風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

連帯感

2011-08-08 13:07:37 | 日々の生活
 旧聞に属しますが、野中郁次郎さんが「Voice」7月号に寄せた論文冒頭で、「東日本大震災のあと、日本が示した連帯感をみて、わが国にはまだ強固なコミュニティーが存在し、世界に誇るべき現場力が残っている、と多くの人が感じたのではないだろうか」と述べられておられました。時に、共感の余り、被災地でもないのに耐え忍ぶ、我慢する、そんなことをしたら共倒れになりかねないと警告の声があがるほどの連帯感を示したのは周知の通りであり、危機的な状況にあって日本をリードすべき政治の体たらくとは裏腹に、現場は活力に満ちていることを心強く思った人が多かったことでしょう。
 これも旧聞に属しますが、今回の大震災をきっかけに、幕末以来の仇敵である会津と長州との間に和解の兆しが見られたとの報道を見かけました。これまで、会津若松市は、長州(山口県萩市)から姉妹都市の申し出があっても、「ならぬことはならぬ」と、会津藩校・日新館の「什の掟」の一文を引用して断って来ました。ところが、会津若松市が津波や原発事故の被害を受けた沿岸部から避難者を大量に受け入れたことを知った萩市が、市職員や市議会などからの義援金を申し出て、受け入れられたというのです。美談の一つと称えられますが、私は、かつての江戸時代以前の郷土意識が根強いことをあらためて感じました。
 そこでふと思うのですが、血縁や地縁で結ばれる人々の絆(所謂ムラ意識)を超えて、大震災があったればこそ発揮し得た遠い人たちへの連帯感を、大震災がなくても、同じ日本人というだけで見ず知らずの同朋に対しても、日本人は保持し続けることが出来るのでしょうか。戦後だけ見ても、復興から高度成長を経て世界第二の経済大国に登りつめ、更にバブルを経て長い停滞に入り、戦後の前半と後半の世代間で意識が分断されて、共通の価値観がないばかりか生活実感も異なり、不公平感が渦巻く社会にあって、社会保障と税の一体改革と言いながら、私たちは、この国のありようをどうするかということに関して、今なおコンセンサスに至っていないように思います。
 そんなことを思いたったのは、ある雑誌で、あるスウェーデン人との対談記事を読んだからでした。所得の6割近くを社会保障費として政府に収める生活を、私たちは俄かに想像できませんが、日本でいえば団塊の世代か少し上の世代が、彼の地ではそうした高福祉社会をつくりあげることに成功しました。曰く、多くの富を得たところで、所詮出来ることは大きな家を買うことくらいではないか。それでシンプルな社会を作ることにした、というのは、彼の地では自然な発想なのかも知れませんが、私たちには一種の価値観の転換が必要で、俄かには想像できません。スウェーデンでは入院して大がかりな手術を受けても、日本人が思う以上にさっさと退院させられるのだそうです。制度としては効率的ですが、その代り自宅に戻ってから周囲のサポートを受けられる裏付けがある。結局、社会を支えるのは、「制度」ではなく、そうした「制度」を成り立たしめ、人々が社会にコミットする「理念」や「思想」、つまり人々の意識の中に根付く社会的「連帯」の感覚ではないか、というわけです。
 そういう意味での成熟を、日本人はまだ経験していません。そのように成熟するにはまだ時間が必要なほど、余りに激動の戦後だったと言えるのかも知れません。大震災は、こうした激動に冷や水を浴びせ、人々をして社会を冷静に見つめさせることが出来るのでしょうか。
コメント
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