風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

オープン・キャンパス(1)上智編

2010-08-04 02:18:19 | 日々の生活
 週末にオープン・キャンパスに出かけました。
 上の子はまだ高校受験を終えたばかりの一年坊主ですが、いずれかに参加してレポートを書くことが夏休みの宿題になっており、それに私が付き添った形です。この秋には、早くも文系・理系の選択をしなければならないようで(私たちの頃はこんなに早かっただろうか?)、もしそうなら文系・理系という視点で世界を広げておくのに、早過ぎることはありません。あいにく帰国子女受験した子供は日本の受験制度には相変わらず関心が薄く、進路も含めて参加を希望する大学がありません。仕方ないので、付き添いの私が訪問先として上智大学を選びました。関西人の私にとって、ちょっとハイカラで華やかなイメージがあり、ちょっとした憧れをもって覗いてみたかったからです。
 実際に出かけてみると、オープン・キャンパスに来ている高校生で混み合っていることに先ず驚かされました。キャンパスが狭いせもあります。私は田舎の大学出身なので、キャンパスは広いものという先入観があり、上智大学のキャンパスはおよそキャンパスらしくなく、在校生の説明を聞いても、狭いからよく顔を合わせるのですぐ知り合いになる、などと何やら言い訳がましいことを言います。しかも、だいたいこうしたオープン・キャンパスの場にマメに顔を出すのは女性だというのが相場だろうと思いますが、実際にキャンパスを闊歩しているのは圧倒的に女性が多く、比率では8割をゆうに越え、女子高に迷い込んだのではないかと錯覚しそうなほどでした。
 こうして四半世紀の間、私が抱き続けた疑問が氷解しました。上智大学にハイカラなイメージがあったのは、留学生が多く、海外に開かれた大学であるからであり、華やかなイメージがあったのは、どうやら女性が多いから、しかも垢抜けた女性が多く、また女性が多いのは、文科系の学部が多いからではないかということでした。
 うちの子は、帰国子女にありがちの、国語が苦手なせいで、なんとなく理系を志望しています。将来の日本を慮って、また私は数学が得意でありながら、大学で文学・歴史をなんとなく勉強することをイメージして(将来の就職のことには思いが及ばず)安直に文系を選択した反省と、四半世紀のサラリーマン人生を振り返って、明確な技術的バックグラウンドまたは専門分野をもつのが強みだと総括し、私も子供の理系志望をけしかけています。更に受験科目の点から言うと、理系志望から文系志望には後から転換しやすい便宜もあります。
 そこで理工学部を訪ねてみると、研究室を訪ねるツアーがあるというので、のこのこ付いて行きました。それぞれの研究室では学生が待ちかまえていて、自分の研究内容を、拙いながらもパソコンの画面を見せながら一所懸命説明してくれて、若い熱意がひしひしと伝わって、つい惹き込まれました。何台もパソコンやモニターが並び、この四半世紀で研究室の風景も随分様変わりしたことでしょう。子供の反応を観察していると、説明してくれた専門分野への興味もさることながら、パソコンを一人一台貸与される利便性や(但し情報理工学科のみ)、海外の学会に出掛けられるというミーハーな部分に強く反応し、あれこれ専攻分野を思案し始めた模様で、何はともあれ先ずは成功と言えそうです。
 私はと言えば、見かけは父兄として場違いなはずなのに、意識だけは学生の頃の昔にすんなり戻って、子供をさしおいて質疑応答を仕掛けたりして、また学生に戻りたい気分になりました。知らない大学を覗き、現代の学生事情を知るため、またオープン・キャンパス荒らし!?をしたいと思います。
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小澤さん復活

2010-08-03 01:02:41 | 永遠の旅人
 オザワさんと言っても、政治とカネの小沢さんではなく、指揮者の小澤征爾さんの話です。1月に食道癌を公表し、食道を全摘する手術を受けて療養されていた小澤さんが、復帰されたニュースが流れていました。かなりやつれて見えましたが、張りのある声で「今日は第二の人生の一日目」だと語り、ラグビーのスクラムにたとえて家族が支えてくれたことに感謝し、涙ぐまれていたのが、なんとも印象的でした。また、つい最近、同じ食道癌による療養を公表したサザンオールスターズの桑田佳祐さんに対して、「絶対、大丈夫。医学は発達しているから」と語り、「人間ドックは大事」だと早期発見の大切さを訴えて、お茶目なところも見せておられました。
 タングルウッド音楽祭に行ったことがあります。ボストン滞在の最後の夏のことなので、今から13年前、1997年のことです。
 車で2時間以上かけて辿り着いた会場は、東西に細長いマサチューセッツ州の西の外れの、レノックスという小さな町の、しっとりと緑に包まれた森の中にありました。当時、小澤さん指揮するボストン交響楽団が身近にあっても、三歳の男の子をベビーシッターに預けてまで聴きに行くのはためらわれていた私たち日本人夫婦でも、この音楽祭では、芝生席で、ピクニック・マットを敷いて、子供と一緒にお弁当を広げながら、世界の小澤さんの音楽に耳を傾けることが出来ました。同じようにピクニック気分を楽しむ家族連れや、静かに語り合う若者たちが、そこかしこに見られます。目の前には、折りたたみ椅子を持ち込んで、ワイン・グラスを傾けながら、静かに物思いに耽る老夫婦が。二人の脳裏をかすめていたのは、何十年も遠い昔の若い二人の姿だったのかも知れません。思い思いに音楽に身を委ね、夏の日の昼下がりのひとときを楽しむ、なんと贅沢な時間でしょう。
 アメリカの豊かさを、つくづく思い知らされた一日でもありました。
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ファン

2010-08-01 23:47:31 | 永遠の旅人
 昨晩は、二階の窓を開け放しにしても風がなく、、寝苦しい夜でした。何度も目が覚めて、水分補給に立ちました。
 マレーシア・ペナンは、北緯5度の常夏の地にあります。建物の中は、南国では何処も同じでエアコンをがんがん使い、レストランやショッピングセンターでは寒いほどで、体調をこわしそうなところを見ると、暑くてやり切れなさそうですが、それほどでもありません。ビーチ・リゾートで、昼は海風が吹いて、木陰は涼しいくらいですし、夜は山風が心地よい。ペナンに住んでいた頃、寝る時に殆どエアコンを使わなくても済んだのは、高層マンションで開け放った窓から山風が良く入ったことと、天井に据え付けられたファン(大型扇風機)のお陰でした。
 日本でもファンがあればよいのにと思います。日本の扇風機は身体に風を直接当てて、身体に必ずしもよくありませんが、天井のファンは、部屋の風を動かします。しかもエアコンよりも余程省エネです。日本で導入するのに難点があるとすれば、日本の天井は照明器具に占拠されていることで、日本人は間接照明がどうも苦手のように見られがちですが、慣れの問題でしょう。
 ペナンでは、開け放った窓から何度かコウモリが飛び込んできたことがあって、一度はファンにぶつかって、ヒヤリとしたことがあり、網戸があれば良いのにと思ったものでした。日本に網戸がないところはありませんので、あとはファンを付ければよいだけ。日本の夏対策に、これ以上の取り合わせはないと思うのですが。
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