ついでながら最後に、日本は史上最多メダル(41個)を獲得したが、金メダルの数(12個)自体は2000年のアテネ五輪(16個)には及ばなかった(因みにアテネ五輪でのメダル総数37個)。と言っても、アテネ五輪では、野村忠宏や谷亮子や鈴木桂治を擁した柔道が実に8個の金メダルを獲得していた(のに対してリオ五輪では3個)ので、それを除けば、そしてアテネの後、北京で金9個(総数25個)、ロンドンで金7個(総数38個)とやや落ち込んだことを考えれば、やはり善戦したと言える。
その要因について、ノンフィクションライターの松瀬学氏は、三つの要因を挙げておられる。先ずは2年前のIOC総会で、2020年の東京五輪開催が決まったことだが、これには誰も異存ないだろう。実際、どの競技団体も、リオ五輪を2020年に向けた前哨戦と位置付けていたという。2020年に向けた戦いは既に始まっているのだ。
次に、国の強化支援が拡充したことで、文科省(現スポーツ庁)のマルチサポート事業が2008年にスタートし、予算が年々拡大し、今年度の競技力向上事業は実に100億円を突破し、結果的に、今大会のメダル41個の内、40個がマルチサポートのターゲット競技種目の対象競技だったという。相沢光一氏も、ナショナル・トレーニングセンターの効果を強調されている。トップ選手は他競技の選手たちと切磋琢磨しながらトレーニングできるようになったし、国際試合に頻繁に出場するようになって、実力の点でも精神力の点でも逞しく成長したと見る。また、リオに設置された「ハイパフォーマンス・サポート・センター」も評判が良かったらしい。食堂では、米飯、うどん、焼き魚など和食を中心にさまざまなメニューが提供され、炭酸泉、サウナ風呂、疲労測定器、最新の治療機器などによるリカバリー施設も充実していたという。
三つ目として松瀬学氏が挙げたのは、ロシアのドーピング問題の余波で、五輪でのドーピング検査が厳格化され、日本選手にとっては相対的にプラスに働いたと見られている。しかしロシアが金メダルを減らして日本が増やしたと言うよりも、それ以外に例えば中国がこの流れで金メダルを減らして日本が拾った、といったところはあったかも知れない。
しかし、日本が獲得したメダル数のレベル自体は十分とは言えないようだ。人口比でメダル数を比較したデータを見ると、もし日本と同じ人口規模だとすると何個のメダル数に相当するかを単純比較した場合に、ジャマイカ512個、ニュージーランド497個は別格として、アメリカ48個、英国131個、ドイツ65個、フランス80個、イタリア58個、オーストラリア155個、オランダ142個と、日本41個は先進国の中では最低レベルのようだ。なお、ブラジル12個、ロシア49個、中国6個、南アフリカ23個で、先進国優位も明らかのようだ。衣食足りて礼節を知ると言うが、経済が充足してこそ、というところは以前にも触れた。
まあ、負け惜しみではなく、メダルに余りに拘るのもどうかという意見は多いだろう。日本選手団の橋本聖子団長はリオ市内で行われた総括記者会見でいいことを言っている。「メダルの数を増やすために頑張っていると思われがちだが、まずは人としてどうあるべきかが大切。人間力なくして競技力向上なし。自分自身に強い自信を持てる人間はどんな時にも対応力があるし、どんな人にも優しくできる。五輪を教育として捉えた時に、メダルの数より大事なことだ」と。ドーピング対策強化やビデオ判定導入はいいが、だからと言ってメダルを獲れそうな人気薄の競技を狙うというようなメダル至上主義は好ましいものではない。まあ、心情的にはなかなか難しいのだけれど。
来るべき東京五輪も、どう転んでも、いろいろ思うところがあるのだろう。ナショナリズムという心の琴線に触れるところは、取扱いが難しい。
その要因について、ノンフィクションライターの松瀬学氏は、三つの要因を挙げておられる。先ずは2年前のIOC総会で、2020年の東京五輪開催が決まったことだが、これには誰も異存ないだろう。実際、どの競技団体も、リオ五輪を2020年に向けた前哨戦と位置付けていたという。2020年に向けた戦いは既に始まっているのだ。
次に、国の強化支援が拡充したことで、文科省(現スポーツ庁)のマルチサポート事業が2008年にスタートし、予算が年々拡大し、今年度の競技力向上事業は実に100億円を突破し、結果的に、今大会のメダル41個の内、40個がマルチサポートのターゲット競技種目の対象競技だったという。相沢光一氏も、ナショナル・トレーニングセンターの効果を強調されている。トップ選手は他競技の選手たちと切磋琢磨しながらトレーニングできるようになったし、国際試合に頻繁に出場するようになって、実力の点でも精神力の点でも逞しく成長したと見る。また、リオに設置された「ハイパフォーマンス・サポート・センター」も評判が良かったらしい。食堂では、米飯、うどん、焼き魚など和食を中心にさまざまなメニューが提供され、炭酸泉、サウナ風呂、疲労測定器、最新の治療機器などによるリカバリー施設も充実していたという。
三つ目として松瀬学氏が挙げたのは、ロシアのドーピング問題の余波で、五輪でのドーピング検査が厳格化され、日本選手にとっては相対的にプラスに働いたと見られている。しかしロシアが金メダルを減らして日本が増やしたと言うよりも、それ以外に例えば中国がこの流れで金メダルを減らして日本が拾った、といったところはあったかも知れない。
しかし、日本が獲得したメダル数のレベル自体は十分とは言えないようだ。人口比でメダル数を比較したデータを見ると、もし日本と同じ人口規模だとすると何個のメダル数に相当するかを単純比較した場合に、ジャマイカ512個、ニュージーランド497個は別格として、アメリカ48個、英国131個、ドイツ65個、フランス80個、イタリア58個、オーストラリア155個、オランダ142個と、日本41個は先進国の中では最低レベルのようだ。なお、ブラジル12個、ロシア49個、中国6個、南アフリカ23個で、先進国優位も明らかのようだ。衣食足りて礼節を知ると言うが、経済が充足してこそ、というところは以前にも触れた。
まあ、負け惜しみではなく、メダルに余りに拘るのもどうかという意見は多いだろう。日本選手団の橋本聖子団長はリオ市内で行われた総括記者会見でいいことを言っている。「メダルの数を増やすために頑張っていると思われがちだが、まずは人としてどうあるべきかが大切。人間力なくして競技力向上なし。自分自身に強い自信を持てる人間はどんな時にも対応力があるし、どんな人にも優しくできる。五輪を教育として捉えた時に、メダルの数より大事なことだ」と。ドーピング対策強化やビデオ判定導入はいいが、だからと言ってメダルを獲れそうな人気薄の競技を狙うというようなメダル至上主義は好ましいものではない。まあ、心情的にはなかなか難しいのだけれど。
来るべき東京五輪も、どう転んでも、いろいろ思うところがあるのだろう。ナショナリズムという心の琴線に触れるところは、取扱いが難しい。