風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

ノーベル賞の季節

2015-10-15 00:23:28 | 日々の生活
 アジアに出張している間に、相次ぐ日本人のノーベル賞受賞で日本は湧いたようだ。私は機内のWall Street Journalで知ったのだが、スマホがあればもっと情報が早かったであろうか・・・(などと言っていると、スマホを持たないことがバレてしまう・・・)。
 折しも、英教育誌タイムズ・ハイヤー・エデュケーションは、つい二ヶ月ほど前、科学・経済分野のノーベル賞受賞者に関して過去15年の集計をまとめ、出生国別の得点で日本を米・英に次ぐ3位に格付けしたと発表したことが報じられた。平和賞と文学賞を除く2000年以降のノーベル賞の受賞者について集計したところ、出生国別人数で、米国71人、日本13人、英国12人の順となったらしい。他方、受賞時の所属大学別で得点を比べた場合、1位は米スタンフォード大、2位は米コロンビア大、3位は米カリフォルニア大バークリー校となり、上位10校中8校を米国の大学が独占、残りはイスラエルとドイツが1校ずつで、日本を含むアジアの大学は圏外だったという。移民大国の後塵を拝するのはある意味で仕方ないにしても、英国の次というのは、ちょっと悔しい。他方、日本の教育・研究施設や制度(使用言語を含む)にいろいろ課題があるであろうことは分からないでもない。
 日本人ノーベル賞受賞者は、米国籍を取得した方を含めて累計24名、その内、21世紀になってから16名と、加速している。ノーベル賞受賞とは、つまるところ粘り強い研究の積み重ねであり、かつ実用化され評価されるに至るまでタイムラグがあるとすれば、今世紀の目覚ましい成果は、20世紀後半(戦後)の地道な、しかし探究心旺盛で(黒船のペリー御一行様が驚いたように)また名誉欲よりも匠であることに誇りをもつ日本人の本領発揮といったところだろうか。世界で評価されるのは、やはり晴れがましい。
 だからと言って、毎度、コップの中の戦争のように、お互いに狭い世界で比べっこするのは何とも狭量で褒められたものではないのだが、日本の躍進に切歯扼腕している国がある。言わずと知れたお隣の大国やその属国(歴史的に、の意)である。その中国は、今回、華人(つまり中国という祖国を捨てた人)以外で初めての受賞となった。その中国は「中国製造2025」を掲げ、2025年までにモノづくり強国(大国)の仲間入りを目指す中で、弱みは基礎素材、基礎部品、基礎工程、基盤技術といった基礎研究にあり、革新へ根気よく投入し続けることが不充分で、また革新により発展を引率する理念が弱かった、製品の品質は引き続き改善しなければならない等々、冷静かつ謙虚に分析しているらしい。一方の韓国は、GDP(国内総生産)に占める研究・開発(R&D)投資の割合は世界第1位なのに成果に結びついていないと、早速、自己批判が飛び出した。朝鮮日報は、自動車や機械などの実用化技術に偏していると言い訳し、中央日報は、科学者を尊重しながらチャレンジ精神を持てるように励ます社会的風土も切実だとする社説を掲載したらしい。まあ、「科学」などと大上段に振りかざさなくとも、身近な職人や職人技を蔑ろにするのが伝統の儒教国では、余り成果は望めないかも知れない(とは以前もブログに書いた)。あるいは、先ほどの伝で、一足先に改革開放に舵を切った中国でノーベル賞受賞第一号が出たように、韓国の民主化が1980年代後半だとすれば、そのうち出て来るかも知れないし、中国人や韓国人は手っ取り早い(つまりカネになる)成果や目先のことに囚われがちなので、国柄としてそぐわない、つまり、それほどしゃかりきになっても縁がないような気もするが、どうであろうか。
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