「シン・ゴジラ」には、さりげなく日本の伝統技術が活かされていて、なかなか芸が細かい。
一つは、伝統技術と言うより伝統工芸と言うべき、“折り紙”が使われている。これはさりげなく、ではなく、重要ポイントなのだが、ゴジラ研究の牧元教授が残したという「謎の図面」は、ゴジラの特異な細胞膜の活性を抑制する「極限環境微生物」の分子構造を立体的に表現するデータで、平面で見ても意味がなく、折り紙で表現されていたのである。折り紙と言っても子供の遊びと侮ってはいけない。2005年に小惑星「イトカワ」に到達した「はやぶさ」君が持ち帰った岩石質微粒子を博物館に見に行ったとき、隣で展示されていた、将来使われる予定という人工衛星のソーラーセイル(だったと思う)は、折り紙の折り方を応用し、地上で折り畳んで小型化して打ち上げ、宇宙に解き放ったときに広げる(なおかつ強度を保つ)というものだった。このように、宇宙産業では、巨大な宇宙構造物を地上で効率的に折り畳み、打ち上げ後に宇宙空間で展開し利用する“折り紙”の技術研究が続けられ、ソーラーセイルだけでなく、ソーラーパネルやパラボラアンテナなどにも応用されている。
次いで二つ目は、伝統技術と言うより伝統芸能になるが、ゴジラのモーション・キャプチャー(現実の人物や物体の動きをデジタル的に記録する技術)を狂言師・野村萬斎氏が担当された(野村萬斎氏の動きをモーション・キャプチャーでおさめ、ゴジラに反映させた)。これは宣伝しないことには分からないので、話題になっている通り。フルCGで制作されたゴジラに「魂を入れたかった」という樋口真嗣監督直々に野村氏に連絡を取られたようで、その経緯について「狂言では、妖怪とかキノコとか、人間ではないものも人間が演じるんですよ。それを見たときに『萬斎さんだったらいける!』と思いました」と語り、「日本のゴジラなので、日本の要素を入れたかったんです。精霊とか存在しないものを狂言でやられている萬斎さんかなと思って。ゴジラが“降臨しちゃってる感”が凄かったですよ」と大絶賛されたという。当の野村氏は「日本の映画界が誇るゴジラという生物のDNAに私が継承しております650年以上の歴史を持つ狂言のDNAが入ったという事で非常に嬉しく思っております」とコメントし、「今回のゴジラには狂言や能の様式美が必要とされているのかな、と感じました。ゴジラは“神”に近いイメージ。ゆっくり、どっしりとした動きのなかで表現しようと意識しました」と撮影時を振り返っている。着ぐるみゴジラなら人間が演じるので、何がしか人間味あるいは動物味を出すことが出来るが、フルCGならではの起用であろう。監督の茶目っ気を感じるが、そういう一種の隠し味が楽しい。
三つ目は、技術というより芸術なのだが、片岡球子女史の富士山の絵だ。多摩美術大学の小川敦生教授は、首相官邸と思しき部屋の壁に片岡球子女史の絵が掛かっているところに注目される。片岡球子と言えば、際立った個性が必ずしも評価されるわけではなかった日本の画壇の中で、原色のような派手な色使いに、あえて稚拙さを出したような独特の造形をなす、個性豊かな画家で、だからこそ、一目見て、彼女の作品と分かるのであり、首相官邸が登場するたびに絵に目が行く、その絵にはパワーがあるのだ、と言う。あたりさわりのない表現の日本画が現実にたくさんある中で、敢えて片岡球子の作品を「選んだ」結果だろうと推測される。
最後に、まさに日本の技術として、映画の最後の方で東京駅が映し出されるシーンに、今はまだないビルが登場するらしい。私は全く気が付かなかったが、三菱地所が2027年度の完成を目指す「常盤橋街区再開発プロジェクト」のB棟で、日本で最も高い390メートルになる見通しだ。敢えて時間軸を攪乱しているのではないかとの穿った見方があるが、ここにも制作者の茶目っ気を感じる。
一つは、伝統技術と言うより伝統工芸と言うべき、“折り紙”が使われている。これはさりげなく、ではなく、重要ポイントなのだが、ゴジラ研究の牧元教授が残したという「謎の図面」は、ゴジラの特異な細胞膜の活性を抑制する「極限環境微生物」の分子構造を立体的に表現するデータで、平面で見ても意味がなく、折り紙で表現されていたのである。折り紙と言っても子供の遊びと侮ってはいけない。2005年に小惑星「イトカワ」に到達した「はやぶさ」君が持ち帰った岩石質微粒子を博物館に見に行ったとき、隣で展示されていた、将来使われる予定という人工衛星のソーラーセイル(だったと思う)は、折り紙の折り方を応用し、地上で折り畳んで小型化して打ち上げ、宇宙に解き放ったときに広げる(なおかつ強度を保つ)というものだった。このように、宇宙産業では、巨大な宇宙構造物を地上で効率的に折り畳み、打ち上げ後に宇宙空間で展開し利用する“折り紙”の技術研究が続けられ、ソーラーセイルだけでなく、ソーラーパネルやパラボラアンテナなどにも応用されている。
次いで二つ目は、伝統技術と言うより伝統芸能になるが、ゴジラのモーション・キャプチャー(現実の人物や物体の動きをデジタル的に記録する技術)を狂言師・野村萬斎氏が担当された(野村萬斎氏の動きをモーション・キャプチャーでおさめ、ゴジラに反映させた)。これは宣伝しないことには分からないので、話題になっている通り。フルCGで制作されたゴジラに「魂を入れたかった」という樋口真嗣監督直々に野村氏に連絡を取られたようで、その経緯について「狂言では、妖怪とかキノコとか、人間ではないものも人間が演じるんですよ。それを見たときに『萬斎さんだったらいける!』と思いました」と語り、「日本のゴジラなので、日本の要素を入れたかったんです。精霊とか存在しないものを狂言でやられている萬斎さんかなと思って。ゴジラが“降臨しちゃってる感”が凄かったですよ」と大絶賛されたという。当の野村氏は「日本の映画界が誇るゴジラという生物のDNAに私が継承しております650年以上の歴史を持つ狂言のDNAが入ったという事で非常に嬉しく思っております」とコメントし、「今回のゴジラには狂言や能の様式美が必要とされているのかな、と感じました。ゴジラは“神”に近いイメージ。ゆっくり、どっしりとした動きのなかで表現しようと意識しました」と撮影時を振り返っている。着ぐるみゴジラなら人間が演じるので、何がしか人間味あるいは動物味を出すことが出来るが、フルCGならではの起用であろう。監督の茶目っ気を感じるが、そういう一種の隠し味が楽しい。
三つ目は、技術というより芸術なのだが、片岡球子女史の富士山の絵だ。多摩美術大学の小川敦生教授は、首相官邸と思しき部屋の壁に片岡球子女史の絵が掛かっているところに注目される。片岡球子と言えば、際立った個性が必ずしも評価されるわけではなかった日本の画壇の中で、原色のような派手な色使いに、あえて稚拙さを出したような独特の造形をなす、個性豊かな画家で、だからこそ、一目見て、彼女の作品と分かるのであり、首相官邸が登場するたびに絵に目が行く、その絵にはパワーがあるのだ、と言う。あたりさわりのない表現の日本画が現実にたくさんある中で、敢えて片岡球子の作品を「選んだ」結果だろうと推測される。
最後に、まさに日本の技術として、映画の最後の方で東京駅が映し出されるシーンに、今はまだないビルが登場するらしい。私は全く気が付かなかったが、三菱地所が2027年度の完成を目指す「常盤橋街区再開発プロジェクト」のB棟で、日本で最も高い390メートルになる見通しだ。敢えて時間軸を攪乱しているのではないかとの穿った見方があるが、ここにも制作者の茶目っ気を感じる。