武田邦彦さんの本を読みました。著者のプロフィールによると、旭化成のウラン濃縮研究所所長在任中に世界で初めて化学法のウラン濃縮に成功し、日本原子力学会から最高の賞(平和利用特賞)を授与され、現在は中部大学総合工学研究所教授を勤めておられますが、その前には、名古屋大学大学院教授のほか、内閣府原子力委員会及び安全委員会専門委員を歴任されたという意味で、「原子力村」の内外から見てきた公平な目線があります。
「放射能と生きる」(幻冬舎新書)は、3月11日から5月5日までのご本人のブログをそのまま再録したもので、その時々の限られた情報をもとに、ご自身の知見を踏まえ、原発と放射線という分かりにくい問題に、私たちがどのように対応すべきかを、冷静かつ丁寧に解説しておられたことが読み取れます。私自身の震災体験(勿論、東京に住んで、TVや新聞や雑誌というメディアを通して微かに実感するだけの体験ですが)を追体験しながら、興味深く読み進めることが出来ました。そして、ある時から政府の発表やマスコミの報道が分かりにくくなったのは、政府が国民を誤魔化そうとし、その尻馬に乗ったマスメディアがいい加減な情報を垂れ流したせいだということも分かりました。
放射線被ばくによる安全・不安全を巡る武田さんの主張のポイントは以下の三点です。
先ずは、武田さんとしては、人体に安全な被曝量として、国際放射線防護委員会(ICRP)が定めた基準値である年間1ミリシーベルトに飽くまで拘ります。この数字を少し超える年間5ミリの場所は「管理区域」と呼ばれ、立ち入りが制限されるわけではありませんが、被曝する放射線量を計測し、健康診断をする必要がある、つまり絶対に病気になるということはないけれども、注意をしなければならないということを意味するそうです。さらに年間20ミリという、放射線業務に携わる男性の限界値があります。同じ人間としての限界値に違いはないはずですが、基本的に業務に携わる人はしっかり被曝量を測り健康診断を行うものであること、また業務に携わる人は健康な成人男性であること(逆に言うと赤ちゃんや妊婦は含まれない)、そしてこれらを含めて自分の意思で放射線を浴びる場合と、事故などで自らの意思とは無関係に放射線を浴びる場合とで、明確に区別するのが防災の基本的な原則であることによります。なお年間50ミリになると、健康障害のおそれが出てくるため、例えば子供は甲状腺ガンを防ぐためにヨウ素剤を服用する必要が出てきます。年間100ミリになると、慢性的な疾患が見られるようになり、1000人に5人が放射線によってガンになるという数値です。年間250ミリは、福島原発で作業する人の限界値として引き上げられたもので、急性の白血球減少など、直ちに影響が見られるレベルだそうです。結局、人によって感覚が違うので、どのレベルが「正しいレベルか?」ということは必ずしも言えないものである、そうだとすれば、テレビなどで専門家は「平気だ」と言ってもそれは個人的な見解でしかない、そういう中で、武田さんは最も信頼性のある数値は国際放射線防護委員会が勧告した「年間1ミリ以下」とし、それ以下なら「安心」、それ以上なら「注意」と、はっきり意識した方が良いと述べられます。
次に、ここで注意すべきは、国際放射線防護委員会が使っている放射線量は、外部被曝と内部被曝の合計値であるということです。ところが政府の発表やメディアの報道を見ていると、外部被曝のことしか念頭に置いていないように見えます。そこで武田さんは、外部被曝に加え、チリなどが呼吸によって体内に吸収される量や、食品や水から吸収される量を加えて、政府が公表する「ある土地の放射線量」の3倍(警戒が足りない子供は4倍)を被曝するものだと考えるべきだと警告されています。
最後に、こうして被曝量は人により状況により個別に考えなければならないはずなのに、ある土地やホウレンソウで計測された放射線量を「直ちに影響はない」などと決めつけることに根拠がなく、従いこれほど無責任な発言はないことが分かります。政府が行うべきことは、パニックを避けるために事実を隠したり、影響を過小評価し、その後、事実確認のたびに影響が大きかったことを白状することではなく、先ずは事実をありのままに伝え、国民に判断させること、また影響を安全サイドに過大評価し、その後、事実確認のたびに、安全宣言していくことだと言うわけです。
菅内閣が、国民の生活を連呼しながら口ほどにはなく、薬害エイズや肝炎訴訟で人権派ぶるわりには人命尊重しないことが分かります。むしろ情報統制し、国民の安全より、内閣や総理大臣のメンツに拘るあたりは、かつての世界のサヨク政権の独裁性を感じさせます。
武田さんは放射線医学者ではなく、従い科学的事実を述べるのではなく、あくまで第一種放射線取扱主任者としての「立場」から、国際放射線防護委員会の勧告に忠実であり、原理主義的ですらあります。それが限界であるとも言えますが、しかし放射線に関する限り(あるいは世の中の事象はおしなべて)「立場」での発言を越えるものはないのではないでしょうか。武田さんの場合、この第一種放射線取扱主任者の背骨がピ~ンと通っており、それが爽快ですらあり、ごく虚心坦懐に著作を読むと、技術者としての良心を感じさせます。
「放射能と生きる」(幻冬舎新書)は、3月11日から5月5日までのご本人のブログをそのまま再録したもので、その時々の限られた情報をもとに、ご自身の知見を踏まえ、原発と放射線という分かりにくい問題に、私たちがどのように対応すべきかを、冷静かつ丁寧に解説しておられたことが読み取れます。私自身の震災体験(勿論、東京に住んで、TVや新聞や雑誌というメディアを通して微かに実感するだけの体験ですが)を追体験しながら、興味深く読み進めることが出来ました。そして、ある時から政府の発表やマスコミの報道が分かりにくくなったのは、政府が国民を誤魔化そうとし、その尻馬に乗ったマスメディアがいい加減な情報を垂れ流したせいだということも分かりました。
放射線被ばくによる安全・不安全を巡る武田さんの主張のポイントは以下の三点です。
先ずは、武田さんとしては、人体に安全な被曝量として、国際放射線防護委員会(ICRP)が定めた基準値である年間1ミリシーベルトに飽くまで拘ります。この数字を少し超える年間5ミリの場所は「管理区域」と呼ばれ、立ち入りが制限されるわけではありませんが、被曝する放射線量を計測し、健康診断をする必要がある、つまり絶対に病気になるということはないけれども、注意をしなければならないということを意味するそうです。さらに年間20ミリという、放射線業務に携わる男性の限界値があります。同じ人間としての限界値に違いはないはずですが、基本的に業務に携わる人はしっかり被曝量を測り健康診断を行うものであること、また業務に携わる人は健康な成人男性であること(逆に言うと赤ちゃんや妊婦は含まれない)、そしてこれらを含めて自分の意思で放射線を浴びる場合と、事故などで自らの意思とは無関係に放射線を浴びる場合とで、明確に区別するのが防災の基本的な原則であることによります。なお年間50ミリになると、健康障害のおそれが出てくるため、例えば子供は甲状腺ガンを防ぐためにヨウ素剤を服用する必要が出てきます。年間100ミリになると、慢性的な疾患が見られるようになり、1000人に5人が放射線によってガンになるという数値です。年間250ミリは、福島原発で作業する人の限界値として引き上げられたもので、急性の白血球減少など、直ちに影響が見られるレベルだそうです。結局、人によって感覚が違うので、どのレベルが「正しいレベルか?」ということは必ずしも言えないものである、そうだとすれば、テレビなどで専門家は「平気だ」と言ってもそれは個人的な見解でしかない、そういう中で、武田さんは最も信頼性のある数値は国際放射線防護委員会が勧告した「年間1ミリ以下」とし、それ以下なら「安心」、それ以上なら「注意」と、はっきり意識した方が良いと述べられます。
次に、ここで注意すべきは、国際放射線防護委員会が使っている放射線量は、外部被曝と内部被曝の合計値であるということです。ところが政府の発表やメディアの報道を見ていると、外部被曝のことしか念頭に置いていないように見えます。そこで武田さんは、外部被曝に加え、チリなどが呼吸によって体内に吸収される量や、食品や水から吸収される量を加えて、政府が公表する「ある土地の放射線量」の3倍(警戒が足りない子供は4倍)を被曝するものだと考えるべきだと警告されています。
最後に、こうして被曝量は人により状況により個別に考えなければならないはずなのに、ある土地やホウレンソウで計測された放射線量を「直ちに影響はない」などと決めつけることに根拠がなく、従いこれほど無責任な発言はないことが分かります。政府が行うべきことは、パニックを避けるために事実を隠したり、影響を過小評価し、その後、事実確認のたびに影響が大きかったことを白状することではなく、先ずは事実をありのままに伝え、国民に判断させること、また影響を安全サイドに過大評価し、その後、事実確認のたびに、安全宣言していくことだと言うわけです。
菅内閣が、国民の生活を連呼しながら口ほどにはなく、薬害エイズや肝炎訴訟で人権派ぶるわりには人命尊重しないことが分かります。むしろ情報統制し、国民の安全より、内閣や総理大臣のメンツに拘るあたりは、かつての世界のサヨク政権の独裁性を感じさせます。
武田さんは放射線医学者ではなく、従い科学的事実を述べるのではなく、あくまで第一種放射線取扱主任者としての「立場」から、国際放射線防護委員会の勧告に忠実であり、原理主義的ですらあります。それが限界であるとも言えますが、しかし放射線に関する限り(あるいは世の中の事象はおしなべて)「立場」での発言を越えるものはないのではないでしょうか。武田さんの場合、この第一種放射線取扱主任者の背骨がピ~ンと通っており、それが爽快ですらあり、ごく虚心坦懐に著作を読むと、技術者としての良心を感じさせます。