一週間ほど前の話になりますが、トヨタの最高顧問・豊田英二さんが亡くなられました。享年100。大往生と言えるのではないでしょうか。
私が入社した頃には既に会長職に退いて久しく、同時代人としての直接の記憶はありませんが、1982年の工販(トヨタ自動車工業×トヨタ自動車販売)合併まで約15年にわたって社長を務め、その間、豊田喜一郎氏(創業者・佐吉氏の長男)が考案した「ジャスト・イン・タイム方式」を更に発展させた「カイゼン」活動を徹底し、「トヨタ生産方式」を確立したことで知られる「トヨタ中興の祖」です(実際に体系化したのは大野耐一さんですが)。
もはや「カイゼン」はKAIZENとして海外でも通用するばかりでなく、私たちにとっては業務上不可欠と言ってもよいほど、ごく当たり前の取り組みになりました。「トラブルの芽を、小さいうちにどんどん摘んでいく」、「データで仕事しよう、ワーストから潰そう」(現状を洗い出し、データを分析する。次に一番クレームの多いところから潰していく。但し重要度・緊急度の高いものには優先して取り組む)、「事前の一策、事後の百策に勝る」(コトが起きる前に準備しきちんと対応する方が、コトが起こってから慌てて対応に走り回るより遥かに効果的)、「横展(横に展開)しよう」、「自分が楽になることを考えろ」、「真因を探せ」(問題にぶつかったとき、「なぜ」を5回繰り返せば、真の原因が浮き上がってくる)、「カイゼンは巧遅より拙速」(要はあれこれ考えてばかりいないで、まずはやってみる)など、トヨタの口癖とされるもので馴染みのものは実に多い。
しかし、巷にトヨタ本があふれ、トヨタ用語やトヨタの口癖を知る人は多くても、言葉の表面だけでなく本当の意味を理解し、さらには当たり前のことをきっちり習慣として抜かりなくやる、大きな組織の中でも徹底してやる、というのはなかなか生易しいことではありません。すなわちトヨタ生産方式の本質は「毎日のリスクマネジメント」にあり、「当たり前のことを習慣にする」点に強さの秘密があるとされます。要はトヨタの強さはDNAとしてのカイゼンにあるということです。だからトヨタは他社に対して常にオープンで、トヨタ生産方式を学ぶ企業は、製造業からイトーヨーカドーのような小売業まで幅広いのですが、トヨタを超えること、すなわちDNAとして根付かせることは、なお難しい。豊田英二さん自身も、「トヨタのジャスト・イン・タイムは60年近い年月を経て、ようやく体の一部になってきた」「ノウハウの蓄積が非常に大切」などと言われたものでした。当たり前のことを愚直に実行することほど難しいものはないというのは、身の回りを見渡してもそう思うわけですが、そこに気づかせてくれた功績は計り知れないほど大きい。
また、豊田英二さんは、製造業の空洞化についても警鐘を鳴らしておられました。「モノ作りは絶やさんように」「一度、空洞化してしまうと、失ったノウハウを取り戻すのに、大変な労力がかかる」と言って、平安時代、醍醐と呼ばれたチーズは、醍醐味という言葉があるくらいで、美味しいと思われて作られていたはずなのに、いつの間にか製造技術が失われ、明治になって西洋から入ってくるまで製造出来なかった話とか、やはり8世紀頃の遺跡を発掘すると、勾玉みたいなガラス製品がたくさん出てくるのに、9世紀に入るとぱったり途絶えて、16世紀半ばにビードロとかギヤマンなどが入ってくるまで、空白ができて、その間、日本のガラス製造技術は遅れてしまったといったような話を例に挙げておられました。
さらには、「経済の中で価値を生み出す一番の源は、今でもモノ作りにあるんであって、何もないところにサービスだけあるわけがない」「モノ作りという基礎がしっかりしておって、その上にサービスや金融のようないろいろな産業が乗っかっておるなら、それでええんです」「コンピュータはモノサシみないなもので、いくらいじっても何も出てこない。ものづくりが出来ない国は衰退する」と言って、「ものづくり」に相当の自負と責任感をもっておられたようですし、製造技術を日本の国内に残すことに並々ならぬ情熱を傾けてこられました。今では日本の製造業と言えば、悲しいことにトヨタをはじめとする自動車産業しかない・・・とまで言わなければならないような趣です。
そんな「ものづくり」への思い入れが強い豊田英二さんも、実は「ものづくりよりヒトづくり」と言われていました。この点に関して、松下幸之助さんの話が有名で、その昔、得意先から「松下電器は何をつくるところか」と尋ねられたならば、「松下電器は人をつくるところでございます。あわせて電気製品をつくっております」と答えるよう若い社員に伝えた・・・というものです。企業は人なり、とは簡単に言いますが、日本の「ものづくり」ひいては「日本的経営」の強さの究極は、日本人の資質にあるのですね。そこさえ揺るがせにしなければ、今はたとえ自動車産業だけと言われるような状況であっても、将来は決して暗くないと思います。トヨタだけでなく広く企業人に影響を与えた豊田英二さんの死に、合掌。
私が入社した頃には既に会長職に退いて久しく、同時代人としての直接の記憶はありませんが、1982年の工販(トヨタ自動車工業×トヨタ自動車販売)合併まで約15年にわたって社長を務め、その間、豊田喜一郎氏(創業者・佐吉氏の長男)が考案した「ジャスト・イン・タイム方式」を更に発展させた「カイゼン」活動を徹底し、「トヨタ生産方式」を確立したことで知られる「トヨタ中興の祖」です(実際に体系化したのは大野耐一さんですが)。
もはや「カイゼン」はKAIZENとして海外でも通用するばかりでなく、私たちにとっては業務上不可欠と言ってもよいほど、ごく当たり前の取り組みになりました。「トラブルの芽を、小さいうちにどんどん摘んでいく」、「データで仕事しよう、ワーストから潰そう」(現状を洗い出し、データを分析する。次に一番クレームの多いところから潰していく。但し重要度・緊急度の高いものには優先して取り組む)、「事前の一策、事後の百策に勝る」(コトが起きる前に準備しきちんと対応する方が、コトが起こってから慌てて対応に走り回るより遥かに効果的)、「横展(横に展開)しよう」、「自分が楽になることを考えろ」、「真因を探せ」(問題にぶつかったとき、「なぜ」を5回繰り返せば、真の原因が浮き上がってくる)、「カイゼンは巧遅より拙速」(要はあれこれ考えてばかりいないで、まずはやってみる)など、トヨタの口癖とされるもので馴染みのものは実に多い。
しかし、巷にトヨタ本があふれ、トヨタ用語やトヨタの口癖を知る人は多くても、言葉の表面だけでなく本当の意味を理解し、さらには当たり前のことをきっちり習慣として抜かりなくやる、大きな組織の中でも徹底してやる、というのはなかなか生易しいことではありません。すなわちトヨタ生産方式の本質は「毎日のリスクマネジメント」にあり、「当たり前のことを習慣にする」点に強さの秘密があるとされます。要はトヨタの強さはDNAとしてのカイゼンにあるということです。だからトヨタは他社に対して常にオープンで、トヨタ生産方式を学ぶ企業は、製造業からイトーヨーカドーのような小売業まで幅広いのですが、トヨタを超えること、すなわちDNAとして根付かせることは、なお難しい。豊田英二さん自身も、「トヨタのジャスト・イン・タイムは60年近い年月を経て、ようやく体の一部になってきた」「ノウハウの蓄積が非常に大切」などと言われたものでした。当たり前のことを愚直に実行することほど難しいものはないというのは、身の回りを見渡してもそう思うわけですが、そこに気づかせてくれた功績は計り知れないほど大きい。
また、豊田英二さんは、製造業の空洞化についても警鐘を鳴らしておられました。「モノ作りは絶やさんように」「一度、空洞化してしまうと、失ったノウハウを取り戻すのに、大変な労力がかかる」と言って、平安時代、醍醐と呼ばれたチーズは、醍醐味という言葉があるくらいで、美味しいと思われて作られていたはずなのに、いつの間にか製造技術が失われ、明治になって西洋から入ってくるまで製造出来なかった話とか、やはり8世紀頃の遺跡を発掘すると、勾玉みたいなガラス製品がたくさん出てくるのに、9世紀に入るとぱったり途絶えて、16世紀半ばにビードロとかギヤマンなどが入ってくるまで、空白ができて、その間、日本のガラス製造技術は遅れてしまったといったような話を例に挙げておられました。
さらには、「経済の中で価値を生み出す一番の源は、今でもモノ作りにあるんであって、何もないところにサービスだけあるわけがない」「モノ作りという基礎がしっかりしておって、その上にサービスや金融のようないろいろな産業が乗っかっておるなら、それでええんです」「コンピュータはモノサシみないなもので、いくらいじっても何も出てこない。ものづくりが出来ない国は衰退する」と言って、「ものづくり」に相当の自負と責任感をもっておられたようですし、製造技術を日本の国内に残すことに並々ならぬ情熱を傾けてこられました。今では日本の製造業と言えば、悲しいことにトヨタをはじめとする自動車産業しかない・・・とまで言わなければならないような趣です。
そんな「ものづくり」への思い入れが強い豊田英二さんも、実は「ものづくりよりヒトづくり」と言われていました。この点に関して、松下幸之助さんの話が有名で、その昔、得意先から「松下電器は何をつくるところか」と尋ねられたならば、「松下電器は人をつくるところでございます。あわせて電気製品をつくっております」と答えるよう若い社員に伝えた・・・というものです。企業は人なり、とは簡単に言いますが、日本の「ものづくり」ひいては「日本的経営」の強さの究極は、日本人の資質にあるのですね。そこさえ揺るがせにしなければ、今はたとえ自動車産業だけと言われるような状況であっても、将来は決して暗くないと思います。トヨタだけでなく広く企業人に影響を与えた豊田英二さんの死に、合掌。