメリカによる対日禁油が挙げられ、更に二度の石油ショックによる狂乱物価を経験して、化石燃料に頼らないエネルギー戦略を実現することが悲願であるはずの、エネルギー資源が乏しい日本にとっては、なおのことです。
コメント (2)
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