先般、アリスがデビュー50年だと本ブログに書いたが(https://blog.goo.ne.jp/mitakawind/e/cbdbaeaf4ab0c5c3347608abc918a636)、ユーミンもまた、この7月にデビュー50周年を迎えるそうだ。それを記念したベストアルバムに収録されるリクエスト楽曲やエピソードの募集が、9日から特設サイトで開始された(*1)。
ご本人はかつて「天才」を公言して憚らなかったのは有名な話。密かに思っていても、なかなか公言出来ないものだ。確かに、多くのTVドラマや映画の主題歌・挿入歌に使われ、CMでも引っ張りだこで、多くの歌手にカバーされるといった活躍の「量」だけでなく、今、聴いても「懐かしい」という過去の記憶との結びつきもさることながら斬新さすら感じさせる(という意味では永遠性・普遍性を持つ)曲作りの完成度の高さという「質」の面からも、「天才」発言には文句のつけようがないように思う。むしろ、それを公言した当時の荒井由実という一個の天才の(その凡人の及ばぬ奇矯さの)一頁を彩る微笑ましいエピソードと言うべきかも知れない。
私の音楽のキャパシティは狭くて、とは以前にも書いたことで、ユーミンとサザンで半分位は埋まってしまう。学生時代に、京都で遊んだ帰りに(いや、一応、大学に学びに行った「ついで」のことだが)、深夜の国道171号線で眠気覚ましにガンガン鳴らしたのも、また、社会人になって、ちゃらちゃら湘南に出掛けて、海を横目に国道134号線を走りながらBGMで流したのも、ユーミンやサザンだった。
つい一週間ほど前のプレジデント・オンラインに、「日本でガラパゴス進化した音楽『シティポップ』が、全米1位の楽曲に引用されて大ブームになった背景」なるコラムが掲載された(*2)。「シティポップ」とは、「70年代から80年代にかけて生まれ発展していった日本のポップスで、大人っぽいロックやソウルミュージックなどの洋楽に影響受けて洗練された音楽の総称」(同コラムより)だそうで、例えば、として、山下達郎、松任谷由実、南佳孝、吉田美奈子、角松敏生、稲垣潤一などが代表的なアーティストとして挙げられている。
実は最近、私もたまたまYouTubeで腐るほどに出て来る「日本の‘80年代シティポップ」を好んで聴くようになって、ユーミンをはじめとするメジャーな「ニューミュージック」とは違う、当時のマイナーな楽曲をイメージしていたのだが、ひっくるめて「シティ・ポップ」と総称されるようだ。Wikipediaによると、他に大瀧詠一、竹内まりや、大貫妙子、山本達彦、杉山清貴の名前が挙げられ、「1981年には年間アルバムチャートで、寺尾聡の『Reflections』と大瀧詠一の『A LONG VACATION』というシティ・ポップの名盤が1位と2位につけ、1980年代前半にシティ・ポップは全盛期を迎えた」とある。なるほど、そういうことか。さらに、アルバム・ジャケットのイラストレーターとして、永井博、鈴木英人、わたせせいぞうが挙げられている。う~ん、これもよく分かる。
YouTubeで竹内まりやの「プラスティック・ラブ」を検索すると、Official Music Videoの再生回数は841万なのに、英文記載の「Mariya Takeuchi Plastic Love」は5千万回を超え、日本の国境を越えて世界的な広がりを見せていることが分かる(コメント欄は当然ながら英語だらけ)。松原みきの「真夜中のドア/Stay with Me」に至っては7800万回を超えており、リリース当時はマイナーだったことからすれば尋常ではない。道理で、YouTubeでこれら「シティポップ」の英文表記が増えているわけだ。先のコラムによれば、最近の欧米のビッグ・ネームが、当時のマニアックな、と言ってもよいような楽曲をサンプリングして、ビルボード・チャートで上位にランク・インされることもあるようだ。インドネシア人のRainychさんがカバーする「Plastic Love」などの「シティポップ」は、先ずイスラーム女性としてヒジャブをまとって歌う姿に、時代は変わったものだと驚かされるし、日本語を知らないにしては日本語の曲としてごく自然に歌いこなしていることに二度驚かされる。K-POPが初めから世界を視野に(国内市場は限られているので)、ウケを狙いに行った(ある意味で媚びた)のとは対照的に、日本のアニメ同様、世界など歯牙にもかけない日本のガラパゴスな楽曲が、YouTubeというメディアを通して、じわじわっと世界で認められるようになったというのは、如何にも日本らしい現象と言えるのではないだろうか。
ちょっとどころか大いに寄り道してしまった。ユーミンの、それ以前のフォークの反戦・平和のメッセージ性や四畳半的な湿っぽさと比べて、都会的でカラっと乾いて洗練されたフュージョンなところは、時代背景を異にして、まさに「シティポップ」の中心的存在と言ってもよいのだろう。この「天才」と同時代を生き、つまり、ともに齢を重ね、その音楽に存分に浸れたことは実に幸せなことだと思うのは優等生的なコメントだが、実は成熟した松任谷由実より夢見る天才少女・荒井由実の方が私は好きなのだった(笑)
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