風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

原発と放射線を巡る問題(7)

2011-08-28 01:41:20 | 時事放談
 昨日の日経新聞朝刊の、「日本は原発生かす責任」と題するインタビュー記事で、IEA事務局長の田中伸男氏が、エネルギー安全保障に触れ、「日本海を地中海に見立て、ロシアや韓国と送電線を結ぶ環日本海グリッドというのはあり得る。ロシアはガスではなく電力の形で売ってもいいと言っているようだ。国内の電力市場改革も不可欠だ。日本は東西で断絶していて、各社の間も接続が弱い。国内が繋がっていないのに国際送電線を繋げるわけがない。競わないから国際化する力も高まらない。これから考えるべきなのは国際的な広域連係線のマーケットだ」と語っておられます。続けて、「日本の首相が脱原発を選ぶとは思わなかった。日本が撤退すればライバル国は大喜びだ。他国が日本に協力を申し出るのは福島原発の情報が貴重だからだ。日本は未曾有の大事故を自分の力で克服し、安全な原発のための解を拾い上げる義務を負っている」と結んでいます。
 原発に関する議論(特に反対派)を見ていると、国際政治・経済の現実の視点が私たちには弱いことが分かります(田中氏の上の引用の前半も、果たして東アジアの国際政治の現実に合ったものかと言うと些か疑問ですが)。どうしても日本は内向きの志向、国内に閉じた思考になりがちです。
 日本は、戦後、暫くの間、航空機や原子力の製造はおろか研究も許されていませんでした。最近でこそ、全日空が世界で初めて大量導入を決めた次世代中型旅客機ボーイング787型機は、部品の35%以上が日本製で“準”国産機とまで言われますが、日本の技術力からすれば随分遅れて登場したことは否めません。国連憲章に残る敵国条項は、一般には事実上死文化されたものとみなされていますが、法的には日本やドイツをはじめとする第二次世界大戦中に連合国の敵国であった国(枢軸国)に適用されるものとして今なお国連憲章に姿をとどめているように(Wikipedia)、日本はとりわけ原子力の世界において不利な扱いを受けてきたことを、西尾幹二さんがWiLL8月号で解説されています。
 伝統的にアメリカは日本に「核の傘」の保障を与えることで、日本の核武装を阻んできたというのが国際政治の現実です。NPT(核不拡散条約)の7割方の目的は、経済大国になり出した日本と西ドイツ核武装の途を閉ざすことにあったと、村田良平・元外務事務次官は回想録で述べているそうですし、実際に日本政府がNPTの署名を渋り、批准を遅らせていた当時、米、英、ソ連だけでなく、カナダや豪からも、NPTにおとなしく入らなければウラン燃料を供給しないと脅しをかけられていたといいます。NPT以外にも、日本は、米、英、仏、カナダ、豪、中国の六ヶ国との間に二国間原子力協定を結んでいますが、横暴なまでの締め付けや各種の縛りがあるそうです。例えば、日本の場合、核燃料は全て外国産で、天然ウランはカナダや豪からも購入することが多く、カナダや豪は、このため、自国産天然ウランについて対日規制権(濃縮、再処理、第三国移転等について事前同意権)を先々までもつことになるそうです。次に、日本で運転中の原子炉は全て軽水炉なので、天然ウランを購入した日本の電力会社は、米・仏等へ運んで高いカネを支払って(3%の微)濃縮してもらう結果、米・仏等も濃縮国として新たに対日規制権を持つことになるそうです。更に、その濃縮ウランを日本の原子炉で燃やして発電した後、使用済み核燃料を英・仏に持って行って再処理してもらうと、そこで出来たプルトニウム燃料について、今度は英・仏の対日規制が加わるといった塩梅です。将来、対日規制権をもつ複数の国の間で利害の衝突が起こった場合、もし一ヶ国でも反対すれば、日本の核燃料サイクルは重大な支障を来さないとも限らないわけです。
 こうして、西尾氏は、日本が原爆を造るかも知れないという単なる言いがかりで、原料のウランと燃料のプルトニウムの処理に対して、国際無法社会が巨額のカネを絞り取るアコギなシステム出来上がっていたと言い、こうして見ると、敦賀の高速増殖炉“もんじゅ”は日本独自の技術であり、日本の原発が、諸外国の圧力から逃れて独立自存する目標のシンボルだった(しかし失敗と分かったら潔く撤退するにしくはない)とも言い、逆に言えば、原子力発電の夢の妄執を捨てることさえ出来るならば、外国から干渉されたり侵害されたりする理由もないということになると結論づけています。つまり原発は日本を抑え込む便利な手段の一つであり、IAEAの代表者が日本人であることは、黒人の中から黒人の働く農場の監督が選ばれるのと同じようなことであるとまで揶揄し、5千発の原爆を造ることが出来るプルトニウムを貯め込むことで自ら自由を失い、本来の防衛力を阻害することは合理的かと疑問を投げかけます。
 福島原発事故を契機に反原発に転向されたと言われる西尾氏の全てを支持するものではありませんが、原爆開発から生まれた核の平和利用が国際政治と無縁ではあり得ないこと、中でも第二次世界大戦の敵国が原発にも影を落としている現実があるという意味で、重要な指摘を含んでいると思い、長くなりましたが紹介しました。西尾氏自身は、原発など放棄して、70発くらいのレベルの高い核弾頭を原潜に乗せて太平洋を遊弋させることが抑止力たり得ると主張されています。確かに中国やロシアといった核大国に囲まれ、無法者国家・北朝鮮の核武装による脅威に晒されるという、地政学的に世界でも稀にみる難しい東アジアという地にありながら、核に関して無防備であることは国際常識では考えられません。これまで非核三原則を唱えつつ、MAD(相互確証破壊)という戦略を考えれば、米国の艦船が日本に寄港するためにわざわざ核を積み下ろすことなど考えられないわけで、その含みが抑止力たり得たと思いますが、民主党政権はその含みを放棄しようとしているように見えるのはナンセンスです。いつでも核武装できるのに、飽くまで核の平和利用を国際社会に訴えることで得られる世界で唯一の被爆国・日本という国家の品格と、抑止的効果がある現実を、過小評価するべきではないと思います。
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